光市母子殺害事件 18歳30日の少年が奪った母子の命と、13年に及んだ死刑裁判
1999年4月14日。 山口県光市の社宅アパートで、若い母親と、生後11か月の娘が命を奪われました。 犯人は、同じ社宅群に暮らしていた18歳の少年、福田孝行。 なぜ、彼は見知らぬ他人ではなく、近くにいた母子を狙ったのか。 なぜ、ただの日常の部屋が、取り返しのつかない事件現場になったのか。 この事件の奥には、壊れた家庭、母の死、父親の暴力、そして歪んでいく少年の心がありました。
昭和・平成・令和に起きた事件を記録するノンフィクション・アーカイブ
1999年4月14日。 山口県光市の社宅アパートで、若い母親と、生後11か月の娘が命を奪われました。 犯人は、同じ社宅群に暮らしていた18歳の少年、福田孝行。 なぜ、彼は見知らぬ他人ではなく、近くにいた母子を狙ったのか。 なぜ、ただの日常の部屋が、取り返しのつかない事件現場になったのか。 この事件の奥には、壊れた家庭、母の死、父親の暴力、そして歪んでいく少年の心がありました。
明治三十八年。 長野県の山間にある、小さな村。 その夜、神社では祭りが行われていた。 暗い山々の間に、提灯の灯りが並ぶ。 普段なら静まり返っている村にも、 この日ばかりは人々の笑い声が響いていた。 その人混みの中に、十六歳の少女がいた。 村の酒屋で働いている少女だった。 ところが――。 祭りが終わる頃、 少女の姿が見えなくなった。
2007年5月15日午前7時ごろ。 福島県会津若松市の会津若松警察署へ、一人の高校生が現れた。 17歳。県立高校3年生。氏名は、栗田恭平。 彼は警察官の前で、異様なほど重大な言葉を口にした。 「母親を殺害しました」 さらに、持っていた黒い布製のショルダーバッグを示し、 「首を持ってきた」 と告げたと報じられている。
1999年9月29日、夕方の下関駅。 人々は、いつものように駅を歩いていました。 仕事帰りの人。買い物へ向かう人。電車を待つ人。 誰もが、その日常が数秒後に 壊されるとは思っていませんでした。 そこへ一台の車が突っ込んできます。 ガラスを突き破り、駅構内を走り、 通行人をはね飛ばす。 そして男は車を降り、 包丁を手にホームへ向かいました。 犯人の名は、上部康明。 彼の怒りは、なぜ無関係な人々へ 向かったのでしょうか。
2007年8月24日から25日にかけて、愛知県名古屋市周辺で、一人の会社員女性が見ず知らずの男三人に拉致され、監禁され、金品を奪われた末に殺害された。 一般に「闇サイト殺人事件」と呼ばれる事件である。 事件の異様さは、犯人三人が長年の仲間でも、同じ暴力団の構成員でも、幼なじみでもなかったという点にある。 神田司。堀慶末。川岸健治。 三人は、インターネット上に存在した「闇の職業安定所」、通称「闇の職安」と呼ばれるサイトを通じて知り合った。 そこは通常の求人サイトではない。
1999年11月13日。 名古屋市西区稲生町5丁目にあるアパートの一室で、当時32歳の主婦、高原奈美代が殺害された。 奈美代は首などを鋭利な刃物で複数回刺され、失血死したとされる。 発見されたとき、彼女はトレーナーとジーパン姿だった。 廊下から居間へ体を投げ出すような格好で、うつぶせに倒れていた。 首からは血が流れていた。 部屋の中には、当時2歳1か月だった長男・航太もいた。 幼い航太は無傷だった。
2024年4月19日未明、北海道旭川市の神居古潭に架かる神居大橋で、当時17歳の女子高校生・村上月奈(仮名)が、石狩川へ転落し死亡した。 事件の中心にいたのは、内田梨瑚と小西優花だった。 事件の発端は、殺害計画でも、長年積み重なった深い怨恨でもなかった。きっかけになったのは、SNSに転載された一枚の画像だった。 画像に写っていたのは、飲食店でラーメンを食べている内田梨瑚だった。顔の一部は麺や箸で隠れていたとされる。その画像を最初に撮影したのは、当時16歳だった少女Yであり、その後、月奈がSNSに転載した。 それを知った内田は、月奈に連絡を取らせた。 月奈は無断で画像を転載したことについて謝罪したとされる。 しかし、謝罪では終わらなかった。 内田は金を要求した。
まだ夜が明けきらない午前4時45分ごろ。 愛知県犬山市にある愛知県警犬山署の駐車場へ、一台の軽乗用車が入ってきた。 運転していたのは、愛知県一宮市に住む丹羽雄治。 当時45歳だった。 丹羽は車を止めると警察署へ向かった。 手には、血の付いた折り畳み式のナイフがあった。 そして署員を前に、短く告げた。 「女性を殺した」 さらに一枚の学生証を差し出した。 「この人です」 署員が駐車場に止められた軽乗用車を確認する。 助手席には、若い女性がいた。
2007年3月26日。 午後9時40分ごろ。 千葉県市川市福栄二丁目。 市橋達也は、自宅マンションの部屋にいた。 ベランダには、取り外された浴槽が置かれていた。 その中には、全裸に近い状態のリンゼイ・アン・ホーカーさんの遺体があった。 市橋は遺体の上から大量の土をかけていた。
1999年12月21日。 京都市伏見区。 冬休みを目前にした京都市立日野小学校の校庭では、放課後を迎えた子どもたちがいつものように遊んでいた。 この日は、学校で保護者と担任による個人懇談会も行われていた。 校庭にはおよそ30人の児童が残っていた。 その中に、小学2年生の中村俊樹くん、7歳(仮名)がいた。 俊樹くんは、校庭北側にあるジャングルジムの近くで同級生と遊んでいた。 そこへ、一人の若い男が近づいてくる。
歓楽街・すすきのにあるホテルの一室で、一人の男性が死亡しているのが発見された。 発見場所は浴室だった。 男性は全裸だった。 そして―― 頭部がなかった。 単に顔が損傷していたのではない。 首から上そのものが、胴体から切り離されていた。 さらに不可解なことに、男性が身につけていたはずの衣類、携帯電話、財布、車の鍵など、身元の特定につながる品々も部屋から消えていた。
1988年11月25日、埼玉県三郷市。アルバイトを終え、自転車で帰宅していた高校3年生の古田順子さん、17歳が、宮野裕史、小倉譲、湊伸治、渡邊恭史を中心とする少年グループに連れ去られた。 順子さんは東京都足立区綾瀬にあった湊伸治の自宅2階へ連れ込まれ、約40日間にわたって監禁された。その間に暴力や性的暴行が繰り返され、逃走や通報を試みればさらに暴力を受けた。年末になるころには食事も十分に与えられず、火傷や負傷が悪化し、自力で動くことさえ難しい状態へ追い込まれていった。 1989年1月4日、極度に衰弱していた順子さんに少年らは長時間の集団暴行を加え、順子さんはその日のうちに死亡した。翌日、遺体はドラム缶に入れられてコンクリートで固められ、東京都江東区若洲の埋立地へ遺棄された。 事件が発覚したのは約3か月後の1989年3月だった。別件で警察の取調べを受けていた宮野の供述から若洲が捜索され、3月29日、コンクリートの詰まったドラム缶から順子さんの遺体が発見された。
北海道空知郡音江村。 現在の深川市周辺にあたるこの農村で、戦後北海道犯罪史の中でも異様な事件が発生する。 ひとつの農家から、一家八人の遺体が発見されたのである。
一人の少女が山林で襲われ、必死に帰ろうとした直後、犯罪の発覚を恐れた男によって命まで奪われたという、極めて重い事件だったことが分かる。