昭和20年 枚方一家六人惨殺事件 終戦から四か月、一家の家から六人の姿が消えた
大阪府北河内郡寝屋川町。 現在の寝屋川市周辺。 そこに一軒の家があった。 一家の主は、繩田芳次郎。六十歳。 繩田はベルトレーシング関係の工場を営んでいた。 工場だけではない。 そこには家族の生活があった。 五十代の妻。三十代の長男。長男の妻。十代の長女。 そして三歳ほどの幼い孫。 三世代。六人。 戦争が終わり、これから家業を立て直していかなければならない一家だった。 だが、この家にはもう一人の男がいた。
昭和・平成・令和に起きた事件を記録するノンフィクション・アーカイブ
大阪府北河内郡寝屋川町。 現在の寝屋川市周辺。 そこに一軒の家があった。 一家の主は、繩田芳次郎。六十歳。 繩田はベルトレーシング関係の工場を営んでいた。 工場だけではない。 そこには家族の生活があった。 五十代の妻。三十代の長男。長男の妻。十代の長女。 そして三歳ほどの幼い孫。 三世代。六人。 戦争が終わり、これから家業を立て直していかなければならない一家だった。 だが、この家にはもう一人の男がいた。
冬の日暮れが早い十二月の夕方、一軒の銭湯が、いつもの時間になっても店を開けなかった。 当時、家庭に内風呂があることはまだ当たり前ではない。 夕方になれば、仕事を終えた男たちが手拭いを肩に掛けてやって来る。 母親は子供の手を引き、洗面器に石鹸や手拭いを入れて店へ向かう。 常連客ならば、何曜日の何時ごろに行けば誰がいるのかまで知っている。 銭湯は単なる入浴施設ではない。 町の人々の日常そのものだった。 ところが、その日だけは違った。 戸が開かない。
五人はいずれも寝具の中にいた。 眠っているところを突然襲撃されたと考えられた。 頭や顔には激しい打撃を受けた傷が残っていた。 凶器として最初に使われたとみられたのは、玄能――大工仕事などで使う金づちの一種だった。 ところが襲撃の途中で、その柄が折れた。 普通ならば、そこで犯行をやめる機会があった。 しかし襲撃した人物は止まらなかった。
一人の少女が山林で襲われ、必死に帰ろうとした直後、犯罪の発覚を恐れた男によって命まで奪われたという、極めて重い事件だったことが分かる。