肝取り勝太郎事件
明治の信州を震撼させた連続殺人と「生き肝」の迷信
■事件概要
1905年。
明治38年。
日露戦争が終結へ向かいつつあった頃、日本は「近代国家」へ向かって急速に姿を変えていた。
東京では電車が走り、地方へ鉄道が延び、長野県では製糸業が巨大な産業へ成長していた。
若い女性たちは農村を出て製糸工場へ入り、糸を取った。
鉄道駅の周囲には人が集まり、祭礼の日には遠方からも人が来る。
一方、地方の夜はまだ深かった。
街灯は少ない。
舗装道路もない。
山と谷に囲まれた農村で日が沈めば、月のない夜は人の顔さえ見分けにくい。
携帯電話はない。
防犯カメラもない。
自動車も一般的ではない。
女性が一人で夜道を歩き、何者かに襲われたとしても、助けを求める方法は叫ぶことくらいしかなかった。
医学もまた、現在とは比較にならないほど限界があった。
結核。
肺の病。
感染症。
そして、当時「不治」と恐れられた病気。
有効な治療法が存在しない病も多かった。
科学的な医療が地方社会の隅々まで行き渡っていなかった時代、人々は薬草、動物の胆、黒焼き、まじない、民間療法など、さまざまなものへ救いを求めた。
その延長線上に、人間の身体の一部まで薬になるという迷信が存在した。
「人間の生き肝が難病に効く」
現代医学から見れば、もちろん科学的根拠はない。
しかし、病気を治す手段が乏しかった時代には、そのような話を信じる者がいた。
そして、もし人の身体に値段が付けば。
そこには必ず、金を得ようとする人間が現れる可能性がある。
そんな時代の信州で、女性が消え始めた。
最初は16歳。
次は30歳。
やがて一家の中で27歳の母親、幼い長男、17歳の若い女性が死亡する。
さらに48歳の女性が消えた。
発見された女性たちの遺体には、奇妙な共通点があった。
腹部に刃物による大きな損傷がある。
そして、身体の内部から臓器の一部が失われている。
人は殺されている。
だが、犯人は殺して終わっていない。
死後、あるいは致命傷を与えた後、その腹部へ手を加えている。
なぜなのか。
怨恨なら、なぜ臓器を取る必要がある。
強盗なら、なぜ腹を切り開く。
性的な目的なのか。
死体損壊そのものを好む人物なのか。
それとも。
犯人にとって、人間の身体の中に「欲しい物」があったのか。
警察は次第に、ある異様な仮説へ近づいていった。
犯人は、人間の「肝」あるいは「胆」を必要としているのではないか。
そして、それを薬の材料として売るために、人を殺しているのではないか。
事件は、単なる連続殺人ではなく、「肝取り」と呼ばれる特異な事件として地域社会を震え上がらせた。
だが犯人は捕まらない。
村では夜になると女性の一人歩きが恐れられた。
家族が迎えに行く。
複数で歩く。
女性の夜間外出を控えさせる措置まで取られたとする資料もある。
それでも事件は続いた。
警察への批判も強まった。
署長の更迭にまで発展したとする資料がある。
そんな長期連続事件を終わらせたのは、最新科学でも、名刑事のひらめきでもなかった。
一人の女性だった。
1907年。
明治40年8月。
32歳の女性が夜道で何者かに襲われた。
男は背後から近づき、手ぬぐいで首を絞めようとしたと伝えられている。
女性は抵抗した。
男の急所を強くつかんだ。
男が痛みに耐えられず手を緩める。
女性は逃れる。
そして月明かりの中で、襲撃者の顔を見た。
知らない男ではない。
村の水車場で働いている。
見たことがある。
馬場勝太郎。
後世の資料では、女性がその場で、
「あっ、お前は水車小屋の勝太郎!」
と叫んだとも伝えられている。
翌日。
馬場勝太郎は逮捕された。
逮捕時30歳前後。
妻も子もいる。
水車場で働く男。
周囲からは、温厚、勤勉、律義、正直な働き者と見られていたとする伝承さえ残る。
そんな男が、長く村を恐怖に陥れていた連続事件の容疑者として警察に連れて行かれた。
取り調べで、さらに奇妙な話が出た。
大阪方面の商人を名乗る男から、人の生き肝を高額で買うと持ちかけられた。
病気の薬にするため、女性の生き肝が欲しい。
そのような依頼を受けたという話である。
しかし、勝太郎の供述は安定しなかった。
すべての殺人を認めたという単純な記録ではない。
「自分が殺したのは最後の48歳女性だけだ」
という趣旨の供述をしたとする二次資料もある。
生存した32歳の女性への襲撃についても、殺害目的ではないと説明したとする記録がある。
さらに、失われた「胆」について、
「干していたらカラスに持っていかれた」
という趣旨の不可解な説明まで伝わっている。
大阪の商人は本当にいたのか。
本当に売買が行われたのか。
勝太郎一人の犯行だったのか。
どの事件まで勝太郎が実行したのか。
現在残る資料だけで、すべてを断定することは難しい。
それでも司法は、勝太郎の責任を極めて重大と判断した。
複数の殺人。
未遂事件。
長期間に及ぶ犯行。
判決は死刑。
1908年、明治41年6月。
馬場勝太郎は東京監獄で刑を執行されたとされる。
その後、同地域で同様の「肝取り」とされる事件は起きなくなった。
こうして、明治の信州を震撼させた事件は終わった。
だが、何のために臓器が取られたのかという核心部分には、百年以上たった現在も埋まらない空白が残っている。
■いつ・どこで起きたか
一連の事件は、1905年、明治38年から1907年、明治40年にかけて起きた。
場所は長野県上伊那郡朝日村周辺。
現在の辰野町周辺として説明されることが多い。
当時の上伊那地方は、農村と新しい産業社会が重なり合う地域だった。
信州の製糸業は急成長していた。
岡谷、諏訪、上伊那を含む地域では、多くの女性が製糸工場や関連する職場で働いていた。
若い女性が村から村へ移動する。
工場へ通う。
祭礼へ出る。
親戚宅を訪ねる。
駅へ向かう。
それはごく普通の日常だった。
しかし、防犯環境は現代とはまったく異なる。
夜道には暗闇がある。
田畑の間に細い道が伸びる。
林がある。
川がある。
人家から離れた場所も多い。
誰かが背後から近づいても、遠くから確認することは難しい。
犯人にとっては、人目を避けやすい環境でもあった。
一連の事件の最初の発生は1905年9月1日。
16歳の少女が祭礼の日に行方不明となる。
二件目は同年11月3日。
30歳の女性が姿を消し、後に遺体で発見される。
三件目の大きな事件は1906年8月。
27歳の女性、その乳児の長男、家事を手伝っていた17歳の女性の3人が死亡。
さらに1907年1月ごろ、48歳の女性が失踪。
約1か月から2か月後、人里から離れた採石場周辺で遺体となって発見された。
そして1907年8月。
32歳の女性が夜道で襲われる。
この女性は死亡しなかった。
生き残った。
そのことが、事件の流れを決定的に変えた。
■事件発覚まで
最初の事件が起きた1905年9月。
村は祭礼の空気に包まれていた。
祭りの日は、普段より人が多い。
店が出る。
家族が外へ出る。
若い者が歩く。
遠くから人が来る。
人の流れが増えるため、見慣れない人物が歩いていても不自然ではない。
16歳の少女、小林みつが姿を消した。
最初は家族も、すぐ殺人事件だとは考えなかったかもしれない。
祭りへ行っている。
友人と一緒にいる。
誰かの家へ寄っている。
帰りが遅れている。
しかし夜が明けても帰らない。
一日。
二日。
時間が過ぎる。
捜索が始まる。
家族
「みつを見なかったか」
知人
「祭りには行ったんじゃないのか」
家族
「それなら、どうして帰ってこない」
当時は携帯電話などない。
本人へ連絡する方法もない。
目撃者を探す。
人づてに聞く。
道を探す。
田畑を見る。
水辺を見る。
そして失踪から約9日後。
少女は見つかった。
生きてはいなかった。
田畑の中。
遺体には人為的な損傷。
腹部は刃物によって大きく傷つけられていた。
臓器の一部が失われている。
単なる事故ではない。
誰かに殺された。
しかも、犯人は遺体へさらに手を加えている。
ここで警察は、最初の難問へ直面した。
なぜ腹を開く。
何を取った。
何のために。
犯人につながる決定的な物証はない。
DNA鑑定はない。
防犯カメラはない。
携帯電話の位置情報もない。
指紋捜査も発展途上。
現場に残った足跡、遺体の状態、聞き込み、人間の記憶。
それらを積み上げるしかなかった。
しかし犯人は分からなかった。
そして約2か月後。
第二の女性が消えた。
11月3日。
30歳の中村トヨ。
製糸関係の仕事に従事していたとされる。
また祭りの日だった。
また女性だった。
また帰らない。
そして、遺体が見つかる。
捜査員は状態を見て、9月の少女を思い出す。
腹部。
損傷。
臓器。
似ている。
あまりにも似ている。
捜査員
「前の娘と同じではないか」
別の捜査員
「腹だ。今回も腹へ手を入れている」
捜査員
「同じ男なら、一度で終わる気はない」
ここで初めて、地域に潜む「連続犯」の姿が輪郭を持ち始めた。
村では噂が増えた。
「あれは祟りではないか」
「女ばかり狙っている」
「腹の中を取る男がいる」
「薬屋へ売っているのではないか」
「山に怪しい男がいる」
事実と想像は混ざった。
犯人が分からないからこそ、恐怖は形を変えた。
怪談。
祟り。
生首を見たという話。
正体不明の旅人。
怪しい薬屋。
村の外から来た者。
だが、本当の犯人とされた人物は、後に村の日常の中から現れる。
その時点では誰も知らなかった。
・犯人の生い立ち
・事件の前兆
・当日の詳細
・逮捕
・裁判
・判決
・まとめ