推理小説愛読少年の毒ウイスキー殺人事件――十九歳の嫉妬が生んだ郵送毒殺

事件概要

昭和二十七年――一九五二年三月。

長野県北部。

新潟県との県境に近い奥信濃では、暦の上では春になっていても、山にも畑にもまだ大量の雪が残っていた。

道路の両側には雪の壁。

民家の屋根にも厚い雪。

東京では梅の花が咲き、冬の終わりを感じるころになっても、信州北部の山村では冬の景色が続いていた。

そんな村の一軒の家に、一つの郵便小包が届けられた。

箱を開ける。

中に入っていたのは一本のウイスキーだった。

当時の地方農村で、ウイスキーは現在ほど日常的な酒ではない。

誰かが贈ってくれた酒。

受け取った側がそう考えたとしても、不自然ではなかった。

ところが、その瓶の中には致死性の毒物が混入されていた。

最初に酒を口にした五十三歳の男性は、まもなく激しい中毒症状に襲われた。

幸い医師の処置によって命を取り留める。

しかし翌日。

「本当にこの酒が原因なのか」

そう疑った別の男たちが、残されたウイスキーを確認するために口へ運んでしまった。

一人が死亡。

もう一人も重篤な中毒症状を起こした。

一本のウイスキーを飲んだ三人全員が、ほぼ同じような異常を起こした。

偶然ではない。

警察が瓶を押収し鑑定すると、酒の中から青酸系の毒物が確認された。

事故ではない。

製造上の不良でもない。

誰かが意図的に毒を入れ、郵便小包として送りつけたのである。

そして警察の捜査線上に浮かび上がったのは、凶暴な前科者でも、土地の有力者でもなかった。

十九歳の青年だった。

資料に記された名前は、

山川三郎。

ただし資料には、これは仮名であることが明記されている。

山川は内向的で小心。

人付き合いが得意な青年ではなかった。

その一方で我の強い部分もあり、周囲からの評価を気にする性格だったと資料は記している。

そして彼には、自分より二歳年下の友人がいた。

南澤久雄。

久雄は山川とは対照的に、人から好かれた。

部落でも。

青年団でも。

友人たちの間でも。

山川より二歳も若いのに、山川より人気がある。

その違いが、やがて山川の中で強烈な嫉妬へ変わった。

資料によれば、山川はついには、

「南澤久雄を殺したい」

という殺意を抱くようになった。

そして山川が考えたのが、直接刃物で襲う方法ではなかった。

自分はその場にいない。

相手が自分から毒を口にする。

そして自分には疑いが向かない。

推理小説を好んでいた十九歳の青年が選んだのは、

毒入りウイスキーを郵便で送りつける方法

だった。

ところが現実の犯罪は、推理小説の筋書きどおりには進まなかった。

山川が本来殺そうとした南澤久雄は死亡しない。

代わりに、山川と久雄の嫉妬とは直接関係のない人物が死亡した。

一本の毒入りウイスキーは、犯人自身にも制御できない形で人から人へ渡ったのである。

警察は郵便物の経路、ウイスキー、購入先、送り主の偽装、山川の行動、南澤久雄との関係、さらに以前の毒殺未遂まで一つずつ調べていった。

山川が描いた「完全犯罪」は崩れた。

十九歳の少年は逮捕され、裁かれる。

そして資料によれば、最終的に言い渡された刑は、

無期懲役。

事件から半年ほど後。

山川は少年関係の司法機関へ一通の手紙を送っている。

そこには、犯罪を計画していたころとはまるで違う青年の姿があった。

幸福とは何か。

自分はこれからどう生きればいいのか。

善い心を持ちたい。

信仰によって自分を立て直したい。

そしてメーテルリンクの『青い鳥』を思わせる言葉を使い、幸福は自分の外ではなく自分自身の心の中にあるのではないか、と考え始めていた。

だが、その理解はあまりにも遅かった。

一人の人間はすでに死亡していたからである。

いつ・どこで起きたか

毒入りウイスキーが届けられたのは、

昭和二十七年三月十日。

一九五二年である。

事件の舞台となったのは長野県北部、下高井郡方面の山村だった。

新潟県境に近い豪雪地帯である。

山川三郎自身も、この地域の山村に暮らす十九歳の青年だった。

戦争が終わって七年。

日本はようやく敗戦直後の混乱から立ち直ろうとしていた。

しかし地方の生活には、まだ戦前から続く農村共同体の姿が色濃く残っていた。

小さな村。

青年団。

近所同士の付き合い。

顔見知り。

誰の家の息子か。

どこの家の娘か。

そうしたことを互いに知っている社会だった。

そして当時、外の町と山村を結びつける重要な手段が郵便だった。

手紙。

葉書。

小包。

現在なら宅配便の荷物が毎日のように届く。

だが昭和二十七年の山村では、遠くから一本のウイスキーが送られてくれば、それ自体がちょっとした出来事になる。

ウイスキーも現在ほど一般家庭にありふれた酒ではなかった。

だから、小包を受け取った家の者は疑わなかった。

「誰かからの贈り物だろう」

そう考える。

ここに山川の計算があった。

毒を直接相手へ飲ませる必要はない。

郵便局へ持っていけば、あとは社会の仕組みが自分の代わりに運んでくれる。

郵便局員。

鉄道。

別の郵便局。

配達員。

誰も中身を知らない。

誰も犯罪に加担しているつもりはない。

普通の小包として、毒が山村の家まで運ばれていく。

犯人自身は標的の家へ行かない。

遠く離れた場所から、一人の人間を殺そうとしたのである。

事件発覚まで

昭和二十七年三月十日。

郵便配達員が小包を届けた。

箱の中には、

オーシャン・ウイスキー

とされる瓶入りの酒が入っていた。

送り主を示す記載もあった。

受け取った五十三歳の男性は、誰かからの贈答品だと思った。

瓶を見る。

外見上、おかしいところはない。

封を開ける。

匂いを嗅いでも、ただの酒に見える。

「酒が送られてきたぞ」

家の中で、そのような会話が交わされた可能性はある。

もちろん実際の逐語的な記録は残されていない。

男性は酒を口にした。

一口。

さらに飲む。

最初のうちは何も起きない。

ところが間もなく、身体に異変が現れ始めた。

吐き気。

頭痛。

呼吸の異常。

急激な体調悪化。

普通に酒へ酔った人間の反応とは違った。

「苦しい……」

「どうした?」

「酒を飲んでから……急に……」

再現するならば、そのような混乱が起きただろう。

医師が呼ばれた。

処置が行われた。

幸い男性は生き延びた。

この時点では、まだ誰も「殺人未遂」とは考えていない。

食あたりかもしれない。

体調が悪かったのかもしれない。

酒そのものが変質していたのかもしれない。

そして翌三月十一日。

問題のウイスキーはまだ残っていた。

そこで別の男性たちが考えた。

「本当に昨日の具合の悪さは、この酒のせいなのか?」

見た目は普通のウイスキーである。

まさか誰かが殺人目的で毒を入れているとは思わない。

「少し飲んでみれば分かる」

今の私たちは結果を知っている。

だから、

「なぜ飲んだのか」

と思う。

しかし彼らには結果が見えていない。

一人が口にした。

そして、もう一人も飲んだ。

ほどなく二人の身体にも同じ異変が起こる。

「おい……」

「どうした」

「苦しい……」

吐き気。

呼吸困難。

けいれん。

身体が急速に悪化する。

昨日と同じだった。

そこで初めて、

酒そのものがおかしい。

という事実がはっきりする。

医師が呼ばれる。

救命処置が行われる。

しかし一人は助からなかった。

死亡した。

もう一人は重篤な状態となったものの、医師によって救命された。

資料では南澤長司、樋口春信という人物がこの毒入りウイスキーをめぐる一連の出来事に登場しており、樋口は中毒を起こしたものの救命されたとされる。ただし南澤長司を含む一部の人物名については、元資料画像の判読に再確認の余地があることも資料で自身が注意している。

三人が飲んだ。

三人とも異常を起こした。

一人が死亡した。

偶然などではない。

警察へ通報が入る。

一本のウイスキーは、ここで「酒」ではなく「証拠品」になった。

・犯人の生い立ち
・事件の前兆
・事件当日の詳細
・捜査
・逮捕
・裁判
・まとめ