荒川放水路バラバラ死体事件
事件概要
昭和二十七年五月。
戦争が終わってから、まだ七年しか経っていなかった。
四月二十八日にはサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は連合国軍による占領を終えたばかりだった。一方、五月一日には皇居前広場周辺で「血のメーデー事件」が発生し、東京にはまだ戦後特有の緊張と混乱が残っていた。
そんな東京の東側を流れる荒川放水路。
足立区本木町付近には、近所の子供たちが「日の丸プール」と呼ぶ浅い入り江があった。
正式なプールではない。
葦の生える、ただの水辺だった。
昭和二十七年五月十日。
その場所を訪れた少女たちは、水辺に不審な包みがあることに気づいた。
新聞紙などで包まれ、
麻ひもで縛られている。
かなり大きい。
最初は、
犬か猫の死骸ではないか。
そんなものに見えたのかもしれない。
しかし、包みの中から現れたものは、
動物ではなかった。
人間だった。
しかも、
完全な身体ではない。
首がない。
両腕がない。
両脚もない。
残されていたのは、
一人の成人男性の胴体だけだった。
少女たちは大人へ知らせた。
やがて西新井警察署へ連絡が入り、
現場へ警察官が集まった。
子供たちが遊んでいた水辺は、
一瞬にして殺人事件の現場へ変わった。
しかし、
警察には最初から大きな問題があった。
「この男は誰なのか」
顔がない。
指紋を取る手もない。
身元を示す衣服もない。
犯人は、
殺した男が誰なのか分からないようにするため、
意図的に身体を切り分けたのではないか。
捜査員はそう考えた。
司法解剖などから、
男性は比較的若い成人。
さらに首の付近には圧迫された痕跡が認められ、
生前に絞め殺された後、
身体を切断された可能性が高いと判断された。
事故ではない。
自殺でもない。
殺人。
しかも、
犯人は遺体を解体し、
複数の場所へ投棄した可能性がある。
西新井署に捜査本部が置かれた。
そして捜査員たちは、
荒川沿いを探し始める。
五月十五日。
頭部が発見された。
翌十六日。
今度は、
両腕が発見された。
そこで警察は、
決定的なものを手に入れる。
指紋。
警察の記録と照合した結果、
遺体の身元が判明した。
名前は、
伊藤忠夫。
警視庁志村警察署警ら係に勤務する、
現職の巡査だった。
そして、
伊藤忠夫の最も近くにいた人物として、
一人の女性が浮上する。
宇野冨美子。
二十六歳。
板橋区の志村第三小学校に勤務する、
小学校教師だった。
伊藤忠夫とは正式な婚姻届こそ提出していなかったものの、
事実上の夫婦として一緒に暮らしていた。
警察官の夫。
小学校教師の妻。
表面だけを見れば、
戦後の東京で新しい生活を築こうとしていた若い男女だった。
しかし、
家庭の中では、
酒。
借金。
外泊。
女性関係。
夫婦喧嘩。
暴力。
別れ話。
さまざまな問題が積み重なっていた。
かつて愛し合った二人の関係は、
いつしか修復困難なものになっていた。
そして五月七日の夜。
酒に酔って帰宅した伊藤忠夫と、
宇野冨美子の間で激しい口論が起きた。
その数時間後。
伊藤は眠った。
冨美子は、
細い麻ひもを手にした。
そして、
眠っている伊藤の首へ回した。
翌朝。
伊藤忠夫は死亡していた。
しかし、
事件はそこで終わらなかった。
冨美子は、
母の宇野鹿とともに、
遺体を隠すことを決めた。
成人男性の身体を、
家から人目につかず運び出すことは難しい。
そこで母娘は、
別の方法を選んだ。
身体を切り分ける。
両腕。
両脚。
頭。
胴体。
切断された遺体は包みにされ、
学校から借りた自転車などを使って、
何度かに分けて荒川へ運ばれた。
母娘は、
川がすべてを消してくれると考えたのかもしれない。
しかし、
荒川は証拠を消さなかった。
胴体。
頭。
腕。
脚。
一つずつ、
人間の身体を岸へ返していった。
警察は、
その身体をつなぎ合わせるように、
事件の全貌もつなぎ合わせていく。
そして五月十六日。
宇野冨美子は殺人容疑で緊急逮捕された。
翌日、
ついに彼女は認める。
「私がやりました」
こうして、
戦後東京を震撼させた、
荒川放水路バラバラ死体事件
の真相が明らかになったのである。
いつ・どこで起きたか
殺害が行われたのは、
昭和二十七年五月七日深夜から五月八日未明。
場所は、
宇野冨美子、
伊藤忠夫、
冨美子の母・宇野鹿、
そして冨美子の十四歳ほどの弟が暮らしていた、
東京の自宅だった。
一方、
事件が世間へ発覚したのは、
五月十日。
場所は、
東京都足立区本木町付近の荒川放水路。
子供たちから、
「日の丸プール」
と呼ばれていた水辺だった。
当時の荒川河川敷は、
現在ほど整備されていない。
葦が生え、
水辺には入り江や浅瀬もあった。
生活のすぐ隣を流れる川だった。
その川が、
事件では、
遺体を隠す場所として選ばれた。
母娘は、
夜間、
包みにした身体の一部を荒川へ運んだ。
資料には、
新荒川大橋
や、
戸田橋
などから投棄されたことが記録されている。
犯人側から見れば、
川は便利だった。
流れがある。
沈めば見えない。
遠くまで運ばれる。
しかし、
川は犯人の思い通りにはならない。
五月十日。
胴体。
五月十五日。
頭。
五月十六日。
両腕。
そして資料によれば、
五月十八日には、
残っていた両脚も発見されたとされる。
切り分けられた伊藤忠夫の身体は、
日を追うごとに、
荒川から戻ってきた。
・事件発覚まで
・犯人の生い立ち
・事件の前兆
・事件当日の詳細
・捜査
・逮捕
・裁判
・まとめ