明治33年 西暦1900年 旅商人を殺し、その肝を持ち去った二人の男 西暦1900年
商人は荷物を背負い、あるいは商品を携え、一つの村から次の村へ向かう。 日が暮れれば旅籠や知人宅へ泊まり、翌朝、再び街道を歩く。 そんな時代だった。 福島県白河地方にも、そうした旅人たちが行き交う道があった。 その街道を、一人の旅商人が歩いていた。 その男が、その日のうちに殺されることなど、本人はもちろん誰も知らなかった。 旅商人を殺したのは二人の男だった。
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商人は荷物を背負い、あるいは商品を携え、一つの村から次の村へ向かう。 日が暮れれば旅籠や知人宅へ泊まり、翌朝、再び街道を歩く。 そんな時代だった。 福島県白河地方にも、そうした旅人たちが行き交う道があった。 その街道を、一人の旅商人が歩いていた。 その男が、その日のうちに殺されることなど、本人はもちろん誰も知らなかった。 旅商人を殺したのは二人の男だった。
華やかな都市の裏側には、貧困、失業、窃盗、強盗、流れ者たちの影があった。 その昭和二年十一月、東京で一人の若い女性が殺害された。 被害女性の父親は、元陸軍少将の木田伊之助だった。 軍人として長く国家に仕え、少将まで昇進した人物の娘が、何者かに襲われて死亡し、さらに所持していた金品まで奪われていたのである。事件は単なる殺人ではなく、強盗殺人事件として捜査されることになった。 しかし、捜査開始時点で警察の手元に犯人へ直接つながるような決定的証拠があったわけではない。
現金を持っていても、店へ行けば好きなものを買える時代ではない。 むしろ農村が保管している米や籾の方が、紙幣以上に確実な価値を持つことさえあった。 そんな戦後の混乱期。 長野県下伊那郡市田村。 現在のような交通網も通信網もなく、山と田畑に囲まれた農村で、一家七人が一夜のうちに殺害された。 事件現場となったのは、市田村大島山部落にあった後沢家だった。 前年まで一家の主だった後沢倉蔵はすでに亡くなっていた。
大阪府北河内郡寝屋川町。 現在の寝屋川市周辺。 そこに一軒の家があった。 一家の主は、繩田芳次郎。六十歳。 繩田はベルトレーシング関係の工場を営んでいた。 工場だけではない。 そこには家族の生活があった。 五十代の妻。三十代の長男。長男の妻。十代の長女。 そして三歳ほどの幼い孫。 三世代。六人。 戦争が終わり、これから家業を立て直していかなければならない一家だった。 だが、この家にはもう一人の男がいた。
城野のアメリカ軍基地。 そこにはアメリカ陸軍第25歩兵師団第24歩兵連隊の兵士が集められていた。 その多くはアフリカ系アメリカ人兵士だった。 彼らは日本で平穏な占領勤務を続けるために城野へ来たわけではない。 海の向こう。朝鮮半島へ送られるためだった。 昭和二十五年六月二十五日。 朝鮮戦争が始まった。戦況は厳しかった。 北朝鮮軍は急速に南下し、韓国軍、そして国連軍は後退を余儀なくされていた。 日本はアメリカ軍にとって重要な後方基地となる。
鹿児島本線の下を流れる、川幅わずか四メートルほどの小川だった。 水の中に沈んでいたのは、薦で包まれた大きな荷物。 一つではない。二つあった。 少年たちは、最初、それが何なのか分からなかった。 戦後間もない時代である。川にはさまざまな物が捨てられた。 生活ごみ。壊れた道具。廃品。 誰かが不要になった荷物を捨てたとしても、それほど不思議ではなかった。 「なんやろ、これ」 一人の少年が包みへ近づいた。
大正四年の暮れ。高知県高岡郡梼原村。 現在の高知県高岡郡梼原町にあたる山間の村で、一人の女中が主人から年末賞与を受け取った。 女中の名は、輝。 彼女が奉公していたのは、村内でも資産家として知られていた中川政二郎の家だった。 土地の者たちは、中川政二郎を「政二郎旦那」と呼んでいた。 いわゆる素封家である。 現在でいう巨大企業の経営者や大財閥の当主という意味ではない。しかし村の中では相当に裕福な人物であり、土地や財産を持ち、日常的に多額の現金を扱う立場にあった。 その年の暮れ、政二郎は一年働いた輝へ褒美を渡した。 十円札だった。 現在の十円とは比較にならない。
冬の日暮れが早い十二月の夕方、一軒の銭湯が、いつもの時間になっても店を開けなかった。 当時、家庭に内風呂があることはまだ当たり前ではない。 夕方になれば、仕事を終えた男たちが手拭いを肩に掛けてやって来る。 母親は子供の手を引き、洗面器に石鹸や手拭いを入れて店へ向かう。 常連客ならば、何曜日の何時ごろに行けば誰がいるのかまで知っている。 銭湯は単なる入浴施設ではない。 町の人々の日常そのものだった。 ところが、その日だけは違った。 戸が開かない。