住む家を失った者がいる。

戦場から大量の復員兵が帰ってくる。

海外から引揚者も戻ってくる。

だが仕事は少ない。

工場は混乱し昭和21年・市田村一家七人殴殺強盗事件――五人の子供まで奪われた戦後長野の未解決大量殺人

事件概要

昭和二十一年五月九日。

一九四六年。

日本が太平洋戦争に敗れてから、まだ九か月ほどしか経っていなかった。

戦争は終わった。

しかし、日本社会が平和になったとは、とても言えない時代だった。

東京や大阪には焼け跡が残る。ている。

物資は足りない。

そして何より、人々は腹を空かせていた。

米。

麦。

芋。

籾。

食べ物そのものが財産だった。

現金を持っていても、店へ行けば好きなものを買える時代ではない。

むしろ農村が保管している米や籾の方が、紙幣以上に確実な価値を持つことさえあった。

そんな戦後の混乱期。

長野県下伊那郡市田村。

現在のような交通網も通信網もなく、山と田畑に囲まれた農村で、一家七人が一夜のうちに殺害された。

事件現場となったのは、市田村大島山部落にあった後沢家だった。

前年まで一家の主だった後沢倉蔵はすでに亡くなっていた。

その家には事件当時、

後沢平貞、三十八歳。

平貞の長男、

後沢好一、十二歳。

二男、

後沢利光、九歳。

長女、

後沢秀子、六歳。

三男、

後沢完雄、三歳。

平貞の妹、

小室一江、二十五歳。

そして一江の娘、

小室京子、三歳。

以上七人が暮らしていた。

大人は二人。

子供は五人。

まだ三歳の幼児が二人もいる家庭だった。

五月九日の夕方まで、七人は生きていた。

一家は山から帰宅した。

午後五時ごろだったとみられている。

午後七時ごろには夕食を済ませた。

それが、警察が後に再構成した後沢一家の最後の生活だった。

その夜。

何者かが後沢家へ入った。

そして斧のような凶器で、七人の頭部や顔面を一人ずつ襲った。

一回。

あるいは二回。

激しい打撃。

子供であっても容赦されなかった。

十二歳。

九歳。

六歳。

三歳。

三歳。

犯人は五人の子供まで残さなかった。

翌五月十日の夕方。

隣組の葬儀を知らせるため近所の女性が後沢家を訪れた。

彼女の名は、

青山ヨシヲ、三十二歳。

ヨシヲは外から声をかけた。

「お貞さん」

返事がない。

もう一度呼ぶ。

それでも誰も答えない。

子供が五人もいる家だった。

誰一人声を返さない。

不自然だった。

ヨシヲは家の中をのぞいた。

薄暗い室内。

その向こうに、人間らしいものが横たわっている。

小室一江ではないか。

ただ眠っているようには見えない。

やがて近所の人々が集まり、家の中を確認した。

一人ではない。

二人。

三人。

子供。

さらに子供。

最後には、

一家七人全員が死亡している

ことが分かった。

室内は物色されていた。

籾などの食料がなくなっている。

現金もない。

資料には、

一万円

が盗まれていたことも記されている。

昭和二十一年当時の一万円は、現在の一万円とは生活上の重みがまるで違う。

警察は、

金品と食糧を狙った強盗殺人

の可能性が高いと判断した。

そして飯田警察署、長野県警察部による大規模捜査が始まる。

三十五人の専従捜査員。

親族。

知人。

近隣住民。

食糧関係者。

闇取引関係者。

村へ出入りした人物。

前科者。

犯行後に急に金回りが良くなった者。

あらゆる可能性が調べられた。

一時は警察が強く疑う人物まで浮上した。

しかし、

その人物を犯人と断定する証拠がなかった。

一年。

一年半。

さらに事件から二年後には、県本部の捜査員が現地へ入り、事件記録を一から調べ直した。

それでも犯人は捕まらなかった。

七人が死んだ。

凶器はある程度推定された。

盗まれた物も分かった。

殺害時間も絞られた。

強盗目的という見方も固まった。

それなのに、

「誰がやったのか」

だけが、最後まで分からなかった。

いつ・どこで起きたか

事件が起きたのは、

昭和二十一年五月九日の夜。

場所は、

長野県下伊那郡市田村、大島山部落。

天竜峡線、市田駅を玄関口とする農村地域だった。

山がある。

畑がある。

農家が点在する。

昼間なら人が農作業をしている。

子供が外で遊ぶ。

人と人との距離が現在より近い農村共同体である。

後沢家も、その集落に暮らす普通の農家だった。

前年に後沢倉蔵が亡くなり、その後は平貞を中心として一家が生活していた。

事件の日。

五月九日。

後沢家の者たちは山へ出かけていた。

午後五時ごろ帰宅。

日中の作業を終え、家へ戻る。

子供たちもいる。

夕食の支度をする。

午後七時ごろ、一家は食事を済ませたとみられている。

再現するならば、

「好一、もう食べたの」

「うん」

「利光、こぼさないで」

「秀子、弟を見てて」

そんな家族の日常があったかもしれない。

これは資料に残された会話ではない。

しかし三歳児が二人、六歳、九歳、十二歳の子供がいる家である。

夕食時には子供の声があったはずだ。

その食卓が、

一家七人にとって最後の食事となった。

外は次第に暗くなる。

昭和二十一年。

現在のような街灯はない。

農村の夜は暗い。

家から少し離れれば、ほとんど闇だった。

そして、その夜。

何者かが後沢家へ近づいた。

・事件発覚
・事件の前兆
・事件当日の詳細
・捜査
・まとめ