昭和21年 市田村一家七人殴殺強盗事件 五人の子供まで奪われた戦後長野の未解決大量殺人
現金を持っていても、店へ行けば好きなものを買える時代ではない。 むしろ農村が保管している米や籾の方が、紙幣以上に確実な価値を持つことさえあった。 そんな戦後の混乱期。 長野県下伊那郡市田村。 現在のような交通網も通信網もなく、山と田畑に囲まれた農村で、一家七人が一夜のうちに殺害された。 事件現場となったのは、市田村大島山部落にあった後沢家だった。 前年まで一家の主だった後沢倉蔵はすでに亡くなっていた。
昭和・平成・令和に起きた事件を記録するノンフィクション・アーカイブ
現金を持っていても、店へ行けば好きなものを買える時代ではない。 むしろ農村が保管している米や籾の方が、紙幣以上に確実な価値を持つことさえあった。 そんな戦後の混乱期。 長野県下伊那郡市田村。 現在のような交通網も通信網もなく、山と田畑に囲まれた農村で、一家七人が一夜のうちに殺害された。 事件現場となったのは、市田村大島山部落にあった後沢家だった。 前年まで一家の主だった後沢倉蔵はすでに亡くなっていた。
当初、この出来事は一家六人を巻き込んだ悲惨な住宅火災と考えられた。 真冬の深夜である。一家は眠っていた。 木造家屋は猛烈な勢いで燃え上がった。 逃げる間もなく煙と炎に巻かれた――。 それだけならば、不幸な火災事故として処理されてもおかしくなかった。 ところが、焼け跡を調べ始めた警察官たちは、次第に説明のつかない事実に突き当たっていく。
1999年12月21日。 京都市伏見区。 冬休みを目前にした京都市立日野小学校の校庭では、放課後を迎えた子どもたちがいつものように遊んでいた。 この日は、学校で保護者と担任による個人懇談会も行われていた。 校庭にはおよそ30人の児童が残っていた。 その中に、小学2年生の中村俊樹くん、7歳(仮名)がいた。 俊樹くんは、校庭北側にあるジャングルジムの近くで同級生と遊んでいた。 そこへ、一人の若い男が近づいてくる。