光市母子殺害事件
18歳30日の少年が奪った母子の命と、13年に及んだ死刑裁判
■事件概要
1999年4月14日。
平成11年。
山口県光市。
新日本製鐵光製鐵所の社宅として使われていた「沖田アパート」で、23歳の母親と、生後11か月の娘が殺害された。
事件当時、犯人は18歳30日。
名前は福田孝行。
高校を卒業してから、まだ一か月もたっていなかった。
地元の配管工事会社に就職し、4月1日から見習いとして働き始めたばかりだった。
しかし4月9日には会社を欠勤。
4月13日にも欠勤。
友人宅やゲームセンターで遊んでいた。
そして事件当日の4月14日も、福田は仕事を休むことにした。
父親や継母には欠勤を知られたくなかった。
午前7時ごろ、会社の作業服を着る。
出勤するふりをして家を出る。
だが職場へは向かわない。
友人宅などで遊び、いったん自宅へ戻って昼食を食べ、再び外出した。
この午後、福田は仕事をさぼって遊ぶだけでは終わらなかった。
裁判資料によれば、福田は以前から性行為への強い興味を募らせ、
「美人の奥さんと無理やりでも性行為をしたい」
という趣旨の考えを抱いた。
そして、同じ社宅群の中にある住居を訪ね歩いた。
排水検査の作業員を装う。
会社の作業服を着ている。
水回りを確認する仕事だと言えば、住民は警戒を解きやすい。
福田はアパートの複数の棟を回り、若い主婦が一人でいる部屋を物色した。
犯行前には布テープや紐なども携帯していた。
殺害そのものを最初から計画していたと裁判所は認定していない。
しかし、性的暴行を目的として女性を探し、作業員を装い、住居へ入るための道具を持っていたことについては、計画性が認められている。
午後2時20分ごろ。
福田はアパート7棟の一室を訪ねた。
そこにいたのが、23歳の本森弥香――本稿上の仮名――だった。
弥香は、生後11か月の長女・夕奈と自宅にいた。
夫の洋平は仕事で留守だった。
呼び鈴が鳴る。
作業服を着た若い男。
「排水検査です」
弥香は、社宅の設備関係の作業員だと思った。
福田を室内へ入れた。
その選択に落ち度があったわけではない。
作業服を着た人間が設備点検を名乗れば、社宅に住む人が信用することは不自然ではない。
福田は室内に入ると、トイレなどの排水を点検するふりをした。
そして午後2時30分ごろ。
弥香の背後から抱きついた。
突然襲われた弥香は声を上げた。
抵抗した。
身体を動かし、福田を振り払おうとした。
福田は弥香を仰向けに倒し、馬乗りになった。
裁判資料では、弥香が激しく抵抗したため、福田は殺害した上で性的目的を遂げようと決意したと認定されている。
両手を首にかける。
強く締める。
弥香は抵抗を続けた。
その近くには、まだ生後11か月の夕奈がいた。
母親の異変に気づいたのか、夕奈は激しく泣いていた。
それでも福田は首を締め続けた。
やがて弥香は動かなくなる。
窒息死。
23歳だった。
福田は、その後、弥香の身体に性的暴行を加えた。
事件は、それだけでは終わらなかった。
午後3時ごろ。
夕奈が泣き続けていた。
近隣住民が泣き声を聞けば、事件が発覚するかもしれない。
福田はそれを恐れた。
さらに、泣き止まない乳児に腹を立てた。
裁判資料によれば、福田はいったん夕奈をあやしたり、別の場所へ移したりしたものの、泣き止まないことに激高し、殺害を決意した。
夕奈を床へ叩きつける。
両手で首を締めようとする。
それでも十分に殺害できなかったため、持ってきた紐を首に二重に巻き、強く引いた。
生後11か月の夕奈も窒息死した。
母親と娘。
二人とも、家族が最も安全だと思っていた自宅で殺された。
福田は犯行後、遺体を隠した。
夕奈の遺体を押入れの上部へ入れる。
弥香の遺体を押入れの下段へ隠す。
自分の指紋が残っている可能性のある物を持ち出す。
さらに財布を盗んだ。
財布には現金約300円と、額面合計約6000円相当の地域振興券などが入っていたとされる。
福田は盗んだ地域振興券を使い、カードゲーム用のカードや菓子などを購入した。
母子を殺害したその日。
福田は何事もなかったように、再び日常へ戻ろうとした。
しかし夕方。
仕事を終えた洋平が帰宅する。
いつもなら、妻がいる。
娘がいる。
夕食やテレビや子どもの泣き声がある。
だが、その日、家の中には異様な静けさがあった。
洋平は妻を探した。
そして押入れの中で弥香の遺体を発見した。
110番通報。
駆けつけた光警察署の警察官が、押入れ上部から夕奈の遺体を発見した。
こうして事件は発覚した。
山口県警は捜査本部を設置。
事件から4日後。
4月18日。
福田孝行は殺人容疑で逮捕された。
その後、家庭裁判所を経て検察官送致、いわゆる逆送となる。
6月11日。
福田は殺人、強姦致死、窃盗の罪で起訴された。
刑事裁判では死刑が求刑された。
しかし2000年の山口地裁は無期懲役。
2002年の広島高裁も無期懲役を維持。
検察は最高裁へ上告した。
2006年。
最高裁は無期懲役判決を破棄し、広島高裁へ差し戻すという異例の判断をした。
差し戻し後の裁判では、福田側はそれまでとは大きく異なる説明を始めた。
強姦目的ではなかった。
母親を思い出して甘えたかった。
乳児の首の紐は殺すためではなく、蝶々結びをしようとした。
遺体を押入れへ入れたのは、漫画の登場人物に助けてもらえると思った。
死後の性的行為は、小説にある「復活の儀式」のつもりだった。
そうした主張が法廷に現れた。
しかし裁判所は認めなかった。
2008年4月22日。
広島高裁は死刑判決。
弁護側は上告した。
2012年2月20日。
最高裁第一小法廷は上告を棄却。
同年3月16日。
死刑が確定した。
事件発生から13年。
一人の母親と乳児を奪った事件は、少年法、死刑制度、更生可能性、犯罪被害者の権利をめぐって、日本社会全体を巻き込む裁判となった。
■いつ・どこで起きたか
事件発生日は1999年4月14日。
場所は山口県光市室積沖田。
新日本製鐵光製鐵所の社宅として使われていた沖田アパート。
福田の自宅も同じ社宅群にあった。
事件現場との距離は約200メートルとされる。
つまり、犯人は遠方から来た侵入者ではない。
同じ生活圏にいた。
被害者一家と加害者一家の生活は、遠く離れていなかった。
福田の父親は新日鐵で働いており、被害者側の夫・洋平も同じ職場にいたとする資料がある。
同じ会社。
同じ社宅。
同じ地域。
犯人にとって、現場は見知らぬ土地ではなかった。
事件当日、洋平は仕事へ出ていた。
弥香は23歳。
夕奈は生後11か月。
昼間の社宅。
母親と乳児だけの部屋。
福田はその環境を狙った。
裁判資料によれば、福田は10棟から7棟にかけて複数の部屋を訪ね、若い主婦が一人で留守を守る部屋を物色した。
そして午後2時20分ごろ、本森家を訪問。
午後2時30分ごろ、弥香へ襲いかかった。
午後3時ごろには夕奈を殺害した。
同じ日の夕方、夫が帰宅して事件が発覚する。
犯行に使われた時間は長い人生から見ればわずかなものだった。
しかし、その数十分によって、一つの家庭は完全に壊された。
■事件発覚まで
4月14日の朝。
洋平は、いつものように仕事へ向かった。
弥香と夕奈が家に残る。
洋平
「行ってくるよ」
弥香
「いってらっしゃい」
ごく普通の朝だったはずである。
若い夫婦。
生まれてまだ11か月の娘。
育児は大変でも、子どもは少しずつ成長する。
つかまり立ち。
笑う。
泣く。
食べる。
眠る。
これから何年も続くはずだった家庭生活。
そのすぐ近くで、福田は会社をさぼっていた。
午前7時ごろ。
作業服で出勤を装う。
友人宅へ行く。
ゲームなどで遊ぶ。
昼食のためいったん自宅へ戻る。
その後、再び外へ出る。
午後。
福田の頭に、性的暴行への欲望が具体的な行動として現れた。
裁判資料では、福田は中学3年ごろから性行為への興味を強め、早く経験したいという気持ちを蓄積させていたとされる。
18歳。
高校卒業。
就職。
本来なら生活を自分で支え始める時期。
しかし福田は、社会的な責任より、自分の欲望を優先した。
ただ、ここで重要なのは、「強い性欲があったから事件が起きた」という単純な話ではない。
多くの人間は性的欲求を持つ。
欲求があっても、他者の意思を踏みにじらない。
拒絶されれば止まる。
相手にも人生があり、身体があり、選択する権利があると理解する。
福田は、その境界線を越えた。
しかも衝動のまま一つの部屋へ飛び込んだわけではない。
作業服。
排水検査という偽装。
布テープ。
紐。
複数の住居を訪ねる。
若い女性が一人でいる部屋を探す。
裁判所が性的暴行について計画性を認めたのは、この一連の行動があったためである。
福田は初めから殺人を計画していたとは認定されていない。
だが、女性の意思を無視して性的行為を行おうとする意思は、部屋に入る前から存在していた。
午後2時20分。
本森家の呼び鈴が鳴る。
【資料に基づく趣旨】
福田
「排水検査です」
弥香は扉を開けた。
目の前には作業服を着た若者。
社宅。
設備点検。
疑う理由はほとんどない。
弥香は福田を中へ入れた。
この瞬間、事件は外から見えなくなった。
玄関の扉が閉まる。
その中にいるのは、23歳の母親。
11か月の乳児。
18歳の男。
福田は水回りを見るふりをする。
トイレを確認するような動作。
排水検査をしているように振る舞う。
そして弥香を見た。
若く、かわいい女性だと思った。
欲望を抑えられない。
午後2時30分ごろ。
背後から抱きつく。
弥香は叫ぶ。
弥香
「何するんですか!」
身体を振る。
逃げようとする。
福田は後ろへ引き倒す。
弥香は仰向けになる。
福田が馬乗りになる。
ここで、福田にはまだやめる機会があった。
部屋を出ることもできた。
逃げることもできた。
謝罪し、犯罪を未遂で終わらせることもできた。
しかし弥香が激しく抵抗すると、福田は別の選択をする。
殺害。
弥香を殺してでも目的を遂げる。
その判断だった。
両手で首を絞める。
裁判資料には、喉付近を強く押さえ、全体重をかけるように首を締め続けたと認定されている。
弥香は激しく身体を動かす。
福田を振り落とそうとする。
夕奈が近くまで這ってきて泣き叫ぶ。
母親が苦しんでいる。
乳児が泣く。
それでも福田は止まらない。
やがて弥香の身体は動かなくなる。
窒息。
23歳の人生がそこで終わった。
その後、福田は口にテープを貼るなどし、身体を拘束し、性的暴行を加えた。
裁判で認定された事実は、それだけでも極めて残酷だった。
しかし部屋には、まだ夕奈がいた。
午後3時ごろ。
母を失ったことを理解できる年齢ではない。
ただ泣く。
激しく泣く。
福田は近隣住民に聞かれることを恐れた。
抱いてあやす。
場所を変える。
それでも泣き止まない。
福田は苛立った。
そして殺害を決める。
小さな身体を床へ叩きつける。
首を締める。
さらに紐を巻く。
強く引く。
夕奈は窒息死した。
11か月。
まだ歩くことも、言葉を話すことも十分にはできない年齢だった。
福田は、その後二人の遺体を押入れに隠した。
ここでも、犯行後の判断には明確な意味がある。
見つかりにくくする。
発覚を遅らせる。
自分が逃げる時間を作る。
さらに、指紋が付着した可能性のある物品を持ち出した。
財布も盗む。
現金。
地域振興券。
そして部屋を出た。
その後、盗んだ地域振興券はカードや菓子の購入などに使われた。
犯行現場では母子二人が死んでいる。
一方、福田は社宅の外で再び日常を装う。
この落差も、後の裁判で犯行後の情状として厳しく見られることになる。
そして夕方。
洋平が帰宅した。
妻の姿が見えない。
娘の声もしない。
不自然。
探す。
押入れ。
弥香。
洋平は妻の遺体を発見した。
何が起こったのか理解するより先に、目の前の現実があった。
洋平
「弥香……?」
返事はない。
110番。
警察官が来る。
室内を調べる。
押入れの上部。
そこに夕奈がいる。
しかし、もう生きていない。
夫は一日の仕事へ出ただけだった。
朝までそこにいた家族。
数時間後には二人とも死亡していた。
事件は、ここで初めて外の世界へ現れた。
・犯人の生い立ち
・事件の前兆
・当日の詳細
・逮捕・裁判
・判決・まとめ