名古屋・闇サイト殺人事件
見知らぬ三人がネットで集まり、数日後に一人の女性を奪った夜

事件概要

 2007年8月24日から25日にかけて、愛知県名古屋市周辺で、一人の会社員女性が見ず知らずの男三人に拉致され、監禁され、金品を奪われた末に殺害された。

 一般に「闇サイト殺人事件」と呼ばれる事件である。

 事件の異様さは、犯人三人が長年の仲間でも、同じ暴力団の構成員でも、幼なじみでもなかったという点にある。

 神田司。

 堀慶末。

 川岸健治。

 三人は、インターネット上に存在した「闇の職業安定所」、通称「闇の職安」と呼ばれるサイトを通じて知り合った。

 そこは通常の求人サイトではない。

 裏社会的な仕事。

 詐欺。

 盗み。

 犯罪の協力者探し。

 そうした書き込みが行われる場所として利用されていた。

 彼らは互いの素性をよく知らなかった。

 本名さえ明かさない者がいた。

 犯罪歴を誇張した。

 暴力団とのつながりを吹聴した。

 相手から「弱い人間」と思われたくないために、虚勢を張った。

 その虚勢が、やがて現実の犯罪計画へ変わっていった。

 事件当時36歳の神田司。

 32歳の堀慶末。

 40歳の川岸健治。

 三人に共通していたのは、安定した生活から遠ざかり、金に困っていたことだった。

 彼らが求めていたのは、汗を流して得る賃金ではなかった。

 短時間で大金を手に入れる方法。

 盗む。

 脅す。

 奪う。

 拉致する。

 そして、顔を見られれば殺す。

 その発想に、三人はわずかな期間でたどり着いた。

 彼らは最初から「この女性を殺そう」と特定の被害者を狙っていたわけではない。

 標的は誰でもよかった。

 むしろ、その無差別性こそが事件の恐ろしさだった。

 条件に合う女性を街で探す。

 金を持っていそう。

 一人暮らしに見える。

 若い。

 地味な服装。

 夜道を一人で歩いている。

 たったそれだけで、命を狙われる。

 2007年8月24日午後11時ごろ。

 三人の車の前方から、一人の女性が歩いてきた。

 本稿で「磯村理恵」と呼ぶ、当時31歳の会社員だった。

 理恵はその日、いつもの生活の延長線上を歩いていた。

 犯罪者と関係があったわけではない。

 危険な取引をしていたわけでもない。

 闇サイトを利用していたわけでもない。

 ただ仕事を終え、自宅へ帰ろうとしていただけだった。

 自宅までは、もう数十メートルほどだった。

 しかし、その短い距離の途中で、人生が断ち切られる。

 午後11時10分ごろ。

 堀慶末が車を降りた。

 道を尋ねるふりをした。

 理恵が足を止めた。

 その瞬間、背後から口を塞いだ。

 腹部付近を押さえ、抱え込む。

 車内へ押し込む。

 神田も車の中から加勢した。

 理恵の右手には手錠が掛けられた。

 口には粘着テープが貼られた。

 彼女は車の床に座らされ、そのまま連れ去られた。

 拉致からわずか15分ほど後。

 理恵が「吐きそう」と訴えたことで、川岸は車を停められる場所を探した。

 到着したのは、愛知県愛西市にある国道155号沿いのレストランの屋外駐車場。

 そこが殺害現場となった。

 三人は理恵から現金約6万2000円、バッグ、キャッシュカードなどを奪った。

 さらに預金を引き出すため、暗証番号を聞き出そうとした。

 理恵は容易には答えなかった。

 堀は刃渡り約18.6センチの包丁を示した。

堀慶末
「本当に帰れなくなっちゃうよ」

堀慶末
「5分で思い出さないと刺しちゃうぞ」

 それでも理恵は抵抗した。

 やがて、理恵は4桁の番号を口にした。

 「2960」。

 三人は、それが本当の暗証番号だと思った。

 だが、偽の番号だった。

 後に家族は、理恵が数字の語呂合わせを好んでいたことから、「2960」は「憎むわ」という意味だったのではないかと語っている。

 命を奪われる直前まで、彼女は自分の財産を守ろうとした。

 資料によれば、その口座には約890万円があった。

 それは豪遊するための金ではなかった。

 女手一つで自分を育てた母親に家を買うため、理恵が毎月の給料から少しずつ貯めていた金だった。

 しかし三人は、その事情を知らない。

 通帳の数字しか見ていなかった。

 神田はその金額を知ったとき、その金を元手に覚醒剤を仕入れ、売買する組織を作ることまで口にしたとされる。

 そして、三人は口封じのために理恵を殺害した。

 絞殺を試みる。

 ロープ。

 金槌。

 粘着テープ。

 ビニール袋。

 殺害方法は一つでは終わらなかった。

 理恵は途中で命乞いをした。

磯村理恵(仮名)
「殺さないで、殺さないって言ったじゃない」

磯村理恵(仮名)
「お願いします、殺さないで、死にたくない」

 しかし、その訴えは止める理由にならなかった。

 理恵は窒息死した。

 その後、三人は遺体を車に乗せたまま移動した。

 返り血を拭き取った。

 服を買い替えた。

 奪った現金を三人で分けた。

 ATMで預金を引き出そうとした。

 そして、岐阜県瑞浪市の山林に理恵の遺体を遺棄した。

 さらに恐ろしいことに、三人はそこで終わるつもりではなかった。

 暗証番号が間違っていて預金を引き出せなかったため、その日の夜、再び別の女性を拉致し、金を奪い、殺害する計画を立てた。

 もし一人が自首しなければ、第二、第三の被害者が出ていた可能性がある。

 事件は、川岸健治の自首によって発覚した。

 翌26日未明までに三人は逮捕された。

 その後の裁判では、被害者が一人である事件で死刑を適用するかが大きな争点となった。

 2009年3月18日。

 名古屋地方裁判所は神田司と堀慶末に死刑。

 川岸健治に無期懲役を言い渡した。

 神田は控訴したが、自ら取り下げ、2009年4月13日に死刑が確定。

 2015年6月25日、名古屋拘置所で死刑が執行された。

 堀については、控訴審で死刑判決が破棄され、闇サイト殺人事件については無期懲役が確定した。

 しかし後に、1998年の碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件などへの関与がDNA鑑定から判明。

 別事件で死刑判決を受け、2019年8月に死刑が確定した。

 川岸は自首が事件解決へ大きく寄与したことなどから無期懲役となり、その刑が確定した。

 インターネット上で知り合った、互いの素性さえ十分知らない三人。

 彼らが出会ってから、理恵を殺害するまで、長い年月は必要なかった。

 数日でよかった。

 それが、この事件の最も不気味な部分である。

【主な登場人物】

 神田司。
 事件当時36歳。群馬県高崎市出身。新聞勧誘員。三人の中でも殺害計画や実行で重要な役割を果たしたと認定された。闇サイト殺人事件で死刑が確定し、2015年に死刑執行。

 堀慶末。
 事件当時32歳。岐阜県出身。事件前から借金を抱え、闇サイトで金になる仕事を探していた。理恵の拉致、脅迫、殺害に積極的に関与。闇サイト殺人事件では最終的に無期懲役となったが、後に別の夫婦強盗殺人事件などが発覚し、死刑が確定。

 川岸健治。
 事件当時40歳。石川県金沢市出身。運送業や警備業などを転々とし、事件直前は車中生活をしていた。犯行車の日産リバティを運転。殺害後、警察へ自首し、事件を発覚させた。無期懲役。

 磯村理恵(仮名)。
 事件当時31歳。名古屋市内で働く会社員。事件とは何の関係もない一般市民だった。帰宅途中、自宅近くで三人に無差別に選ばれて拉致され、殺害された。

 磯村富江(仮名)。
 理恵の母親。娘を女手一つで育てた。事件後、三被告への極刑を求める署名活動を続け、5年間で33万人を超える署名を集めた。

 佐藤和也(仮名)。
 理恵と生前交際していた男性。裁判では母親とともに証言し、理恵が伝えた暗証番号「2960」に込められた意味について語った。

 「杉浦」。
 事件直前まで一時的にグループに加わっていた人物。犯罪計画の一部に参加したが、強盗殺人への参加には消極的で、最終的に神田ら三人とは別れた。添付資料では実名が確認できない。

いつ・どこで起きたか

 事件は2007年8月24日深夜から25日未明にかけて発生した。

 しかし、実際にはその数日前から、犯罪計画は始まっていた。

 最初の重要な場所は、インターネット上の「闇の職業安定所」。

 現実の場所で三人が出会う以前に、犯罪への入口は携帯電話の画面の中にあった。

 そして事件当日、現実世界で大きく三つの場所が舞台になる。

 一つ目は、名古屋市千種区春里町2丁目4番地の1付近の路上。

 理恵が拉致された場所である。

 そこは理恵の自宅から徒歩1分ほど。

 わずか数十メートル先には自宅があった。

 理恵の母校だった自由ヶ丘小学校の目の前でもあった。

 周辺は住宅や団地が並ぶ高台。

 街灯も整備され、地元では比較的安全な道と考えられていた。

 しかし夜間は人通りが少なかった。

 午後11時10分ごろ。

 その「安全な道」で、理恵は車へ押し込まれた。

 二つ目は、愛知県愛西市佐屋町西新田にあったレストランの屋外駐車場。

 国道155号沿い。

 レストランの建物とは国道を隔てた第二駐車場の奥だった。

 拉致から約15分後、理恵が吐き気を訴えたことで車が入った場所だった。

 そこが偶然、殺害現場になった。

 三つ目は、岐阜県瑞浪市稲津町小里の山林。

 理恵の遺体が遺棄された場所である。

 県道33号から奥へ入った林道付近。

 車両の侵入が制限されるような山道の脇。

 人目を避けて遺体を捨てるには適していると三人が判断した場所だった。

 事件は、名古屋市の住宅街で始まり、愛西市の駐車場で殺害に至り、岐阜県瑞浪市の山中で遺体遺棄へ続いた。

 その距離の間、理恵はずっと車の中にいた。

 そして、彼女の家族は、理恵が自宅まであとわずかという場所で連れ去られたことを知らなかった。

事件発覚まで

 理恵が拉致された時、目撃者はいなかった。

 午後11時10分ごろ。

 堀が道を尋ねるふりをする。

 理恵が立ち止まる。

 背後から抱える。

 口を塞ぐ。

 車に押し込む。

 ほんの短時間の出来事だった。

 そのまま車は走り去った。

 周辺は住宅地だったが、夜遅く、人通りが少なかった。

 拉致された場所は理恵の自宅から数十メートルしか離れていない。

 つまり、あと少し歩いていれば家に着いていた。

 しかし、その「あと少し」が届かなかった。

 理恵は車内で手錠を掛けられ、口を塞がれ、自由を奪われた。

 愛西市の駐車場で所持品を奪われる。

 暗証番号を要求される。

 包丁で脅される。

 殺害される。

 そして遺体は車の三列目シートへ移された。

 タオルや荷物を掛けて隠された。

 三人は車内の返り血を拭いた。

 堀の身体に付着した血を洗うため、水を買った。

 服にも血が付着していたため、一宮市内の店で着替えを購入した。

 午前2時56分ごろ。

 小牧市内のATMで、理恵から奪ったキャッシュカードを使用しようとした。

 しかし時間外で、引き出せなかった。

 そこで三人は、先に遺体を捨てることにした。

 瑞浪市へ向かう。

 途中でスコップを入手する。

 午前4時40分ごろ。

 山林に理恵の遺体を運ぶ。

 ガードレールの向こう側へ遺体を移す。

 土を掛ける。

 完全に埋めるというより、発見を遅らせるような粗雑な遺棄だった。

 その後も彼らの関心は、被害者の死ではなく金にあった。

 午前9時10分ごろ。

 知立市内の銀行でキャッシュカードを使う。

 「2960」。

 違う。

 別の番号を試す。

 違う。

 午前10時35分ごろ。

 名古屋市南区内のコンビニATMでも試した。

 それでも引き出せない。

 そして三人は、信じがたい判断をする。

 今夜、もう一度やろう。

 別の女性を拉致する。

 暗証番号を聞き出す。

 金を奪う。

 最後は殺す。

 一人の命を奪った十時間ほど後、彼らは次の被害者を探すことを決めていた。

 しかし、その計画は実行されなかった。

 川岸健治の心境が変化した。

 三人と別れた川岸は、名古屋市緑区の大型ショッピングセンター「有松ジャンボリー」の駐車場へ入った。

 仮眠を取ろうとしていたとされる。

 午後1時30分。

 川岸は自ら愛知県警察本部へ電話を掛けた。

川岸健治
「女性を拉致して金を奪い、岐阜県に埋めた」

 この電話で、まだ警察が把握していなかった殺人事件が突然姿を現した。

 警察官は川岸に、その場を動かないよう伝えた。

 午後2時17分。

 緑警察署から派遣された警察官七人が川岸の身柄を確保。

 事情聴取後、川岸は警察を岐阜県瑞浪市の山林へ案内した。

 午後7時10分ごろ。

 川岸の供述通り、女性の遺体が見つかった。

 下半身付近に土が掛けられた状態だった。

 ここで初めて、理恵の失踪は殺人事件として警察の目の前に現れた。

 そして川岸は、共犯者が二人いることを明かした。

 神田司。

 堀慶末。

 さらに三人は、その日の夜にもう一度女性を襲う計画を立てていた。

 警察は、その「第二の犯行計画」を逆に利用して二人を確保することになる。

・犯人の生い立ち
・事件の前兆
・当日の詳細
・捜査 逮捕
・裁判
・判決
・まとめ