名古屋市西区主婦殺害事件
26年間残された血痕と、突然浮かび上がった高校時代の同級生
事件概要
1999年11月13日。
名古屋市西区稲生町5丁目にあるアパートの一室で、当時32歳の主婦、高原奈美代が殺害された。
奈美代は首などを鋭利な刃物で複数回刺され、失血死したとされる。
発見されたとき、彼女はトレーナーとジーパン姿だった。
廊下から居間へ体を投げ出すような格好で、うつぶせに倒れていた。
首からは血が流れていた。
部屋の中には、当時2歳1か月だった長男・航太もいた。
幼い航太は無傷だった。
しかし、事件はその幼い子どもの目の前で起きたとみられている。
母親が刃物で襲われる。
激しい物音。
もみ合い。
血。
そして、動かなくなった母親。
わずか2歳の子どもが、その場に残されていた。
被害者宅には、金品を探したような形跡がなかった。
何かを盗むために侵入した強盗事件とは様子が違っていた。
さらに奇妙だったのは、犯人自身も負傷したとみられる血痕が残されていたことである。
被害者宅の洗面所。
そして、現場から約500メートル離れた稲生公園の手洗い場付近。
そこには、犯人が自分の手についた血を洗ったとみられる痕跡が残っていた。
犯人は奈美代ともみ合う中で、左右どちらかの手に傷を負ったと推定された。
その血は、事件から長い年月が経ったあとも消えなかった。
血液型はB型。
そしてDNA。
26年後、その血痕が逮捕へつながる決定的な証拠となる。
事件は長期間、未解決のままだった。
警察は犯人を「当時40歳から55歳くらいの女」と推定した。
現場付近には、かかとの高い24センチの婦人靴の足跡が残されていたとされる。
韓国製の量販品だった。
現場には、被害者一家が普段飲まない乳酸菌飲料も残されていた。
しかも、その商品は被害者宅周辺では販売されておらず、約35キロ離れた西三河地区で販売されていたものだったという。
女。
B型。
24センチの婦人靴。
負傷した手。
乳酸菌飲料。
逃走経路。
数多くの断片があった。
それでも犯人の名前には届かなかった。
そして26年が過ぎた。
2025年10月31日。
愛知県警は、名古屋市港区に住むアルバイトの安福久美子、当時69歳を殺人容疑で逮捕した。
安福は、被害者本人の古い友人だったわけではない。
驚くべき接点は、奈美代の夫、高原悟志にあった。
安福久美子と悟志は、高校時代の同級生だった。
一部資料では、愛知県立惟信高校で、二人は同じソフトテニス部に所属していたとされている。
さらに、安福は高校時代、悟志に好意を寄せていた。
バレンタインにチョコレートを渡した。
手紙も渡した。
告白もした。
しかし悟志は、その思いに応えなかった。
高原悟志(仮名)
「彼女から告白を受けていたので、それには応えられなかったので」
それから二十年以上が過ぎた。
悟志は結婚した。
妻がいた。
幼い息子もいた。
そして1999年11月13日、悟志が仕事で家を離れている間に、妻の奈美代が殺された。
2025年、警察から犯人逮捕を知らされた悟志は、その名前を聞く前に、相手を絞り込んでいったという。
高校の同級生。
軟式テニス部。
そこまで聞いたとき、悟志の頭には一人しか浮かばなかった。
安福久美子だった。
26年間、夫は犯人を追い続けた。
殺害現場となった部屋も、自費で借り続けた。
血痕も、玄関も、廊下も、事件当時の空間そのものも、可能な限り残された。
長い年月の中で、人は老いる。
建物は傷む。
記憶も薄れる。
しかし、この事件では、現場そのものが26年間残り続けた。
そして最後には、その執念にも似た保存が、逮捕後の現場検証を支えることになった。
いつ・どこで起きたか
事件が起きたのは、1999年11月13日。
場所は愛知県名古屋市西区稲生町5丁目。
現場は、高原一家が暮らしていたアパートの一室だった。
愛知県警による正式名称として資料に記されているのは、「名古屋市西区稲生町5丁目地内における主婦殺人事件」。
犯行時間は、正午から午後1時までの間とみられている。
その日の朝、夫の悟志は午前9時ごろ、仕事のため家を出た。
家には妻の奈美代と、2歳1か月の息子・航太が残った。
午前11時ごろ、奈美代は航太を連れ、近所の病院へ出かけた。
その後帰宅したとみられる。
正午ごろまで、アパート北側に隣接する駐車場では住民が車の手入れをしていた。
その人物は、不審者の姿を見ていなかったという。
別の住民は、正午から午後1時ごろ、被害者宅から大きな物音を聞いた。
タンスを動かしたような音。
その直後、階段を駆け下りる音が聞こえたという。
犯行時間は、この前後と考えられた。
午後0時30分から午後2時ごろにかけて、奈美代の友人が3回電話を掛けた。
誰も出なかった。
そして午後2時ごろ。
アパートの大家が、自宅で採れた柿を届けるため奈美代の部屋を訪れた。
呼びかけても返事がない。
玄関は施錠されていなかった。
大家は中へ入った。
そこで、倒れている奈美代を発見した。
首から血を流していた。
119番通報が行われた。
しかし、すでに死後2時間から3時間ほど経過していたとみられた。
つまり大家が見つけた時点で、奈美代を救命できる時間はとうに過ぎていた。
部屋には幼い航太がいた。
その子だけが無傷で残されていた。
殺害現場は住宅街のアパートだった。
人里離れた山中でもない。
深夜でもない。
昼間だった。
周囲には住民がいた。
電話も鳴っていた。
それでも、犯人は室内で奈美代を刃物で襲い、その後、階段を下り、現場から逃走したとみられている。
事件発覚まで
1999年11月13日の朝。
いつも通りの家庭の朝だったのかもしれない。
少なくとも、資料の中に、朝から異常事態が起きていたという記録はない。
午前9時ごろ。
夫の悟志は仕事へ出かけた。
家には、妻の奈美代と2歳1か月の航太が残った。
悟志にとっては、仕事へ向かう普通の一日だった。
後年、悟志は事件遺族として、ある言葉を残している。
高原悟志(仮名)
「私も殺人事件の遺族は、テレビと新聞の世界のことだと思ってました」
朝送り出した家族が、その日のうちに殺害される。
そんな出来事が自分の家庭に起こるなど、誰が想像するだろう。
午前11時ごろ。
奈美代は息子を連れて近所の病院へ出かけた。
そして帰宅した。
この帰宅後から、午後2時に発見されるまでの短い時間の中で、事件は起きた。
近隣住民は、午前中に人が争うような大きな物音を聞いたともされる。
また、正午から午後1時ごろには、被害者宅から「タンスを動かすような大きな音」が聞こえ、その直後に階段を駆け下りる音がしたという。
犯人と奈美代がもみ合った可能性が高い。
実際、現場には犯人自身の血痕が残された。
犯人も手を負傷したとみられている。
奈美代はただ無抵抗に襲われたのではなく、必死に抵抗した可能性がある。
鋭利な刃物が振るわれる。
首などを複数回刺される。
大量の出血を伴う。
狭い住宅の中で、家具が動くほどのもみ合いが起きる。
そのすぐそばには、2歳の息子がいる。
奈美代がどのような言葉を発したのか。
犯人が何を言ったのか。
資料には残されていない。
だから、その会話を作ることはできない。
ただ、現場に残った血と物音が、激しい抵抗の存在を示していた。
午後0時30分から午後2時ごろ。
友人が奈美代宅へ3回電話を掛けた。
呼び出し音は鳴ったはずだ。
しかし、誰も出なかった。
奈美代はすでに電話に出られない状態だったとみられる。
午後2時ごろ。
大家が柿を持って訪ねてきた。
返事がない。
玄関は開いている。
中へ入る。
そして、大家は床に倒れた奈美代を発見した。
首から血を流していた。
トレーナー。
ジーパン。
廊下から居間へ投げ出されたようなうつぶせの姿勢。
119番通報。
しかし、すでに死後2時間から3時間ほど経っていたと推定された。
そして室内には、2歳の航太がいた。
航太は生きていた。
傷もなかった。
殺人事件の現場に、幼児だけが残されていた。
犯人の生い立ち
安福久美子の生い立ちについては、意外なほど情報が少ない。
現在69歳という年齢から、1955年から1956年ごろの生まれと推定される。
しかし、どこで生まれたのか。
父親は何をしていたのか。
母親はどのような人だったのか。
兄弟姉妹がいたのか。
幼少期は幸福だったのか。
厳しい家庭だったのか。
具体的な情報は、添付資料では確認できない。
名古屋市港区に長く住んでいたため、幼少期から名古屋で育った可能性はある。
ただし、これも確証はない。
小学校名も分からない。
中学校名も分からない。
成績。
友人関係。
家庭内の様子。
そうした人格形成に関わる情報は、ほとんど空白である。
ここで重要なのは、「幼少期に何か問題があったから殺人をした」と勝手に結びつけないことである。
一部資料には、犯罪心理の一般論として、過干渉や愛情不足が執着につながる可能性を述べる文章がある。
しかし、安福自身の家庭にそのような事情があったという証拠は、資料にはない。
したがって、本稿ではその推測を事実として採用しない。
安福の過去について、最初にはっきり形を持って現れるのは高校時代である。
一部資料では、安福と悟志は愛知県立惟信高校の同級生だったとされる。
別の資料では高校名は公表されていないとしており、ここには資料間の食い違いがある。
しかし、二人が高校の同級生であり、ソフトテニス部で一緒だったという点は複数資料で一致している。
高校時代の安福は「大人しい」「控えめ」という印象だった。
悟志は逮捕後、安福についてこう語っている。
高原悟志(仮名)
「そんなことができるような人物ではなかった。どちらかと言えば大人しくて、控えめな感じだったものですから、信じられないです」
別の知人は、安福を「優しく明るい人だった」と語っている。
つまり、周囲の記憶の中にある安福久美子と、26年後に殺人容疑で逮捕された安福久美子の姿には、大きな隔たりがあった。
高校時代、安福は悟志に好意を寄せていた。
バレンタインにチョコレートを渡した。
手紙を渡した。
そして告白した。
悟志は応えなかった。
その後、安福が執拗に追い続けたという情報はない。
資料の一つには、「断った後もアプローチはなかった」と記されている。
ここは重要である。
高校時代の片思いから事件までには、二十年以上の時間がある。
その間、安福がどのような感情を抱いていたのか。
悟志への気持ちが本当に残っていたのか。
被害者・奈美代への嫉妬があったのか。
現在の資料だけでは断定できない。
高校卒業後についても情報は少ない。
大学へ進学した可能性があるという資料はあるが、大学名は不明。
別の資料では、20代から30代の生活は全く公表されていないとしている。
就職。
恋愛。
結婚。
出産。
家族関係。
それらについて確実な時系列を作れるほど情報はない。
一部資料には、安福が結婚していたという情報がある。
事件前年のOB会で悟志と短く会話し、
安福久美子
「結婚したけど、仕事もしながら大変」
という趣旨の話をしていたとされる。
さらに、PTAや子ども会へ積極的に参加していたという情報もある。
ただし別資料では結婚歴や家族構成は不明としているため、この点も断定は避けるべきである。
確実に言えるのは、1999年6月。
事件のおよそ5か月前。
安福と悟志は同窓会で再会したとされることだ。
二人が高校を卒業してから、すでに長い年月が流れていた。
悟志には妻と幼い息子がいた。
そして1999年11月、悟志の留守中に妻が殺された。
もし、安福の高校時代の感情が事件の動機とつながっているなら、なぜ二十年以上後だったのか。
なぜ事件の5か月前の再会が重要だったのか。
なぜ被害者本人ではなく、夫との高校時代の関係が事件に影を落としたのか。
これらは、逮捕後も大きな謎として残っている。
安福本人は、逮捕直後こそ容疑を認める趣旨の供述をした。
だが、その後は黙秘した。
そのため、動機の核心は資料の段階では明らかになっていない。
・事件当日の詳細
・捜査
・逮捕
・まとめ