山林で少女を襲い、口封じのため殺害した男
――明治四十二年・福島県「山林で少女を強姦し殺害した事件」
明治四十二年九月六日。
現在から百年以上前の福島県で、一人の少女が山林の中で命を奪われた。
少女の名は、高山マチ。
明治二十八年十一月八日生まれ。
事件当時、まだ十三歳だった。
これから十四歳の誕生日を迎えようとしていた少女である。
そして、その少女を襲ったとして裁判にかけられたのが、福島県伊達郡大田村大字大泉に暮らしていた農業の男、太田繁だった。
太田は明治二十二年二月生まれ。
事件当時、およそ二十歳。
高山マチとは七歳ほどしか違わない若い男だった。
後に、この事件が、
「山林で少女を強姦し殺害した事件」
として記録されることになる。
一人の少女が山林で襲われ、必死に帰ろうとした直後、犯罪の発覚を恐れた男によって命まで奪われたという、極めて重い事件だったことが分かる。
しかも男は少女を殺害した後、その所持金まで奪っていた。
裁判で問われた罪は、
強姦、強盗、そして殺人。
判決は、
無期懲役。
明治という時代の地方社会で起きた、少女をめぐる凶悪事件だった。
明治四十二年の福島
事件が起こったのは明治四十二年。
西暦では一九〇九年である。
日露戦争が終結してからまだ四年ほどしか経っていない。
東京などの大都市では近代化が急速に進み、鉄道網が広がり、新聞も普及しつつあった。
しかし地方へ行けば、人々の暮らしにはまだ江戸時代以来の農村的な生活様式が色濃く残されていた。
福島県もそうだった。
特に農村では、田畑と山林が人々の生活に直結していた。
薪を取る。
山菜を採る。
農作業のため山へ入る。
隣村へ行く。
親戚の家へ出掛ける。
そうした日常の移動の途中に、山道や林道を通ることは珍しいことではなかった。
現在のように道路のいたるところに街灯があるわけではない。
自動車もほとんどない。
携帯電話など当然存在しない。
山林へ入れば、周囲に人がいない場所はいくらでもあった。
そうした時代の地方社会で事件は起こった。
九月六日午後六時
判決文には、犯行時刻がかなり具体的に残されている。
明治四十二年九月六日、午後六時ごろ。
場所は、
伊達郡石戸村大字石田の山林内。
九月初旬。
夏の暑さがようやく弱まり始めるころである。
午後六時ともなれば、山の中はすでに薄暗くなり始めていただろう。
その山林に、高山マチがいた。
十三歳の少女である。
そこに太田繁が現れた。
判決文によれば、太田はマチに対して性的な行為を求めた。
しかしマチは拒絶した。
当然だった。
十三歳の少女である。
しかも相手は二十歳ほどの成人男性だった。
マチは太田の要求に従わなかった。
ところが太田は、それで引き下がらなかった。
判決文には、太田が暴力や脅迫を用いたことが記されている。
そして少女の抵抗を押さえ込んだ。
当時の判決文は、現在とは異なる文語体の法律用語で記されている。
そこには感情的な説明はほとんどない。
ただ、
拒絶した。
暴行した。
地面へ押し倒した。
性的暴行に及んだ。
そうした事実だけが簡潔に並んでいる。
しかし、その短い文章の背後には、十三歳の少女が山の中で二十歳の男を相手に必死に抵抗していた現実があった。
周囲には人がいない。
助けを求めても誰かが聞いてくれる保証はない。
そして当時は、現在のように携帯電話一本で警察へ通報することもできない。
太田は、少女が一人であることを利用した。