枚方一家六人惨殺事件

終戦から四か月、一家の家から六人の姿が消えた

事件概要

昭和二十年十二月。

日本は敗戦から、まだ四か月しか経っていなかった。

大阪の街には空襲の傷が残っていた。

焼けた建物。

不足する食料。

手に入りにくい衣類。

燃料も乏しい。

鉄道には復員兵があふれていた。

疎開先から家族のもとへ戻る者もいる。

戦争で家を失い、親戚を頼って移動する者もいる。

闇市には米や衣類、日用品が並び、正規の流通から外れた品が高値で取引されていた。

社会そのものが、まだ元の形へ戻っていない。

そんな時代だった。

大阪府北河内郡寝屋川町。

現在の寝屋川市周辺。

そこに一軒の家があった。

一家の主は、

繩田芳次郎。六十歳。

繩田はベルトレーシング関係の工場を営んでいた。

工場だけではない。

そこには家族の生活があった。

五十代の妻。

三十代の長男。

長男の妻。

十代の長女。

そして三歳ほどの幼い孫。

三世代。

六人。

戦争が終わり、これから家業を立て直していかなければならない一家だった。

だが、この家にはもう一人の男がいた。

家族ではない。

従業員だった。

名を、

正井考太郎。三十歳。

という。

正井は戦前から繩田の工場で働いた経験があった。

その後、軍隊へ召集された。

戦争を経験する。

そして敗戦。

復員。

軍隊から戻った男たちは、それぞれ自分の生活を再び作り直さなければならなかった。

正井もその一人だった。

繩田芳次郎は、かつて働いていた正井へ声を掛けた。

「また、うちで働かないか」

正井にとって仕事は必要だった。

住む場所も必要だった。

昭和二十年十一月十八日ごろ。

正井は繩田家へ戻ってきた。

住み込み。

仕事をする。

食事をする。

家族と同じ屋根の下で眠る。

表面上は、正井にとって悪い話ではなかった。

だが、それからわずか一か月。

十二月十八日。

正井は、自分を再び雇い入れた繩田芳次郎だけではなく、その妻、息子、息子の妻、十代の娘、そして三歳ほどの幼い孫まで殺害する。

六人。

一家全員。

殺害後、遺体を家の近くへ埋めた。

さらに正井は一家の家財を処分した。

工場の機械類まで売った。

売却した金を持ち、逃走した。

一家を消したあと、その一家の財産を自分の金へ換えようとしたのである。

警察は捜査本部を設置。

正井を全国規模で追跡する。

そして翌昭和二十一年二月十二日。

大阪駅周辺。

人混みの中で正井考太郎は捜査員に発見され、逮捕された。

取調べで事件は明らかになった。

そして昭和二十二年十二月十七日。

大阪地方裁判所。

判決。

死刑。

翌昭和二十三年十二月十五日。

死刑執行。

終戦から四か月後に起きた一家六人殺害事件は、犯人の処刑によって刑事事件としては幕を閉じた。

しかし繩田家の六人にとって、失われたものが戻ることはなかった。

いつ・どこで起きたか

犯行日は、

昭和二十年十二月十八日。

西暦一九四五年。

日本が敗戦した昭和二十年八月十五日から、まだ約四か月しか経っていない。

場所は、

大阪府北河内郡寝屋川町。

現在の寝屋川市周辺である。

ただし事件は昔の事件史で、

「枚方の一家六人惨殺事件」

と呼ばれている。

これは事件現場が現在の枚方市だったという意味ではなく、当時この地域を担当していた枚方警察署が事件を捜査したことに由来する。

事件現場は豪邸ではない。

山奥の別荘でもない。

人里離れた特殊な場所でもない。

工場を営む一家の普通の生活空間だった。

朝になれば家族が起きる。

食事をする。

工場へ行く。

家事をする。

子供を見る。

夜になれば家族が帰ってくる。

その日常の場所が、十二月十八日の一日だけで六人の殺害現場へ変わった。

この事件を理解するうえで重要なのは、戦後という時代背景である。

町には大量の復員兵がいた。

仕事を探す人間。

故郷へ戻る人間。

故郷が焼け、戻る場所のない人間。

戦前に勤めていた職場へ戻ろうとする人間。

日本社会そのものが巨大な人の流れの中にあった。

正井考太郎も復員兵だった。

だから事件後、一人の男が列車へ乗り、別の町へ動いても、現代ほど目立たない。

駅には大量の人がいる。

防犯カメラなどない。

携帯電話もない。

電子的な身元照会もない。

一度人混みへ紛れれば、その姿を再び見つけることは容易ではなかった。

・事件発覚まで
・犯人の生い立ち
・事件の前兆
・事件当日の詳細
・捜査
・逮捕
・裁判
・まとめ