昭和21年 市田村一家七人殴殺強盗事件 五人の子供まで奪われた戦後長野の未解決大量殺人
現金を持っていても、店へ行けば好きなものを買える時代ではない。 むしろ農村が保管している米や籾の方が、紙幣以上に確実な価値を持つことさえあった。 そんな戦後の混乱期。 長野県下伊那郡市田村。 現在のような交通網も通信網もなく、山と田畑に囲まれた農村で、一家七人が一夜のうちに殺害された。 事件現場となったのは、市田村大島山部落にあった後沢家だった。 前年まで一家の主だった後沢倉蔵はすでに亡くなっていた。
昭和・平成・令和に起きた事件を記録するノンフィクション・アーカイブ
現金を持っていても、店へ行けば好きなものを買える時代ではない。 むしろ農村が保管している米や籾の方が、紙幣以上に確実な価値を持つことさえあった。 そんな戦後の混乱期。 長野県下伊那郡市田村。 現在のような交通網も通信網もなく、山と田畑に囲まれた農村で、一家七人が一夜のうちに殺害された。 事件現場となったのは、市田村大島山部落にあった後沢家だった。 前年まで一家の主だった後沢倉蔵はすでに亡くなっていた。
大阪府北河内郡寝屋川町。 現在の寝屋川市周辺。 そこに一軒の家があった。 一家の主は、繩田芳次郎。六十歳。 繩田はベルトレーシング関係の工場を営んでいた。 工場だけではない。 そこには家族の生活があった。 五十代の妻。三十代の長男。長男の妻。十代の長女。 そして三歳ほどの幼い孫。 三世代。六人。 戦争が終わり、これから家業を立て直していかなければならない一家だった。 だが、この家にはもう一人の男がいた。
冬の日暮れが早い十二月の夕方、一軒の銭湯が、いつもの時間になっても店を開けなかった。 当時、家庭に内風呂があることはまだ当たり前ではない。 夕方になれば、仕事を終えた男たちが手拭いを肩に掛けてやって来る。 母親は子供の手を引き、洗面器に石鹸や手拭いを入れて店へ向かう。 常連客ならば、何曜日の何時ごろに行けば誰がいるのかまで知っている。 銭湯は単なる入浴施設ではない。 町の人々の日常そのものだった。 ところが、その日だけは違った。 戸が開かない。