昭和の事件 (全 8 件)

昭和の激動期に発生した犯罪・怪事件・歴史的事件の記録
昭和2年 木田少将令嬢強殺事件 元陸軍少将の木田伊之助の娘 奪われた一本の時計 500円(税込)

昭和2年 木田少将令嬢強殺事件 元陸軍少将の木田伊之助の娘 奪われた一本の時計

華やかな都市の裏側には、貧困、失業、窃盗、強盗、流れ者たちの影があった。 その昭和二年十一月、東京で一人の若い女性が殺害された。 被害女性の父親は、元陸軍少将の木田伊之助だった。 軍人として長く国家に仕え、少将まで昇進した人物の娘が、何者かに襲われて死亡し、さらに所持していた金品まで奪われていたのである。事件は単なる殺人ではなく、強盗殺人事件として捜査されることになった。 しかし、捜査開始時点で警察の手元に犯人へ直接つながるような決定的証拠があったわけではない。

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昭和24年「八幡バラバラ事件」|和田伝七と福岡・八幡市で起きた猟奇殺人 300円(税込)

昭和24年「八幡バラバラ事件」|和田伝七と福岡・八幡市で起きた猟奇殺人

鹿児島本線の下を流れる、川幅わずか四メートルほどの小川だった。 水の中に沈んでいたのは、薦で包まれた大きな荷物。 一つではない。二つあった。 少年たちは、最初、それが何なのか分からなかった。 戦後間もない時代である。川にはさまざまな物が捨てられた。 生活ごみ。壊れた道具。廃品。 誰かが不要になった荷物を捨てたとしても、それほど不思議ではなかった。 「なんやろ、これ」 一人の少年が包みへ近づいた。

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脱走囚人による強盗殺人事件 松本刑務所を破った二人と、十八日間の逃走 500円(税込)

脱走囚人による強盗殺人事件 松本刑務所を破った二人と、十八日間の逃走

松本刑務所から二人の受刑者が姿を消した。 一人は、下伊那郡山本村生まれの松本計吉。三十代前半で、前科五犯。 もう一人は、新潟県中頸城郡板倉村生まれの三田村芳雄。二十六歳、前科四犯。 二人はいずれも初犯の若者ではなかった。すでに何度も罪を重ね、刑務所という場所を知っている男たちだった。そんな二人が、刑務所内部の囲いを鋸で突破し、物干しなどに使われていた竹竿を利用して高い外塀を越えたとされている。 この時点では、事件はまだ「脱獄事件」であった。

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慈恵医大生殺し(銀めし)事件  北アルプスの山小屋で起きた強盗殺人  500円(税込)

慈恵医大生殺し(銀めし)事件 北アルプスの山小屋で起きた強盗殺人 

昭和二十一年七月九日から十日にかけて。 長野県北部。北アルプスの烏帽子岳方面。 山中にあった「濁小屋」。 そこに東京慈恵会医科大学の学生四人が宿泊していた。 その中には、原震治、二十五歳。助川佐、二十二歳。がいた。 医学を学ぶ若者たちだった。 学生たちは北アルプスを縦走するため、山へ入っていた。

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戸田智子ちゃん殺し事件 新潟県 白山公園 護国神社 幼女殺人 3歳 500円(税込)

戸田智子ちゃん殺し事件 新潟県 白山公園 護国神社 幼女殺人 3歳

新潟市西堀通り三番町の戸田家では、一人の幼い少女の帰りを待っていた。 少女の名前は、戸田智子。まだ三歳ほどだった。 外へ遊びに出た子供が、夕方になれば家へ戻る。 家族にとって、それはごく当たり前の日常だったはずである。 ところが、その日に限って智子は帰ってこなかった。

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月岡温泉・獣医強姦殺人事件 芸妓 万竜 レイプ殺人 新潟県 500円(税込)

月岡温泉・獣医強姦殺人事件 芸妓 万竜 レイプ殺人 新潟県

雪深い月岡温泉の一角にあった旅館「三好屋」。 その二階、十三番客室で、一人の女性が死亡しているのが発見された。 女性の名前は、星ツイ子。芸名を、万竜といった。 芸妓として働いていた女性である。 前日の一月十五日午後三時ごろから三好屋に滞在し、夜遅くまで客たちと同じ場所で時間を過ごしていた。 翌朝になっても、星ツイ子は起きてこなかった。 しかし、旅館側はすぐには異常だと思わなかった。

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女子高生コンクリート詰め殺人事件 40日間の監禁、裁判、そして4人のその後 100円(税込)

女子高生コンクリート詰め殺人事件 40日間の監禁、裁判、そして4人のその後

1988年11月25日、埼玉県三郷市。アルバイトを終え、自転車で帰宅していた高校3年生の古田順子さん、17歳が、宮野裕史、小倉譲、湊伸治、渡邊恭史を中心とする少年グループに連れ去られた。 順子さんは東京都足立区綾瀬にあった湊伸治の自宅2階へ連れ込まれ、約40日間にわたって監禁された。その間に暴力や性的暴行が繰り返され、逃走や通報を試みればさらに暴力を受けた。年末になるころには食事も十分に与えられず、火傷や負傷が悪化し、自力で動くことさえ難しい状態へ追い込まれていった。 1989年1月4日、極度に衰弱していた順子さんに少年らは長時間の集団暴行を加え、順子さんはその日のうちに死亡した。翌日、遺体はドラム缶に入れられてコンクリートで固められ、東京都江東区若洲の埋立地へ遺棄された。 事件が発覚したのは約3か月後の1989年3月だった。別件で警察の取調べを受けていた宮野の供述から若洲が捜索され、3月29日、コンクリートの詰まったドラム缶から順子さんの遺体が発見された。

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