戸田智子ちゃん殺し事件

事件概要

昭和二十二年四月三十日。

終戦から、まだ二年にも満たない日本だった。

町には戦争の傷跡が残り、食糧も衣類も不足していた。復員兵が軍服を普段着代わりにして街を歩く姿も、決して珍しいものではなかった。

その日の夕方。

新潟市西堀通り三番町の戸田家では、一人の幼い少女の帰りを待っていた。

少女の名前は、

戸田智子。

まだ三歳ほどだった。

外へ遊びに出た子供が、夕方になれば家へ戻る。

家族にとって、それはごく当たり前の日常だったはずである。

ところが、その日に限って智子は帰ってこなかった。

「智子――」

家の周囲を探す。

路地を見る。

近所の家を尋ねる。

子供が遊びそうな場所へ行く。

しかし、どこにもいない。

日が暮れる。

それでも智子は戻らない。

戸田夫妻は新潟警察署へ捜索願を提出した。

さらに新聞へ広告を出し、

「娘を見なかったか」

と広く情報を求めた。

この新聞広告が、後に事件を大きく動かすことになる。

翌五月一日。

戸田家へ一本の電話が入った。

護国神社関係者からだった。

「智子ちゃんによく似た子供を見た」

しかも、

「四十歳くらいの軍服姿の男が一緒だった」

「どうも様子がおかしかった」

という。

迷子事件に初めて、犯罪の影が差した。

さらに五月三日。

新潟駅前の武田雑貨店の主人が、戸田家へ奇妙な風呂敷包みを持ってきた。

数日前、一人の男が店へ上がり込み、

「酒を飲ませろ」

というように酒を要求した。

男は酒を飲んで立ち去った。

ところが店内には、男が置き忘れた風呂敷包みが残されていた。

店主が開ける。

中から出てきたのは、

幼い女の子の服。

そして、

メリヤスの肌着だった。

戸田夫妻はその衣類を見た。

一目で分かった。

智子のものだった。

娘は帰らない。

しかし娘が着ていた衣服だけが、見知らぬ男の風呂敷から出てきた。

この時点で、

「どこかで迷子になっているだけかもしれない」

という両親の希望は、大きく揺らいだ。

警察は風呂敷を持っていた男を追った。

やがて一人の男が捜査線上へ浮上する。

本間定七。

西蒲原郡弥彦村に住む農業の男だった。

本間は五月六日、無銭飲食詐欺の容疑で逮捕された。

しかし、智子については、

「知らない」

と言い続けた。

衣服について問われても、

「護国神社で拾った」

と説明する。

警察は疑った。

だが、

幼女の服を持っていた。

護国神社周辺にいた可能性がある。

それだけで殺人を証明することはできない。

何より、

智子本人が見つかっていなかった。

警察は護国神社の松林から海岸方面へ捜索範囲を広げた。

そして五月十日。

新潟市松波町付近の海岸。

砂の中から、

三、四歳ほどの女児の遺体が発見された。

戸田夫妻が確認した。

間違いなかった。

戸田智子だった。

四月三十日に家を出た少女は、

二度と生きて家へ戻ることはなかった。

警察は本間定七への追及を強める。

だが本間は簡単には口を割らなかった。

逮捕から、

およそ四十日。

ようやく本間は犯行について語り始めた。

その供述内容は、

あまりにも理解し難いものだった。

本間によれば、

泣いていた智子を偶然見つけた。

迷子だと思い、

背負った。

護国神社へ向かう途中、

智子が背中から落ちた。

泣き始めた。

歩かせてみると、

うまく歩けない。

本間は、

「怪我をさせてしまった」

と考えたという。

普通なら、

医者へ連れていく。

警察へ届ける。

家族を探す。

しかし本間が選んだのは、

そのどれでもなかった。

責任を追及されることを恐れ、

「いっそ殺してしまえばよい」

と考えたというのである。

本間は幼い智子を海岸方面へ連れて行った。

そして首を絞めた。

三歳の子供が、

成人男性の力に抗することなどできなかった。

智子は殺された。

本間はさらに、

遺体から衣服を脱がせ、

砂の中へ埋めた。

証拠を消すつもりだった。

しかし、

その衣服こそが、

本間定七へ警察を導く最大の証拠になったのである。

昭和二十二年十一月四日。

新潟地方裁判所。

本間定七に下された判決は、

懲役十二年。

判決は確定した。

わずか三歳の戸田智子の生命を奪った事件は、

こうして司法上の決着を迎えた。

いつ・どこで起きたか

事件が始まったのは、

昭和二十二年四月三十日。

場所は、

新潟市西堀通り三番町。

ここに戸田智子は暮らしていた。

まだ三歳ほど。

現在なら、

三歳児が夕方まで一人で帰らなければ、非常に重大な事態として扱われる。

だが昭和二十二年。

日本は敗戦直後の混乱の中にあった。

住宅難。

食糧不足。

物資不足。

闇市。

失業。

復員兵。

軍服姿の男性が街を歩いていても、それだけで不審者とは考えられない。

戦争が終わったとはいえ、

人々の日常の中には、

まだ戦争そのものが残っていた。

智子が姿を消した場所から、

事件の重要な舞台となる場所がいくつか登場する。

白山公園。

県庁付近。

護国神社。

護国神社の松林。

そして、

松波町付近の海岸。

本間定七の後の供述によれば、

四月三十日午後六時半ごろ、

本間は白山公園から護国神社方面へ向かっていた。

県庁付近まで来たところで、

泣いている幼い女児を見つけた。

その少女が、

戸田智子だったという。

ここで注意しなければならない。

「本間が偶然迷子の智子を見つけた」

「最初は善意で背負った」

という筋書きは、

本間自身が逮捕後に語った供述である。

被害者である智子は死亡している。

智子の側から、

「本当にそうだった」

と証言することはできない。

したがって、

事件当初の本間の意図については、

本間本人の説明であるという留保が必要になる。

・事件発覚まで
・犯人の生い立ち
・事件の前兆
・事件当日の詳細
・捜査
・逮捕
・裁判
・まとめ