脱走囚人による強盗殺人事件

松本刑務所を破った二人と、十八日間の逃走

事件概要

昭和二年 一九二七年三月一日。

まだ信州の山々が雪に閉ざされ、夜になれば厳しい冷気が地面から這い上がってくる季節だった。

午後六時四十分ごろ。

松本刑務所から二人の受刑者が姿を消した。

一人は、下伊那郡山本村生まれの松本計吉。三十代前半で、前科五犯。

もう一人は、新潟県中頸城郡板倉村生まれの三田村芳雄。二十六歳、前科四犯。

二人はいずれも初犯の若者ではなかった。すでに何度も罪を重ね、刑務所という場所を知っている男たちだった。そんな二人が、刑務所内部の囲いを鋸で突破し、物干しなどに使われていた竹竿を利用して高い外塀を越えたとされている。

この時点では、事件はまだ「脱獄事件」であった。

警察と刑務所側にとって最大の問題は、二人を一刻も早く捕らえることだった。

しかし、その数日後。

山間部にある一軒の民家で、一家が襲撃される。

静かな農家の座敷は血に染まり、家族の中には子供もいた。現場には血の付着した金てこ状の道具、斧あるいは鉞のような凶器が残され、さらに脱走者との関連を疑わせる衣類などの痕跡も発見された。

そこで事件の意味は一変する。

単なる「逃げた囚人を捕まえる捜査」ではなくなった。

人を殺した可能性のある二人の脱走囚を追う、凶悪犯追跡事件。

それも、現在のような防犯カメラも、携帯電話も、GPSもない昭和初期のことである。

二人は雪深い山道を使い、民家から衣服や食料を盗み、服装を変え、人目を避けながら長野県内を移動した。

それに対し警察は、駅、街道、峠、集落、駐在所を結び、住民から寄せられるわずかな目撃情報を一つずつ拾っていった。

最終的に投入された警察官などは五百三十三人。

捜査費用は、当時の金額で約七千五百円。

そして脱走から十八日後の三月十九日午前七時ごろ、松本計吉と三田村芳雄はついに逮捕された。

二人を待っていた結末は、死刑だった。

いつ・どこで起きたか

事件の始まりは、昭和二年三月一日午後六時四十分ごろ。

場所は、長野県松本市にあった松本刑務所である。

三月とはいえ、長野の冬はまだ終わっていなかった。

日が落ちれば気温は急激に低下する。

まして昭和二年である。

現在のように郊外まで街灯が並んでいるわけではない。

山へ入れば闇。

そして雪。

夜道を歩く者の足元を照らすものは限られていた。

二人が刑務所を破った直後、長野県内は大雪に見舞われた。

本来、逃亡者を追跡するとき、雪の上の足跡は非常に有力な手掛かりになる。

何人歩いているのか。

どちらへ進んだのか。

途中で別れたのか。

靴底の形はどうか。

だが雪が降り続ければ、その痕跡は消える。

一時間前に残された足跡でも、新しい雪に覆われてしまう。

警察にとっては厄介だった。

しかし同時に、雪は松本と三田村にも容赦しなかった。

金がない。

宿がない。

十分な防寒着もない。

腹も減る。

野宿すれば凍死しかねない。

二人が警察から逃げ続けるためには、人目を避けなければならない。

だが、生きるためには人のいる場所へ近づかなければならない。

この矛盾が、逃亡生活そのものを支配することになる。

そして脱走後、二人が逃走した経路上にあったとみられる北安曇郡方面の山間部の一軒家で、清水家の人々が襲撃される。

資料には、事件現場となった家について、雪の中に建つ山村の農家の様子が記されている。

そこは本来、家族が食事をし、子供が暮らし、夜になれば眠る、ごく普通の生活の場所だった。

だが、その家が一夜にして凄惨な犯罪現場となった。

・事件発覚まで
・犯人の生い立ち
・事件の前兆
・事件当日の詳細
・捜査
・逮捕
・裁判
・まとめ