月岡温泉・獣医強姦殺人事件
事件概要
昭和二十五年一月十六日。
新潟県北蒲原郡本田村。
雪深い月岡温泉の一角にあった旅館「三好屋」。
その二階、十三番客室で、一人の女性が死亡しているのが発見された。
女性の名前は、
星ツイ子。
芸名を、
万竜
といった。
芸妓として働いていた女性である。
前日の一月十五日午後三時ごろから三好屋に滞在し、夜遅くまで客たちと同じ場所で時間を過ごしていた。
翌朝になっても、
星ツイ子は起きてこなかった。
しかし、旅館側はすぐには異常だと思わなかった。
芸妓という仕事柄、夜遅くまで働くこともある。
昼近くまで寝ていることも珍しくない。
「まだ寝ているのだろう」
そう考えられていた。
ところが正午ごろ。
水原方面から、
星ツイ子宛ての電話が入った。
旅館の乙川ヨイが、
電話を知らせるため二階へ向かう。
十三番客室。
「万竜さん」
呼ぶ。
返事がない。
もう一度呼ぶ。
それでも反応しない。
乙川は部屋へ入った。
布団の中にいる星ツイ子へ近づく。
額へ手を当てた。
冷たい。
すでに、
人間の温もりが失われていた。
顔を見る。
鼻から血が出ていた。
異常な状態だった。
乙川は階下へ走り、
医師と警察へ連絡した。
こうして、
十三番客室で起きた事件が発覚した。
最初に現場を診た春川医師は、
「服毒自殺ではないか」
と考えた。
顔が赤みを帯びていたためだった。
しかし、
現場には毒物の瓶がない。
包み紙もない。
口元には血液。
鼻孔にも血液の混じった液体が見られた。
現場に到着した佐藤鉄作巡査は、
医師の説明を聞きながら、
違和感を覚えた。
「本当に自殺なのか」
その疑問が、
事件の運命を変えた。
県警本部は、
新潟大学医学部法医学教室へ解剖を依頼する。
翌一月十七日。
山内助教授によって司法解剖が行われた。
結果。
死因は窒息死。
さらに、
頭部には擦傷が認められた。
服毒自殺ではない。
星ツイ子は、
何者かによって窒息させられた可能性が高い。
事件は、
単なる変死から、
殺人事件へ変わった。
警察は捜査本部を設置した。
だが、
容疑者は一人ではなかった。
事件当夜、
三好屋には複数の人間がいた。
宿泊客。
芸妓。
酒を飲みに来た客。
星ツイ子を訪ねてきた男。
旅館の戸締まりも十分ではない。
外部から誰かが侵入した可能性も排除できなかった。
しかも、
捜査を進めると、
奇妙な証拠が次々と現れた。
獣医・大浦重三が宿泊していた十六番客室には、
血液らしき飛沫。
別の宿泊客・佐藤一郎の客室からは、
引き裂かれた星ツイ子の下着。
そして、
星ツイ子が死亡していた十三番客室の電気スタンドから、
四個の指紋。
さらに、
大浦重三の顔と右手には、
爪で引っかかれたような傷があった。
警察は、
大浦重三を強く疑い始めた。
そして一月二十三日。
大浦を逮捕。
当初、
大浦は犯行を強く否認した。
しかし、
十三番客室から採取された四つの指紋と、
大浦の指紋を照合すると、
完全に一致した。
その物証を前に、
大浦重三はついに犯行を自供した。
明らかになったのは、
深夜の旅館で、
星ツイ子が大浦の性的な要求を拒絶した後、
首を圧迫され、
抵抗の末に死亡させられたという事件だった。
大浦は、
星ツイ子が動かなくなった状態で性的暴行を加え、
さらに生命反応が残っていると感じたため、
再び首を締め、
最後には細い紐を用いて死亡させたと供述した。
半年後。
昭和二十五年七月二十三日。
新潟地方裁判所新発田支部。
大浦重三は、
当時の記録上、
強かん殺人罪
に問われ、
懲役十七年
を言い渡された。
判決は確定した。
いつ・どこで起きたか
事件が起きたのは、
昭和二十五年一月十五日深夜から十六日未明。
場所は、
新潟県北蒲原郡本田村・月岡温泉。
現在では全国的にも知られる温泉地だが、
昭和二十五年当時の日本は、
終戦からまだ五年しか経っていなかった。
戦争による混乱が社会の中に残っていた。
食糧不足。
物資不足。
戦争から戻った人々。
経済的混乱。
その一方で、
温泉街には人々が集まっていた。
商売客。
地元の人。
農業関係者。
芸妓。
旅館には、
さまざまな人物が出入りする。
事件現場となった三好屋も、
そうした旅館の一つだった。
一月十五日午後三時ごろ。
星ツイ子は三好屋へ来た。
資料では、
彼女について、
「美しい芸妓」
という趣旨の表現が残されている。
その夜、
三好屋には獣医の、
大浦重三、三十五歳
が宿泊していた。
部屋は二階十六番。
もう一人の男性宿泊客、
佐藤一郎
もいた。
さらに、
芸妓二人。
酒を飲みに来て午後十一時半ごろまでいた男性客。
そして午後十時ごろには、
星ツイ子に呼ばれ、
大山某
が旅館へ来ている。
大山は、
午前零時十五分ごろまで星ツイ子と話し、
その後帰った。
つまり、
事件前後の三好屋には、
多くの人間が出入りしていた。
そして、
午前一時ごろ。
星ツイ子は、
二階十三番客室へ入った。
大浦重三は、
十六番客室。
同じ二階。
わずか数部屋しか離れていない。
その廊下の短い距離が、
一人の女性の日常と、
殺人事件との境界になった。
・事件発覚
・犯人の生い立ち
・事件の前兆
・事件当日の詳細
・捜査
・逮捕
・裁判
・まとめ