小倉・米兵集団脱走事件
祇園太鼓の夜、武装兵が町へ消えた
事件概要
昭和二十五年七月。
福岡県小倉市。
現在の北九州市小倉北区一帯。
戦争が終わって、わずか五年。
町はようやく戦争の傷から立ち直ろうとしていた。
商店には人が戻った。
子供たちが外で遊ぶ。
夜になると家々に明かりがともる。
そして、その夏。
小倉の町には、戦時中に中断されていた祇園祭が戻ろうとしていた。
祇園太鼓。
ドドン。
ドンドン。
ドドン。
ドンドン。
戦争が終わった町に響く、祭りの音。
人々にとっては、
「ようやく普通の暮らしが戻ってきた」
ことを感じさせる音でもあった。
だが、その音が響く同じ町に、まったく違う時間を生きている若者たちがいた。
城野のアメリカ軍基地。
そこにはアメリカ陸軍第25歩兵師団第24歩兵連隊の兵士が集められていた。
その多くはアフリカ系アメリカ人兵士だった。
彼らは日本で平穏な占領勤務を続けるために城野へ来たわけではない。
海の向こう。
朝鮮半島へ送られるためだった。
昭和二十五年六月二十五日。
朝鮮戦争が始まった。
戦況は厳しかった。
北朝鮮軍は急速に南下し、韓国軍、そして国連軍は後退を余儀なくされていた。
日本はアメリカ軍にとって重要な後方基地となる。
佐世保。
福岡。
小倉。
港から兵器が送られる。
鉄道が動く。
人間が運ばれる。
そして城野の兵士たちにも、
「朝鮮へ行け」
という命令が近づいていた。
小倉の日本人にとって戦争は五年前に終わった。
だが、兵士たちにとっては、
これから戦争が始まろうとしていた。
そんな昭和二十五年七月十一日夕刻。
小倉の町に異変が起こる。
城野基地から多数の米兵が脱走した。
記録によって人数は異なる。
約二百人。
二百五十人。
百六十人ほど。
もっと少ない数字を示す資料もある。
正確な人数は現在でも断定できない。
しかし、
「数人の兵士が無断外出した」
という規模ではなかった。
何十人もの兵士が基地を抜け、市街地へ散った。
しかも一部は武装していた。
拳銃。
カービン銃。
手榴弾。
戦場へ持っていくための武器を身につけた軍人たちが、日本の町へ出てきたのである。
路上へ現れる。
田畑を横切る。
酒店へ入る。
民家へ近づく。
少女を追う。
学校へ侵入する。
そして夜になると、発砲音まで響いた。
日本側警察は異変を察知する。
しかし当時は占領下。
相手は占領軍の兵士。
日本の警察官が通常の犯罪者と同じように自由に逮捕することはできなかった。
MP――アメリカ軍憲兵隊へ連絡する。
米今敏明巡査ら日本側警察官。
マグリアノ曹長ら米軍MP。
さらに小倉地区憲兵隊長ジョーン・O・ロバーツ大尉。
彼らが市街地へ出る。
一方で住民は雨戸を閉めた。
少女たちは風呂場に隠れた。
学校の教員が入口を守った。
町には祇園太鼓が響く。
その向こうで銃声がする。
後にロバーツ大尉は、緊迫した状況を、
「戦争だ」
と表現したとされる。
朝鮮半島ではない。
日本の小倉である。
戦争が終わったはずの町へ、一夜だけ別の戦争が迷い込んできたような事件だった。
そして、これほど大きな事件でありながら、その全貌は当時の新聞にはほとんど掲載されなかった。
誰が何をしたのか。
どれだけの市民が被害を受けたのか。
何人の脱走兵が軍法会議にかけられたのか。
どんな刑を受けたのか。
その多くはいまだ明確ではない。
それこそが、この事件を単なる「米兵暴動事件」では終わらせない、もう一つの不気味さだった。
いつ・どこで起きたか
事件の中心となったのは、
昭和二十五年七月十一日夕刻から七月十二日早朝にかけて。
ただし米軍側資料には七月十日とする記録も存在し、事件の日付そのものにも食い違いが残っている。
場所は福岡県小倉市。
現在の北九州市小倉北区。
中心となったのは城野基地周辺だった。
三郎丸。
片野。
城野。
黒原。
その周辺には当時、現在より多くの田畑が残っていた。
基地の金網越しに内部が見える場所もあったという。
突然、そこから武装した兵士が出てくる。
田植えをしている人々の横を走る。
最初は住民も、
「軍の演習だろう」
と思った。
基地周辺なのだから、銃を持った兵士を見ること自体は異常ではない。
しかし様子がおかしい。
一人。
二人。
また別の兵士。
さらに向こうにもいる。
集団で基地から出てくる。
統制された行軍ではない。
それぞれが別方向へ散っていく。
やがて、
「あれは演習ではない」
と人々が気づき始める。
一方、町では祇園太鼓が鳴っていた。
戦後、小倉祇園が復活しようとしている時期だった。
町の一方では祭り。
そのすぐそばでは、朝鮮戦争へ送られる兵士たちが基地を抜け出していく。
この極端な対比が、事件の記憶を一層異様なものにしている。
事件発覚まで
大事件は、突然、
「二百人が脱走した」
という形で日本側警察に伝わったわけではない。
最初に起きた異変は、もっと小さかった。
午後五時ごろ。
城野基地に近い三郎丸。
富士本酒店に二人の米兵が現れた。
店にいたのは富士本元子。
兵士たちは酒を求めた。
元子が奥へ酒を取りに行こうとする。
すると二人は、店頭に置かれていた一升瓶をつかんだ。
そのまま走り去った。
「ちょっと!」
元子が声を上げる。
だが兵士は止まらない。
しかも、その瓶には酒ではなく、陳列用の水が入っていたとされる。
その時点では、
「酔った兵隊のいたずらか」
「窃盗か」
と思ったとしても不思議ではない。
しかし約一時間後。
午後六時過ぎ。
城野基地西側から、多数の兵士が外へ出始めた。
そして別の場所でも事件が起きる。
片野新町付近。
三萩野派出所の警察官が自転車で巡回していた。
突然、一人の女性が道路へ飛び出してきた。
五十歳ほど。
髪を乱し、慌てていた。
「巡査さん!」
警察官が止まる。
「どうしました」
「娘が……米兵に追われて……!」
女性の十代の娘が二人の兵士に追いかけられ、自宅へ逃げ込んだという。
兵士はその後まで追ってきた。
少女と母親は必死で戸を押さえ、侵入を防いだ。
警察官が現場へ向かう。
家は閉ざされている。
中にいる少女は震えていた。
「もう大丈夫だ」
そう声を掛けたとしても、状況は終わっていなかった。
道路へ出る。
基地の方向から兵士が来る。
二人。
三人。
その後ろにも。
野戦服。
武装した者もいる。
警察官はようやく理解した。
これは一軒の民家だけの問題ではない。
基地で何かが起きている。
派出所へ戻る。
本署へ連絡。
日本側警察が本格的に異常事態を把握し始めた。
・犯人の生い立ち
・事件の前兆
・事件当日の詳細
・捜査
・逮捕
・裁判
・まとめ