旭川・神居古潭女子高校生殺害事件
SNSの一枚の画像から、監禁、暴行、そして石狩川へ
事件概要
2024年4月19日未明、北海道旭川市の神居古潭に架かる神居大橋で、当時17歳の女子高校生・村上月奈(仮名)が、石狩川へ転落し死亡した。
事件の中心にいたのは、内田梨瑚と小西優花だった。
事件の発端は、殺害計画でも、長年積み重なった深い怨恨でもなかった。きっかけになったのは、SNSに転載された一枚の画像だった。
画像に写っていたのは、飲食店でラーメンを食べている内田梨瑚だった。顔の一部は麺や箸で隠れていたとされる。その画像を最初に撮影したのは、当時16歳だった少女Yであり、その後、月奈がSNSに転載した。
それを知った内田は、月奈に連絡を取らせた。
月奈は無断で画像を転載したことについて謝罪したとされる。
しかし、謝罪では終わらなかった。
内田は金を要求した。
電子マネーで10万円。
資料によれば、内田は事件以前から、SNS上の投稿や言葉遣いなどに難癖をつけ、若い相手を呼び出して現金を要求する、いわば「SNSの当たり屋」のような行動を繰り返していたとされる。
今回の要求も、その延長線上にあった可能性がある。
内田は後に、やり取りについて、
内田梨瑚
「やりとりをしている時の言葉遣いが気に入らなかった」
という趣旨の説明をしている。
だが、月奈が相手にしていたのは、SNS上で言い争うだけの人物ではなかった。
電子マネーの送金がうまくいかなかったことで、内田は月奈を直接呼び出した。
場所は北海道留萌市内の道の駅。
内田は少年Xと軽乗用車で旭川から留萌へ向かった。
資料によれば、この夜、内田と月奈は初めて直接顔を合わせた。
ほとんど面識のない相手を、SNSに載せた一枚の画像を理由に呼び出し、金を要求する。
そして、その場から月奈は車に乗せられた。
そこから約4時間にわたり、彼女は車内や駐車場、路上などを連れ回されることになる。
途中、旭川市内のコンビニで、月奈は店員に助けを求めた。
村上月奈(仮名)
「すいません、助けてください、通報してください、お願いします」
それは、外の人間に向けて発せられた、極めて明確な救難信号だった。
しかし、月奈は救出されなかった。
内田は店員に、
内田梨瑚
「この子はおかしくなっているので、取り合わなくていい」
という趣旨の説明をしたとされる。
月奈は再び店外へ連れ出された。
やがて車は旭川市郊外の神居古潭へ向かった。
時刻は午前3時半ごろ。
4月の北海道。気温は10度を下回り、小雨が降っていた。
人気のない渓谷。
雪解け水で増水した石狩川。
街の明かりから切り離されたような暗闇の中で、月奈は衣服を脱がされ、土下座をさせられ、その姿を撮影された。
さらに神居大橋へ連れて行かれ、暴行を受けた。
そして欄干に座らされた。
内田梨瑚・小西優花
「落ちろ」
内田梨瑚・小西優花
「死ねや」
そのような言葉が何度も浴びせられたとされる。
月奈は橋から約10メートル下の石狩川へ転落した。
死因は溺死とされている。
にもかかわらず、その場から119番通報はされなかった。
警察にも連絡されなかった。
救助を呼ぶための行動ではなく、その後に行われたのは証拠を消す行動だった。
月奈の携帯電話は車で轢いて壊され、川へ捨てられたとされる。
内田と小西は、自分たちが事件当時別々の場所にいたかのようなメッセージを送り合い、黙秘する趣旨の口裏合わせまでしたとされている。
事件から約1か月後の2024年5月21日。
月奈の遺体は、神居大橋から約60キロ下流にある北海道奈井江町の石狩川岸で発見された。
小西優花は起訴内容を認め、2025年3月7日、旭川地方裁判所で懲役23年の判決を受けた。その後、上訴権を放棄し、検察側も上訴しなかったため、刑は確定した。
一方、殺人罪について争っていた内田梨瑚についても、その後、殺人罪が認められ、資料によれば懲役27年となり、2026年7月7日に判決が確定した。
この事件は、SNS上の些細な画像転載から始まった。
だが、その「些細さ」と、最後に失われた命の重さの落差こそが、この事件の異様さを際立たせている。
いつ・どこで起きたか
事件が起きたのは、2024年4月18日夜から翌19日未明にかけてとみられる。
発端となった接触場所は、北海道留萌市内の道の駅だった。
そこから車は旭川方面へ向かい、旭川市内の路上、駐車場、小学校の駐車場、コンビニなどを経由しながら、最終的に旭川市郊外の神居古潭へ向かった。
最終現場となった神居大橋は、石狩川が流れる神居古潭の渓谷地帯にある。
昼間であれば観光地として知られる一帯だが、深夜になると周囲は暗く、人通りも少ない。
事件当時は4月でありながら気温は10度未満だったとされ、小雨も降っていた。
橋の下を流れる石狩川は、春の雪解け水で水量が増していた。
資料では、地元で「人が浮かんでこない」と言われるほど流れが危険な場所だったとも記されている。
月奈は、この橋の欄干付近からおよそ10メートル下へ転落した。
そこから流され、遺体が発見されたのは約1か月後だった。
発見地点は、神居大橋から約60キロ下流に位置する北海道奈井江町の石狩川岸。
つまり、この事件は一つの場所だけで完結したものではない。
留萌での呼び出し。
旭川へ向かう車内。
駐車場。
小学校。
コンビニ。
神居古潭。
そして神居大橋。
時間の経過とともに、月奈が自由に行動できる余地は狭まり、逃げる機会は奪われていった。
事件は点ではなく、数時間にわたって続く一本の線だった。
事件発覚まで
事件後、最初に異変を感じたのは、月奈の家族だった。
帰ってこない。
電話もつながらない。
連絡が取れない。
時間だけが過ぎていく。
家族は警察に届け出た。
この時点で、家族は月奈がどこで、誰と、どのような状況に置かれているのかを知ることができなかった。
一方、そのころ内田らは、神居古潭を離れた後、月奈を助けるためではなく、自分たちへ捜査が及ぶことを避ける方向に動いていたとされる。
月奈の携帯電話は、重要な証拠になり得るものだった。
内田はその携帯電話を車で轢いて壊し、旭川市内の川へ捨てたとされている。
さらに、内田と小西の間では、事件当時に別々の場所にいたように見せかけるメッセージが交換され、警察には黙っているという趣旨の口裏合わせも行われたとされる。
だが、携帯電話は完全には消えなかった。
後に警察によって発見され、データも復旧されたと資料にはある。
行方不明届を受けた警察は、月奈の足取りを追い始めた。
SNS。
電話。
車。
道の駅。
旭川市内の移動。
そして関係者。
調べが進むにつれ、内田梨瑚の存在が捜査線上に浮かんだ。
資料によれば、事件から5日後には内田が緊急逮捕され、その後、事件全体の捜査が進むにしたがって容疑が拡大していった。
恐喝。
監禁。
不同意わいせつ。
殺人。
最初は「SNSトラブル」に見えた出来事が、一人の未成年の少女を長時間支配し、逃げる機会を奪い、暴行を加え、死に至らせた重大事件として輪郭を現していった。
しかし、月奈本人はまだ見つかっていなかった。
家族は帰りを待った。
警察は川を含む一帯を捜索した。
そして2024年5月21日。
神居大橋から約60キロ下流。
北海道奈井江町の石狩川岸で、月奈の遺体が発見された。
死因は溺死。
家族が抱いていた「もしかしたら生きているかもしれない」という可能性は、その日、断たれた。
犯人の生い立ち
内田梨瑚の生い立ち
内田梨瑚は北海道旭川市で育った。
家族は父、母、兄、内田の4人。
自宅は旭川駅から車で15分ほどの住宅街にある一軒家だったとされる。
外から見れば、極端に荒れた家庭には見えなかった。
近隣との大きなトラブルが伝えられていたわけでもなく、週末には家族でバーベキューをする姿が見られたという。
父親は建設土木関係の会社を経営していたとされる。
母親も、表向きには一般的な母親に見え、PTA活動にも熱心だったという話がある。
ここだけを切り取れば、内田の家庭を「崩壊家庭」と単純に呼ぶことはできない。
しかし、内田の成長環境には一つ特徴的な点があった。
旭川の歓楽街「3・6街」、通称サンロク街が、幼い内田の生活に非常に近かったことである。
母親はサンロク街のキャバレーで働いていたとされる。
添付資料に収録された関係者証言によれば、内田は小学5年生ころから母親に連れられるような形でサンロク街へ出入りし、当時から酒を飲むこともあったという。
関係者
「リコちゃんも小5ぐらいからその母親にサンロクに連れ出されて、当時からお酒を飲んでいましたね」
さらに、
関係者
「店内で母親は娘を注意せず放置していた」
という証言もある。
もちろん、これらは関係者証言であり、それだけで事件の原因を説明することはできない。
ただ、小学生の子どもにとって、酒、金、大人同士の駆け引き、男女関係が交錯する夜の街が日常の近くにあることは、一般的な成育環境とは大きく異なる。
興味深いのは、幼い内田が最初から周囲に恐れられていたわけではないという点である。
小学生時代の内田は、明るく、活発で、体格もよく、女子の相談役のような存在だったという。
同級生
「頼りがいがあって、小学生の頃は女子の相談役、女子のヒーローみたいな感じでした」
同級生
「身長が高くて男子に負けないくらい元気なので、男子とトラブルになったとき、女子たちは『梨瑚ちゃんに助けてもらおう』と言っていました」
人の前に立つこと。
集団の中心になること。
自分の言葉で周囲を動かすこと。
その力は、良い方向へ使われればリーダーシップになる。
しかし、相手の意思を無視して使われれば、支配にもなる。
中学に入るころから、周囲が内田を見る目は変化していったとされる。
内田はバスケットボール部に所属し、キャプテンを務めていたという情報がある一方、いじめに関わっていたという証言も出ている。
特に、いじめの対象となった女子生徒の着替えをスマートフォンで撮影し、その画像を拡散したという証言が資料に収録されている。
同級生B
「梨瑚さんが中学生のとき、いじめられていた女子の着替えをスマホで撮影して、その画像を拡散する騒動がありました」
同級生B
「いじめのターゲットの入れ替わりは激しく、目をつけられたら困るので周りには避けられていました」
これが事実であれば、そこには、相手を殴るといった直接的な暴力だけではない、人の尊厳を利用した攻撃がすでに現れていたことになる。
相手が嫌がる姿を撮る。
それを他人に見せる。
恥をかかせる。
人間関係の中で相手を孤立させる。
のちの事件でも、月奈に土下座をさせ、その様子を動画に撮影する行為があったとされる。
もちろん、中学時代の行動と事件を一直線に結び付けることはできない。
しかし、「相手に屈辱を与え、その様子を記録する」という構図が重なることは見逃せない。
内田については、自分より弱い相手には強く出る一方、目上や自分より強い相手には態度を変える人物だった、という趣旨の証言もある。
資料には、内田が違う中学校の後輩女子を自転車で複数回轢いたという関係者証言が掲載されている。
関係者
「梨瑚は違う中学の後輩の女の子が気に入らなかったのか、その子のことを無言で3回も自転車で轢いているんです」
ところが、その後、相手の背後に自分より上の先輩がいると知ると、態度を変えて謝罪したという。
関係者
「ただ、目上の人に対してはペコペコするタイプで、その子の先輩が梨瑚の先輩だとわかった途端、その子のところに行って土下座していた」
これも証言ベースの情報であり、裁判で認定された事実として扱うべきではない。
それでも、資料全体に繰り返し現れるのは、内田が「相手との力関係」を強く意識していたとみられる姿である。
高校については、旭川市内の中学校を卒業後、美瑛町にある高校へ進学した可能性が高いとされる。
卒業したのか中退したのか、資料の情報は分かれている。
高校時代の後輩は、
高校時代の後輩
「問題児的な扱い、生徒から『怖い』イメージを持たれていた」
と語っている。
小学生のころ「女子のヒーロー」と呼ばれた少女は、思春期を経て、少しずつ「目をつけられたくない人物」へ変わっていったとみられる。
高校後、内田は複数の仕事を転々としたとされる。
化粧品販売。
父親の会社。
飲食店。
運動関係のインストラクター。
どれも長く安定して続かなかったようだ。
一時期、北海道を離れて福岡で一人暮らしをしていたともされる。
なぜ福岡だったのかは、資料からは断定できない。
進学なのか、仕事なのか、地元を離れる別の理由があったのかは不明である。
福岡時代には、ホストクラブに似た「メンパブ」に出入りしていたという知人証言がある。
知人
「福岡時代、ホストクラブに似た『メンパブ』に出入りしていたようです」
成人式にも地元へ戻らなかったとされる。
その後、2022年ごろ、内田は旭川へ戻ったとされる。
戻ってきた先は、幼いころから見ていたサンロク街だった。
内田はニュークラブで働き始めた。
源氏名は「關飛翔」とされる。
知人によれば、本指名の客もつき、月20万円近い売り上げを記録した月もあったという。
しかし、出勤は安定しなかった。
やがて半年ほどで店を辞めることになる。
資料に収録された知人証言によれば、両親が店へ介入し、
知人
「梨瑚の両親が突然『娘が精神的におかしいから辞めろ』と強制的に辞めさせた」
とされている。
この証言だけから内田の精神状態を医学的に判断することはできない。
診断の有無も資料には示されていない。
したがって「精神疾患があった」と断定することはできない。
ただ、少なくとも両親が娘の生活や状態に強い不安を感じていた、という証言が存在する。
ニュークラブを辞めた後も、内田はサンロク街から完全には離れなかったとされる。
夜に飲み歩く。
後輩を連れて歩く。
大声で騒ぐ。
地元の同世代の間では、名前を知られる存在になっていたという。
資料には、暴力団関係者とのつながり、薬物売買、路上売春に関わったとする証言・情報も含まれている。
ただし、これらは裁判で認定された事実と報道・周辺証言が混在している。
そのため、本稿では事実として断定しない。
重要なのは、確実に事件へつながっていく行動である。
内田は事件前、SNSを利用し、相手の投稿内容や言葉遣いに難癖をつけ、金を要求する行動を繰り返していたとされる。
関係者
「知人やその知り合いのSNSの内容に、『言葉の使い方に気を付けろ』といった難癖をつける」
関係者
「で、『許してほしければ現金をよこせ』と呼び出すのです」
相手が若い。
怖がっている。
周囲へ相談できない。
そういう相手に対して、自分の「怖さ」がどこまで通用するかを知っていた可能性がある。
画像。
言葉遣い。
謝罪。
金。
呼び出し。
その一連の流れの先に、17歳の月奈がいた。
小西優花の生い立ち
小西優花は母子家庭で育った。
家族は母、姉、小西の3人。
父親は、小西が小学生のころに離婚し、家を離れたとされている。
家庭は経済的にも厳しい状況だったという。
母と姉は同じコンビニでアルバイトをしていたとされ、小西はそのコンビニへ行き、廃棄になった弁当を食べていたという話も資料にある。
父親はいない。
母と姉は働いている。
母の帰宅は遅い。
食事のためにコンビニへ行く。
これらの証言がそのまま日常のすべてだったとは断定できないが、少なくとも、小西の幼少期が安定感のある家庭生活だけで構成されていたわけではなかったとみられる。
特に大きかったとされるのが、母親との関係である。
同級生証言によれば、小西の家には母親の交際相手とされる男性が複数出入りしていた。
小西は、そのうち一人について強い嫌悪を示し、
小西優花
「全てが気持ち悪い」
と話していたとされる。
また、関係者からは、
関係者
「母親は優花には冷たく、家庭では『ブス』と呼ばれていたと聞いています」
という証言も出ている。
外では「顔が可愛い」と言われる。
家庭では「ブス」と呼ばれる。
もしこの証言が事実なら、子どもの自己評価に強い揺らぎを与える環境だった可能性がある。
一方、小西には動物を可愛がる一面もあった。
家にいたウサギを可愛がり、餌を与えながら、
小西優花
「美味しい?」
と声を掛けていたという。
人間は一つの面だけでできているわけではない。
残酷な事件に関与した人物にも、日常の中に穏やかな場面はある。
だからこそ、生い立ちを読むときには「最初から怪物だった」という単純な物語にしてはいけない。
しかし、小西の攻撃性はかなり早い時期から表面化していたとされる。
小学校時代、小西は女子グループのリーダー格の一人だった。
容姿が目立ち、周囲から「可愛い」と認められていたことも、その立場に影響していたという証言がある。
同級生女性
「小学校の時の小西は、5、6個あった女子グループのリーダーの一人でした」
同級生女性
「顔が可愛いということは、自他ともに認められていて、それがリーダーだった理由なのかもしれない」
ただし、そのリーダーシップは、人をまとめる方向だけに働いたわけではなかった。
仲間外れ。
無視。
気に入らない相手への攻撃。
小西の家へ遊びに行った際、菓子を持ってこなかったことで強く怒られた、という同級生証言もある。
同級生女性
「どちらかと言うと、当時から人をハブいたり、無視したりするグループのリーダーだった」
同級生女性
「昔からジコチューではあった」
小学校4年生ころには、クラスメイトに濡れた雑巾を投げたり、暴力を振るったり、教科書や雑巾を投げる行為を繰り返したとされている。
担任は若い女性教師だった。
同級生の証言では、
同級生
「先生が泣き崩れることもあった」
という。
教室は事実上の学級崩壊に近い状態だったと資料には記されている。
ここは、小西の人生を振り返るうえで一つの重要な分岐点である。
子どもの攻撃性が、学校生活を壊すほど外へ出ていた。
家庭にも不安定さがあった。
周囲との人間関係にも問題があった。
それでも、その後、小西が継続的な支援や教育によって立て直された形跡は、添付資料の範囲では確認できない。
中学は旭川市立愛宕中学校へ進学したとされる。
中学でも3人程度のグループを作ったが、内部で揉め、不登校になった時期があったという。
同級生女性
「グループで遊ぶ時はやはりジコチューで、反抗すると『なんなの、お前』とか言ってキレる」
小西優花
「なんなの、お前」
気に入らないことがあると物に当たることもあったとされる。
周囲からは、
同級生女性
「顔可愛いけど性格はブス」
と呼ばれていたという。
家庭で「ブス」と呼ばれていたとされる少女が、学校では「顔は可愛いが性格は悪い」と評価される。
他人の評価を強く意識し、同時に他人を攻撃しながら自分の立場を守る。
そうした人間関係が、徐々に固定化していった可能性がある。
中学卒業後、小西は高校へ進学した。
進学先については、旭川市内の私立・旭川龍谷高校だったとする情報が資料にあるが、公式確認された情報ではないため断定は避ける。
高校でも小西はグループを作り、対立する女子生徒と揉めたとされる。
ある女子の教科書やノートを近くの川へ投げ捨てた。
別の女子のロッカーを何度も蹴り、変形させ、開かなくした。
そうした証言がある。
同級生女性
「小西は対立するグループの女子の教科書とノートを、近くの川に投げ捨てたんです」
同級生女性
「また一人は小西にロッカーを蹴られまくって、変形したロッカーが開かなくなっていた」
問い詰められても、小西は、
小西優花
「私じゃない」
と否定したとされる。
高校2年生のころ、小西は学校を辞めた。
その時期、刺青の入った2、3歳年上の男性と交際していたという証言がある。
その男性との交際後、小西は喫煙や飲酒を始めたとされる。
高校を辞めるということは、授業を失うだけではない。
毎朝起きる理由。
教師や同級生から見られる環境。
一定の生活時間。
社会との最低限の接点。
それらを一度に失うことでもある。
高校中退後、小西は複数の仕事を転々としたとされる。
日焼けサロン。
居酒屋。
ゲームセンター。
スナック。
ファストフード。
長期的に安定した生活につながった仕事は、資料からは見えてこない。
学校を辞めた後の小西を偶然見かけた同級生は、黒いパーカー、グレーのスウェット、茶髪という姿を記憶している。
そして、小西の人生は、内田梨瑚と再び交差する。
最初に内田と知り合ったのは、小西が高校を辞めた後だったとされる。
当時交際していた男性が内田と友人関係にあり、その男性を通して関わるようになった。
その後はいったん疎遠になった。
ところが事件のおよそ1か月前、旭川市内で偶然再会する。
当時、小西はアルバイト先を探していたとされる。
その小西に、内田は声を掛けた。
内田梨瑚
「舎弟にならないか」
小西はこれを受け入れた。
過去に内田の男性関係のトラブルを仲裁したことへの恩義もあったとされる。
しかし、小西は後の裁判で「舎弟」という言葉を十分理解していなかった様子を語っている。
小西優花
「女なのに何で弟の字を使うんだろう」
裁判では、小西の日本語の語彙力や基礎学力、理解力の乏しさが弁護側から指摘された。
これは小西を無責任とみなすための材料ではない。
むしろ、理解力の低い人物が、年上で支配的な人物の近くに入ったとき、どのように行動が流され得るかという問題を示している。
小西は内田について、
小西優花
「優しいところもあった」
と述べる一方、
小西優花
「急に不機嫌になったりして怖かった」
小西優花
「2個年上の先輩で、逆らえないという気持ちがあった」
小西優花
「怒らせないように気を張っていました」
とも話している。
内田は、怖い。
だが、自分を受け入れてくれる。
年上で、逆らいにくい。
孤立しやすく、家庭にも学校にも安定した居場所を持てなかった小西にとって、内田との関係は、恐怖と帰属感が同時に存在するものだった可能性がある。
ただし、その関係性が小西の責任を消すことはない。
コンビニで月奈が助けを求めたとき、小西はそこにいた。
神居古潭へ向かう車にもいた。
橋の上での暴行にも関与した。
小西自身が裁判で起訴内容を認めている。
裁判所も、小西が単に流されただけではなく、主体的に一連の犯行へ関与したと判断した。
生い立ちは原因を考える材料にはなっても、免罪符にはならない。
・事件当日の詳細
・捜査
・裁判
・判決
・まとめ