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明治15年 ピストル強盗・清水定吉 按摩を装い、東京を震え上がらせた「日本最初期の拳銃強盗」 800円(税込)

明治15年 ピストル強盗・清水定吉 按摩を装い、東京を震え上がらせた「日本最初期の拳銃強盗」

明治15年(1882年)ごろ。 近代化が進み始めた東京に、それまでの強盗とは異なる恐怖が現れた。 覆面をした男が商家へ押し入り、手にした西洋式の拳銃を突きつける。 「金を出せ」 「騒げば撃つぞ」 そして抵抗されれば、本当に引き金を引いた。 その男の名は、清水定吉。 後世、「日本最初のピストル強盗」として知られることになる人物である。 資料によれば、清水によるとされる拳銃強盗は明治15年ごろから数年間にわたって東京各地で続き、被害は80件以上、死者は5人に及んだとする記録も残されている。 しかし、警察はなかなか犯人を捕まえることができなかった。 その理由の一つが、清水の異様な二重生活だった。 昼間の清水は、「太田清幸」という偽名を使う按摩だった。 客の家を訪れ、肩や腰を揉み、世間話をする。 家族構成。 商売。 金がありそうか。 夜に誰が家にいるのか。 按摩として自然に家へ入り込める立場を利用し、そこで得た情報を犯行に使ったとされる。 さらに皮肉なことに、清水は警察関係者とも顔見知りだった。 刑事から、 「最近のピストル強盗について何か知らないか」 と聞かれながら、犯人本人が平然と、 「何か分かったら知らせます」 と答えていたという。 昼は人当たりのよい按摩。 夜は覆面をした拳銃強盗。 この生活は数年間続いた。 しかし明治19年(1886年)12月3日、ついに終わりが訪れる。 夜明け前の日本橋・馬喰町。 清水は一軒の商家へ押し入り、拳銃で家人を脅した。 ところが雇人が抵抗し、助けを求めて声を上げる。 清水は発砲。 弾丸は雇人の右腿を貫いた。 銃声が周囲に響き、清水は十分な金品を奪うこともできないまま逃走する。 その直後、久松警察署の24歳の巡査・大河幸太郎が、一人の按摩姿の男に目を止めた。 男は夜明け前にもかかわらず妙に急いでいる。 しかも片手を懐へ入れたままだった。 大河巡査は命じる。 「その手を出せ」 次の瞬間、清水は懐から短刀を抜いた。 路上で激しい格闘が始まる。 短刀。 拳銃。 発砲。 逃走。 追跡。 大河巡査は傷を負いながらも清水を追い続け、ついに取り押さえた。 東京を何年も震え上がらせた「ピストル強盗」の正体が明らかになった瞬間だった。 しかし、大河巡査もその後、負傷が原因で容体を悪化させ、わずか24歳で死亡した。 逮捕された清水定吉には死刑判決が下され、明治20年に刑が執行されたとする記録が残る。 だが、清水の名前は死後も消えなかった。 講談、浪曲、芝居、犯罪読み物へと姿を変え、1899年には『ピストル強盗清水定吉』として映画化。 日本最初期の劇映画の題材にもなった。 江戸の盗賊から、近代東京の武装強盗へ。 拳銃という新しい武器を犯罪へ取り入れ、按摩という表の顔で警察さえ欺いた清水定吉。 その生い立ち、二重生活、連続強盗、逮捕劇、若い巡査との死闘、死刑、そして犯罪者が「物語」へ変わっていった過程までを詳しくたどる。

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明治30年 お茶の水裸女殺人事件 顔と名前を奪おうとした男 500円(税込)

明治30年 お茶の水裸女殺人事件 顔と名前を奪おうとした男

明治30年(1897年)4月27日早朝。 東京・お茶の水付近を流れる神田川沿いの崖下で、一人の女性の遺体が発見された。 女性は衣服を身につけておらず、髪は切られ、顔面には刃物による多数の傷が残されていた。 犯人は、ただ女性を殺害しただけではなかった。 衣服を奪い、髪を切り、顔を傷つけることで、 「この女性が誰なのか分からなくする」 ことまで狙ったとみられた。 後に「お茶の水裸女殺人事件」と呼ばれる、明治犯罪史に残る異様な事件である。 当時はDNA鑑定も防犯カメラもなく、全国的な身元照会システムも存在しない。 顔が分からず、衣服も所持品もない女性。 警察が最初に解かなければならなかったのは、「犯人は誰なのか」ではなく、「この女性は誰なのか」という問題だった。 警察は東京の家々を一軒ずつ訪ね歩き、最近姿を消した女性や、激しい夫婦喧嘩があった家庭について聞き込みを続ける。 その地道な戸口調査から浮上したのが、牛込区若宮町で暮らしていた40歳の女性だった。 そして彼女と夫婦同然に暮らしていた男――松平紀義。 しかし「松平紀義」という名前すら本名ではなかった。 男は名門を思わせる松平姓を名乗り、三つ葉葵の紋を身につけながら、高利貸しなどで生活していた。 二人の間には、女性が蓄えた約300円をめぐる金銭問題と、激しい口論があった。 予審では、松平が事件のおよそ一か月前から殺害を考え、一度は実行しかけていたと認定された。 そして4月26日。 女性は自宅で死亡する。 その後、衣服を脱がされ、髪を切られ、顔を傷つけられ、深夜のお茶の水へ運ばれた。 松平は長く犯行を否認した。 一審では死刑を求刑されながら無期徒刑。 さらに控訴審では、起訴状に犯人の氏名が記載されていなかったことを理由に、起訴そのものが無効とされる異例の展開を迎える。 そして裁判のやり直しとなった宮城控訴院で、松平は突然犯行を認めた。 ただし、「計画的に殺したのではなく、夫婦喧嘩の末に死なせた」と主張する。 計画殺人だったのか。 それとも突発的な殺人だったのか。 最後まで完全には埋まらない謎を残した。 さらに事件から約20年後、出獄した松平本人が寄席の舞台に立ち、自らこの事件を観客へ語るという異様な後日談まで残されている。 明治東京を騒然とさせた「お茶の水裸女殺人事件」。 女性の身元を消そうとした証拠隠滅、足で犯人へ迫った明治警察の捜査、新聞による熱狂的報道、異例の裁判、そして犯人本人による事件の語りまで、その全貌を詳しくたどる。

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