明治15年 ピストル強盗・清水定吉 按摩を装い、東京を震え上がらせた「日本最初期の拳銃強盗」

東京・日本橋区馬喰町二丁目 

明治15年  1882年ごろ

【事件概要】

明治十五年  一八八二年ごろ。

江戸が東京へと名前を変えてから、まだそれほど長い年月は過ぎていなかった。

街には洋服が増え、鉄道が走り、新聞が広まり、ガス灯が夜を照らし始める。

刀を差して歩く武士の姿が消え、近代警察が整備され、日本は西洋文明を急速に取り込もうとしていた。

だが、新しい文明が持ち込むものは、便利さや豊かさだけではなかった。

その一つが、拳銃だった。

当時の庶民にとって、ピストルは今ほど身近な武器ではない。

刀や短刀を持つ強盗なら昔からいた。

押し込み強盗も珍しくはなかった。

しかし、夜の商家へ男が入り込み、黒い覆面の奥から西洋式の小型銃器を突きつけ、

「金を出せ」

「騒げば撃つぞ」

と脅す。

そして抵抗すれば、本当に引き金を引く。

それは東京の人々にとって、これまでとは違う種類の恐怖だった。

その男の名は、

清水定吉。

後世、「日本最初のピストル強盗」として知られるようになる人物である。

資料では、明治十五年ごろから数年間にわたり、東京府内で清水によるとされる拳銃強盗が相次いだとされている。

被害は八十件以上。

死者は五人に及んだとする記録もある。

八十件。

一度や二度ではない。

数年間。

東京の夜。

商家。

裕福な家。

人の少ない道。

犯人は繰り返し現れた。

しかも、なかなか捕まらない。

警察は犯人像を追い続けた。

覆面。

拳銃。

夜。

逃げ足。

目撃者がいても顔は分からない。

声もはっきり覚えていない。

年齢さえ証言が食い違う。

そして捜査が難航した最大の理由の一つは、清水定吉が昼間、まったく別の人間として暮らしていたことだった。

昼。

町を歩く按摩。

揉み療治をして、人の家へ入り、世間話をする。

「太田さん、今日は腰が痛くてね」

「それじゃ、少し揉みましょう」

穏やかな声。

普通の仕事。

料金を受け取る。

「ありがとうございました」

そして夜。

覆面。

拳銃。

短刀。

「金を出せ」

同じ男だった。

しかも清水は警察関係者とも顔見知りになっていたとされる。

刑事や巡査が町の情報を集める際、町を歩き回る按摩の男へ、

「最近のピストル強盗について何か知らないか」

と聞く。

清水は犯人本人でありながら、平然と答える。

「へい。何か聞きやしたら、すぐにお知らせします」

警察が追う犯人が、その警察の目の前で情報提供者のような顔をしていた。

これほど皮肉な二重生活はない。

だが、どれほど長く続く犯罪にも終わりは来る。

明治十九年十二月三日。

夜明け前の日本橋。

清水はまた一軒の商家へ押し入った。

しかし、その家では一人の雇人が抵抗した。

声を上げる。

清水は拳銃を発砲。

弾丸は男の右腿を貫いた。

金品を十分に奪えないまま清水は逃走する。

銃声。

通報。

そして一人の若い巡査が現れた。

大河幸太郎。

二十四歳。

大河は夜明け前の町で、一人の按摩姿の男を見つけた。

男は妙に急いでいる。

しかも片手を懐へ入れたまま。

「おい」

男が止まる。

「どこへ行く」

「按摩です。得意先へ療治に行くところで」

大河は手を見る。

「その手を出せ」

男は出さない。

「聞こえないのか。両手を出せ」

次の瞬間。

懐から出てきた手には短刀が握られていた。

路上で死闘が始まった。

短刀。

拳銃。

発砲。

流血。

逃走。

追跡。

大河は傷を負っても追った。

そして清水定吉を捕らえた。

東京を何年も震え上がらせたピストル強盗は、一人の若い巡査の違和感と執念によって終わった。

しかしその代償は大きかった。

大河は重傷を負う。

一度は回復し、退院した。

だが数か月後、傷がもとで容体が悪化。

二十四歳で死亡した。

清水は裁判にかけられた。

死刑。

そして逮捕から一年を待たず、刑は執行されたとする記録が残る。

だが清水定吉という名前は、死刑後も消えなかった。

講談。

浪曲。

芝居。

犯罪読み物。

さらには日本最初期の劇映画。

「ピストル強盗清水定吉」は、現実の凶悪犯罪から、明治・大正・昭和へ語り継がれる「物語」へ変わっていった。

【いつ・どこで起きたか】

清水定吉による拳銃強盗は、一夜だけの事件ではない。

資料では、明治十五年――一八八二年ごろから明治十九年――一八八六年まで、およそ四年間にわたって東京府内で続いたとされる。

東京。

日本橋。

本所。

浜町。

商家。

住宅。

人通りの少ない夜道。

清水は按摩として町を歩き、その生活の中で得た情報を犯罪へ利用したとされる。

そして、清水の連続犯行の終点となったのが、

明治十九年十二月三日。

午前五時ごろ。

東京・日本橋区馬喰町二丁目一番地。

絵草紙などを扱う商家。

本稿で家主を「岩山美代」とする家だった。

ここへ清水が押し入った。

いつものように拳銃を使って家人を脅す。

しかし雇人の谷川新太郎が抵抗。

声を上げた。

清水は発砲した。

谷川の右腿を弾丸が貫いた。

清水は逃走。

その後、久松警察署の若い巡査・大河幸太郎に発見される。

按摩姿。

急ぎ足。

懐へ入れた片手。

大河の、

「その手を出せ」

という一言から格闘になり、最終的に清水は捕らえられた。

【登場人物】

■清水定吉

本事件の犯人。

江戸生まれ。

幼少期に寺へ入り、小坊主のような生活をした時期があったとされる。

若いころから遊興を覚え、金を必要とするようになる。

最初は人通りの少ない場所で通行人を待ち伏せし、刃物を突きつけて金を奪うようになったと資料は記している。

その後、剣術を学んだとする伝承がある。

幕末の志士が出入りした道場との関係や、桂小五郎、後の木戸孝允、品川弥二郎らの名前まで登場するが、この部分には後世の講談的な要素が重なるため、史実としては慎重に扱う必要がある。

明治期には本所方面で按摩を営み、「太田清幸」という偽名を使ったとされる。

昼間は按摩。

夜は強盗。

拳銃を手に入れてから犯行がさらに凶悪化。

数年間に八十件以上の被害、五人死亡とする記録がある。

明治十九年十二月三日に逮捕。

裁判で死刑判決。

翌年、刑が執行されたとされる。

■岩山美代 

清水が最後の強盗に入った馬喰町の商家の家主。

絵草紙などを扱う商家だったとされる。

事件当日の早朝、清水が家へ押し入り、拳銃で家人を脅した。

■谷川新太郎 

岩山美代方で働いていた雇人。

清水の強盗に対し抵抗し、声を上げた。

清水は拳銃を発砲。

弾丸は谷川の右腿を貫いた。

重傷を負ったが、この事件では死亡していない。

■大河幸太郎巡査 二十四歳 

久松警察署の若い巡査。

最後の強盗の直後、逃走中の清水を発見。

按摩姿で急いでいること、片手を懐へ入れたままにしていることを不審に思い、職務質問した。

「その手を出せ」

と命じた瞬間、清水が短刀を抜いた。

大河は刃物で傷を負い、拳銃を撃たれながらも追跡。

清水を逮捕した。

功績により二階級特進し警部補へ昇進したとされる。

一度は回復して退院したが、数か月後に傷が原因で容体が悪化。

二十四歳で死亡。

■清水の妻子

清水には家族がいた。

町では偽名を使い、按摩として暮らしていた男。

家庭では夫であり父でもあった。

逮捕後、妻子との別れの時間が与えられたという趣旨の記述が資料にある。

家族にとっては、自分たちが知る父親と「東京を震え上がらせたピストル強盗」が同一人物だったことになる。

【事件発覚】

清水定吉の一連の事件は、一度の犯行で初めて発覚したわけではない。

東京ではすでに何年も前から、

「またピストル強盗が出た」

と騒がれていた。

夜。

商家へ侵入。

顔を隠す。

拳銃を突きつける。

金品を奪う。

抵抗すれば発砲。

犯人像はある。

しかし名前がない。

警察は何千人規模ともいわれる人員を動かして捜査したとする後世の記録もある。

それでも清水へ届かない。

決定的な転機は、明治十九年十二月三日の馬喰町での失敗だった。

雇人が抵抗した。

銃声が響いた。

清水は十分な金品を奪わず逃走。

その直後、若い巡査の目に留まる。

この一度の失敗から、数年続いた連続強盗の正体が一気に明らかになっていった。

・犯人の生い立ち

・事件の前兆

・当日の詳細

・逮捕

・裁判

・判決

・まとめ