明治30年 お茶の水裸女殺人事件 顔と名前を奪おうとした男

東京・お茶の水付近の神田川沿いの崖下

明治30年 1897年。

■【事件概要】

明治三十年 一八九七年。

東京がまだ現在のような巨大都市になる前の時代だった。

鉄道は伸び始め、新聞は大衆の生活へ深く入り込み、文明開化の余韻を残しながら、人々の暮らしは急速に近代化していた。

しかし、その一方で、犯罪捜査はまだ現代とは比べものにならないほど原始的だった。

DNA鑑定はない。
防犯カメラもない。
携帯電話もない。
写真付きの身分証明書が一般的に普及しているわけでもない。

人が一人、どこかで姿を消したとしても、それを即座に全国の警察が共有できる仕組みなど存在しなかった。

そんな時代の東京で、一人の女性が殺された。

しかも犯人は、ただ殺しただけではなかった。

女性の衣服をすべて脱がせた。
髪を切った。
顔面には刃物で複数の傷をつけた。

口元。
額。
頭部。
腕。
脚。

身体の各所に傷が残され、とりわけ顔面は著しく損傷していた。

鼻にも深い傷があったと報じられ、土手には切られ、あるいはむしり取られたとみられる黒髪が散乱していた。

そして遺体は、東京・お茶の水付近の神田川沿いの崖下へ捨てられた。

犯人の狙いは明白だった。

「この女が誰なのか分からなくしてしまえばいい」

人を殺し、さらにその人から服を奪い、顔を傷つけ、名前へつながる手掛かりまで消そうとする。

それは、単なる殺人の証拠隠滅というより、一人の人間の存在そのものを消そうとする行為だった。

だが、完全には消せなかった。

警察は一軒一軒家を回った。

「最近、姿が見えなくなった女性はいませんか」

「近所で大きな夫婦喧嘩をしていた家はありませんか」

「急に妻がいなくなった家は?」

そうして浮かび上がったのが、牛込区若宮町に暮らしていた四十歳の女性だった。

本稿では、この女性を「桜川春子」と呼ぶ。

そして、その春子と夫婦同然に暮らしていた男。

松平紀義、三十九歳。

しかし、この名前すら本名ではなかった。

資料によっては、男の本名は片桐常次郎、あるいは片桐常之介とされている。

男は、名門を連想させる「松平」という姓を名乗り、徳川家の家紋である三つ葉葵の紋を付けた羽織を好んで着ていた。

高利貸し。
資格を持たない代言人まがいの仕事。
人を威圧する言動。
そして、春子との絶えない口論。

二人の間には金があった。

春子が蓄えた約三百円。

当時の庶民にとっては大金である。

松平は、その金を高利貸しの資金として使った。

だが金は戻らないこともある。

春子は怒る。

「私のお金でしょう」

松平は答える。

「戻ってくる」

「いつよ」

「うるさい」

酒が入り、怒鳴り声が家の外まで響く。

やがて春子は、松平と別れたいと思うようになった。

しかし、自分の金は松平の手にある。

金を返してもらわなければ出ていけない。

一方の松平には、春子を自由にするつもりがなかった。

そして、予審の認定によれば、事件の約一か月前。

松平はすでに春子の殺害を考えていた。

一度は酒を飲ませて眠らせ、首へ紐をかけようとした。

その時は来客があり、犯行は中断した。

春子は一度、生き延びた。

しかし一八九七年四月二十六日。

再び、機会が訪れた。

翌朝。

お茶の水の崖下で、顔を傷つけられ、衣服を奪われた女性の遺体が発見された。

■【いつ・どこで起きたか】

事件が発覚したのは、

明治三十年――一八九七年四月二十七日。

午前六時ごろ。

場所は東京市本郷区湯島。

現在のお茶の水駅周辺にあたる地域である。

高等女子師範学校と湯島聖堂の間を流れる神田川。

朝の道を歩いていた通行人が、土手の下に奇妙なものを見つけた。

最初は荷物か何かに見えたのかもしれない。

しかし、近づくと人だった。

女だった。

「……人じゃないか」

さらに近づく。

女性は衣服を身につけていなかった。

「おい、大丈夫か」

返事はない。

動かない。

やがて、その女性がすでに死んでいることが分かった。

「人が死んでいる!」

巡査が呼ばれる。

警察関係者が集まる。

本郷警察署の係官。
東京地方裁判所の予審判事。
医師。

現場は次第に騒然となった。

そして当時ならではの光景が広がった。

野次馬である。

テレビもラジオもない時代。

「あそこに女の死体があるらしい」

という噂を聞いた人々が、直接現場へ押し寄せてきた。

土手の上にも人。

下にも人。

人々は、目の前で起きた異様な事件を自分の目で見ようとした。

それは現代の事件現場とはまったく違う風景だった。

■【登場人物】

■松平紀義  三十九歳

本事件の犯人として逮捕・起訴された男。

ただし「松平紀義」は本名ではなかった。

資料によって本名は「片桐常次郎」あるいは「片桐常之介」とされる。

徳川家を連想させる「松平」を名乗り、三つ葉葵の紋を付けた羽織を着用。

自分を名門の血筋であるかのように見せていた。

高利貸しを営み、正式な資格を持たない代言人のような仕事にも関わっていたとされる。

借金の取り立てでは気性の荒い一面を見せ、刃物を見せて相手を威圧したという話も残る。

被害者・桜川春子と正式な婚姻関係にはなかったが、夫婦同然に生活していた。

■桜川春子  四十歳 

本事件の被害者。

千葉県の比較的裕福な農家の出身。

一男三女の次女として育ち、二十歳前後で東京へ出た。

質屋の女中。
湯屋の二階で客を接待する仕事。
人力車夫との生活。
花屋の経営。

人生の中で何度も仕事と生活環境を変えていた。

人力車夫との間に女児をもうけたが、その子は病死したとされる。

その後も東京で生活し、やがて約三百円の蓄えを持つようになった。

松平紀義と暮らし始めるが、酒、金、子ども、嫉妬などを原因に夫婦喧嘩が絶えなかった。

■春子と暮らしていた子どもたち

資料では、事件当日に松平が子どもたちを神楽坂毘沙門天の縁日へ行かせたと認定されている。

子どもたちは事件の直接の目撃者ではないが、犯行時間を作るために外へ出された重要な存在だった。

■近隣住民

事件解決に大きく寄与した人々。

春子と松平の激しい夫婦喧嘩を以前から聞いていた。

春子が姿を消した後、松平が

「親類のところへ行った」

と説明していたことを証言。

さらに松平が事件後、裏庭付近で衣類を洗っていた姿を見た住民もいた。

■警察・予審判事・検察

科学捜査が未発達な明治時代に、戸口調査と聞き込みによって被害者の身元を特定。

松平を逮捕し、事件を裁判へ送った。

■【事件発覚】

四月二十七日午前六時ごろ。

神田川沿いを通った一人の通行人が、崖下に女性の遺体を発見した。

女性は衣服を着けていなかった。

顔には刃物による多数の傷。

髪も切られたり、むしられたりした形跡があった。

身体にも傷が残っていた。

だが検視によって、直接の死因は顔面の傷ではなく、首を絞められたことによる窒息死の可能性が高いとみられた。

つまり犯人は、女性を殺した後で顔を傷つけた可能性が高い。

殺すためではない。

誰なのか分からなくするためだった。

警察が最初に直面したのは、

「犯人は誰か」

ではなかった。

その前に、

「この女性は誰なのか」

という問題だった。

・犯人の生い立ち

・事件の前兆

・当日の詳細

・逮捕

・裁判

・判決

・まとめ