「狂人の芸者殺し」事件
神戸を震撼させた入江三郎、三人の女性殺害と異様な逃亡
神戸 精神病者 稲荷神社 性器切り取り
■事件概要
神戸。
海と山が近い町。
港から北へ歩けば、まもなく坂が始まる。
山手には住宅。
旅館。
寺。
神社。
曲がりくねった道。
昼間なら港町らしい景色が広がる。
しかし夜になると別の顔になる。
現在のように街灯が隅々まで照らす時代ではない。
人通りが途切れれば、坂道は暗い。
寺の塀。
木々。
足音。
暗闇。
そんな神戸で、理由の分からない女性殺害事件が起きた。
最初の被害者。
本稿では松子。
土地の芸者だった。
ある日、H市から来た商人・川村正一に伴われ、神戸へ旅行する。
二人は山手の旅館へ宿泊。
夕食後。
少し歩こう。
海の方へ行こう。
ただそれだけ。
二人で旅館を出る。
寂しい坂道。
途中に大きな寺。
後ろから、
スタスタ、スタスタ。
草履の足音。
誰かが早足で近づく。
川村は気にしない。
通行人だと思った。
男は二人へ追いつく。
横を抜ける。
その瞬間。
「アッ!」
松子が倒れる。
「松子!」
川村が抱き起こす。
首。
刃物。
深い傷。
血。
数秒前まで隣を歩いていた女性が、突然生命を奪われる。
犯人はすでに先へ。
暗闇。
顔も分からない。
服装も分からない。
何をしたのかすら、同行していた川村には理解できなかった。
警察。
当然、最初に疑われるのは川村。
芸者と客。
二人で旅行。
夜道。
女性だけが殺される。
男は無傷。
しかも、
「何も見ていない」
という。
警察から見れば不自然。
痴情。
心中。
嫉妬。
秘密の関係。
あらゆる可能性。
しかし調べても出ない。
二人の関係は破綻していない。
松子は旅行を喜んでいた。
心中の兆候もない。
川村が殺す理由がない。
捜査は行き詰まる。
そして間もなく。
神戸でもう一人、女性が殺される。
本稿では春川秋江。
待合の女将。
日頃信仰する稲荷神社へ参詣に出る。
朝。
「お稲荷さんへ行ってくる」
いつもの外出。
昼。
戻らない。
午後。
まだ戻らない。
家族が探す。
神社付近。
秋江。
死亡。
何者かに殺されていた。
そして遺体には、単なる殺害だけでは説明できない異常な損壊。
原資料では性器部分が大きく切り取られていたとされる。
金目当てなのか。
怨恨か。
性的な衝動か。
意味が分からない。
捜査関係者が思い出す。
少し前の松子。
女性。
人気の少ない場所。
刃物。
理由のない殺害。
「同じ犯人ではないか」
そして情報。
一人の男が自宅監禁から逃げている。
入江三郎。
過去に女性を殺害。
看板屋の彫刻職人。
刃物を扱う。
日露戦争の従軍経験。
奉公先の娘へ恋慕。
嫉妬。
精神状態の異常。
彫刻用小刀で主人の娘を殺害。
その後、精神病者として自宅で監禁。
その男が脱走。
神戸にいる可能性。
「三郎ではないか」
警察は一気に動く。
だが重大な問題。
警察官が誰も入江三郎の顔を知らない。
犯人は神戸の街中を平然と歩く。
飲食店へ入る。
生肉をナイフとフォークで食べる。
人に睨みを利かせる。
不審人物として見られる。
それでも、
「入江三郎だ」
とは誰も分からない。
警察は三郎を知る村人を連れて市内を歩かせる。
三人一組。
駅。
繁華街。
山手。
寺。
神社。
飲食店。
一週間。
二週間。
三週間。
見つからない。
その間、三郎は信じがたい行動までしていた。
秋江殺害後。
警察が稲荷神社で現場検証。
夜。
提灯。
十数個の明かり。
刑事が地面を見る。
「何かないか」
「足跡は」
「ここを照らせ」
その頭上。
高い木。
そこに入江三郎本人。
木の枝から、自分を探す警察を見物。
原資料では、
面白がって見ていた
とされる。
下には警察。
上には犯人。
誰も気づかない。
そして約一か月。
田舎。
新築中の家。
床下。
誰かが寝泊まりした跡。
鶏の毛。
「三郎ではないか」
警察が来る。
現場を調べる。
その時。
入江三郎本人が、自分から戻ってくる。
「入江三郎だ!」
逮捕。
取り調べ。
三郎は認める。
松子。
秋江。
二人とも自分がやった。
使用した刃物は以前から隠していたもの。
松子と個人的な関係はない。
秋江とも関係はない。
理由のある復讐ではない。
二人は、たまたま入江三郎と同じ場所へ居合わせた可能性が高い。
逮捕後、通常の刑事裁判で刑罰を科すのではなく、
精神病院へ。
しかし三郎はそこからも脱走。
再び捕まる。
そして最終的に、
精神病院内で死亡。
死因。
死亡時期。
資料には詳しくない。
この事件で失われた女性は、資料に従えば少なくとも三人。
奉公先の娘。
芸者松子。
待合女将・秋江。
三人とも、
入江三郎の人生の中で生命を奪われた女性だった。
■いつ・どこで起きたか
この事件は、正確な年月日が資料に残されていない。
回想録の著者自身も、
事件が「何年何月何日」だったかを忘れた
という趣旨を記している。
したがって、本稿では存在しない日付を作らない。
場所は神戸。
最初の殺害は、神戸山手の旅館から海岸方面へ下る坂道。
途中に大きな寺。
夜。
人通りが少ない。
二件目は神戸・湊川付近。
遊郭にも近い山麓の稲荷神社周辺。
こちらも人気の少ない場所だった。
そして三郎の逮捕場所は、原資料で「蘇州辺」と読める田舎の地域。
新築家屋の床下に潜伏した痕跡が見つかった場所だった。
この事件では、
暗い坂道。
神社。
山手。
郊外。
という、人の目が少ない場所が重要になる。
一方、三郎自身は完全に人目を避けていたわけではない。
むしろ神戸市街へ出る。
店で食事。
堂々と歩く。
その奇妙な行動が、逆に捜査を難しくした。
■登場人物
【入江三郎】
犯人。
神戸から二里ほど離れた山村に住んでいた若い男性。
事件以前、神戸市内の看板屋で働いていた。
仕事は看板などの彫刻。
小刀や刃物を扱う職人。
日露戦争期には従軍経験があったと記される。
奉公先の主人の娘に恋慕。
激しい嫉妬。
精神状態が悪化。
彫刻用の小刀で娘を殺害。
その後、精神病者として自宅で監禁される。
しかし脱走。
神戸へ入り、少なくとも松子と秋江の二人を殺害。
約一か月逃亡。
逮捕後、二件を認める。
精神病院へ収容。
そこから再度脱走。
再逮捕。
のち精神病院内で死亡。
【松子】
被害者。
土地の芸者。
H市から神戸へ来た商人・川村正一と旅行。
神戸の山手旅館へ宿泊。
夕食後、二人で散歩へ。
寺近くの坂道で、背後から追い抜いた入江三郎に突然襲われ、喉を刃物で切られ死亡。
資料上、入江三郎との面識や怨恨は確認されない。
【川村正一】
H市から神戸へ来た商人。
仕事を兼ねた旅行で松子を伴っていた。
事件時、松子のすぐ横を歩いていた。
しかし犯行があまりに一瞬だったため、犯人の顔、服装、凶器などをほとんど見ていない。
当初は警察から疑われたが、調査の結果、松子殺害の動機や証拠は出ず、後に入江三郎の犯行と分かったことで疑いが解かれた。
【春川秋江】
待合の女将。
日頃信仰する稲荷神社へ参詣。
帰宅しないため家族が捜索。
神社周辺で遺体となって発見。
刃物による殺害に加え、性器部分に重大な損壊が加えられていたと原資料は記す。
入江三郎との個人的関係は確認されていない。
【森田冬美】
入江三郎が看板屋で奉公していた時代の主人の娘。
三郎が恋愛感情を抱いた女性。
嫉妬の激化と精神状態悪化の中、三郎に彫刻用小刀で殺害された。
この事件を契機に、三郎は通常の犯罪者ではなく精神病者として扱われ、自宅で監禁されたとされる。
【神戸警察・検察関係者】
松子殺害では同行商人・川村を最初に疑う。
しかし動機が出ず捜査難航。
秋江殺害後、二件の共通点へ注目。
入江三郎脱走の情報から捜査対象を三郎へ集中。
三郎の顔を知る警察官がいないため、同郷者を連れた捜索という異例の方法を取った。
■事件発覚
最初の事件。
坂道。
「アッ!」
松子が倒れる。
川村。
「松子!」
抱き起こす。
首から出血。
「誰か!」
「人がやられた!」
旅館へ走る。
人。
灯り。
警察。
一件の殺人事件。
同行していた川村への聴取。
「犯人は男でしたか」
「分かりません」
「服は」
「見ていないんです」
「隣を歩いていたんでしょう」
「気づいた時には松子が倒れていました」
警察には理解しにくい。
だが嘘を裏付ける証拠もない。
そして二件目。
秋江。
朝出る。
戻らない。
家族。
「遅すぎる」
神社へ。
「お母さん!」
「女将さん!」
境内。
遺体。
警察。
今度は異常な損壊。
「同じ犯人では」
ここで二件の事件が一つにつながり始めた。
・犯人の生い立ち
・事件の前兆
・当日の詳細
・逮捕
・裁判
・判決
・まとめ