怪奇船「大輝丸」砂金採取船は、なぜ北の海で「海賊船」へ変わったのか
大正11年、1922年。
東京・芝浦の沖。
騎兵銃 日本刀 槍 弾薬 江連力一郎
■事件概要
大正十一年、一九二二年。
東京・芝浦の沖。
一隻の船が、北へ向かう準備をしていた。
船の名は、
大輝丸。
表向きは貨物船。
だが、積まれていたものは普通ではなかった。
食料。
衣類。
航海用品。
そこまではいい。
しかし、その奥には、
騎兵銃。
日本刀。
槍。
大量の弾薬。
軍服。
まるで砂金を掘りに行く船ではなく、小規模な軍隊が乗り込む船のような装備が積み込まれていた。
後に明らかになったところでは、江連力一郎らは騎兵銃三十二丁、日本刀六十七振り、槍十八本、大量の弾薬、軍服、食糧などを準備したとされる。
乗組員はおよそ六十人。
彼らに説明された目的は、
「オホーツク方面で砂金を採る」
ことだった。
北の海。
砂金。
一攫千金。
危険な土地。
冒険。
そして巨万の富。
その話に惹かれた男たちが集まった。
だが、この航海は砂金を掘る航海では終わらなかった。
予定していた海域は、すでに冬へ入りつつあった。
氷。
結氷。
航行不能。
砂金採取計画は挫折する。
大金を集めた。
船を借りた。
武器を積んだ。
六十人近い男を動かした。
それなのに、目的地へ着けない。
ここで江連たちは引き返すこともできた。
しかし引き返さなかった。
海上に現れた外国船。
武装した男たちが小艇へ移る。
銃を向ける。
船を奪う。
積み荷を奪う。
乗組員を捕らえる。
そして、
「生かして帰せば証人になる」
という論理が生まれる。
その結果、捕虜となった人々まで殺害された。
砂金採取を掲げた船は、いつの間にか、
「奪う船」
となり、
さらに、
「証人を殺す船」
へ変わった。
後世、この大輝丸は、
「海賊船」
と呼ばれる。
だが、この事件が異様なのは、最初から乗組員全員が海賊を目的として集まったわけではない点にある。
ある者は砂金を信じた。
ある者は大金を夢見た。
ある者は北方の冒険に惹かれた。
ある者は元軍人だった。
ある者は仕事を求めていた。
しかし船が北へ進み、計画が失敗し、幹部が別の道を選んだ時、一つの犯罪が次の犯罪を呼び始める。
外国船を制圧する。
積み荷を奪う。
目撃者が残る。
ならば捕らえる。
捕らえれば、
「どうする」
という問題が生まれる。
解放すれば話される。
話されれば事件が発覚する。
ならば、
殺す。
この段階まで進むと、もはや元の目的が砂金だったか、復讐だったか、国家のためだったかという言葉は意味を失っていく。
実際に起きたのは、
武装した集団が船を襲い、
財産を奪い、
人を殺し、
証拠を海へ沈めた、
という現実だった。
そして、この事件を最後に崩したのは、
軍艦でも、
ロシア側の反撃でも、
特殊な捜査技術でもなかった。
分け前をめぐる仲間割れだった。
帰国後、
「話が違う」
「危険なことをさせておいて、これだけか」
という不満が噴き出す。
元乗組員たちが弁護士・布施辰治へ相談。
そこへ新聞記者・立花義順が関わり、男たちは警視庁へ向かう。
秘密は船の中から外へ漏れた。
大輝丸事件は発覚。
江連力一郎は逮捕。
長い捜査。
多数の被告。
膨大な取り調べ。
そして裁判。
検察は江連に死刑を求刑する。
しかし判決は、
懲役十二年。
控訴審でも覆らなかった。
事件は、
「国士の冒険」
なのか。
「尼港事件への復讐」
なのか。
「砂金を狙った事業」
なのか。
「単なる海賊行為」
なのか。
さまざまな言葉で語られた。
しかし、被害者側から見れば答えはもっと単純だった。
突然武装集団に襲われた。
積み荷を奪われた。
捕らえられた。
そして口封じのために殺された。
それが大輝丸事件である。
■いつ・どこで起きたか
計画が本格化したのは大正十一年、一九二二年夏。
江連力一郎らは、オホーツク方面での砂金採取を名目に船、人員、武器、資金を集めた。
出航地は東京・芝浦。
大輝丸は九月ごろ東京を離れ、北海道方面を経てロシア極東へ向かった。
当初の目的地は北方。
しかし到着時期が遅かった。
冬が近い。
海が凍り始める。
予定した地域まで進めない。
砂金採取計画は事実上挫折する。
その後、大輝丸一団は南へ動き、ロシア船を襲撃していく。
重要な時期は十月。
まずアンナ号。
乗組員四人。
次に十月二十一日明け方、
ヴェカー号。
約百トンの帆船。
ロシア人、中国人ら二十人以上が乗っていた。
積み荷は塩鮭、魚類、魚油など。
当時の金額で七万円余りともされる。
武装した大輝丸側は船へ乗り込み、乗組員を制圧。
一部を殺害。
貨物を奪う。
船を沈める。
さらに十月二十三日ごろには、捕虜として大輝丸へ連れて来られていた人々に対する口封じの殺害が行われたと予審記録は認定している。
つまり、
東京・芝浦で準備。
北方へ航海。
砂金採取を断念。
ロシア船襲撃。
略奪。
殺害。
捕虜殺害。
帰国。
という流れになる。
事件現場は陸上ではない。
海上。
それが事件をさらに異質なものにした。
町なら遺体が残る。
家が残る。
目撃者がいる。
だが海では、
船を沈める。
遺体を海へ投じる。
そのまま航海を続ける。
物理的な現場そのものを消すことができる。
大輝丸側は、
「海へ沈めれば消える」
と考えたのかもしれない。
しかし、何十人もの乗組員の記憶だけは沈められなかった。
■登場人物
【江連力一郎】
大輝丸一団の中心人物。
茨城県出身。
事件当時は三十代半ば。
体格がよく、柔道、剣道など武芸に秀で、軍務経験もあったとされる。
明治大学へ進み、軍務、その後海外を放浪。
中国、南洋方面などにも関心を持ち、「冒険家」のように見られていた時期もあった。
しかし事業はなかなか成功しない。
そこへ、
「北方に莫大な砂金がある」
という話が入る。
江連にとって、
金。
冒険。
未知の土地。
武装。
仲間を率いること。
それらが一つになった計画だった。
事件後、江連は単なる金目当ての海賊として扱われることを嫌い、
「国のため」
「日本人のため」
「尼港事件の復讐」
という色彩を強く打ち出した。
一方で後年、
「砂金を狙っていたのは本当か」
と聞かれ、
「本当だ」
という趣旨でも答えている。
つまり江連自身の中でも、
砂金。
冒険。
金銭。
愛国心。
復讐。
英雄意識。
が完全に分かれていたわけではなかった可能性がある。
【中村萬之助】
江連へ北方の砂金の話を伝えた人物として資料に登場する。
江連と金萬汽船という事業にも関係していた。
「オホーツク方面に莫大な砂金がある」
という話が、大輝丸計画の入口になった。
【島田徳三】
江連とともに大輝丸計画を練った主要人物の一人。
大規模な航海を現実化するには、江連一人では不可能だった。
船。
人員。
資金。
武器。
複数の幹部が計画を進めた。
【北谷戸元二】
大輝丸側の中心人物の一人。
ヴェカー号への襲撃で武装隊を率いた人物として記録される。
【児玉右二】
元新聞記者で衆議院議員。
資金集めの過程などで名前が出てくる。
大輝丸計画が単なる数人の思いつきではなく、ある程度広い人脈の中で準備されたことを示す人物の一人である。
【田中三木蔵】
元大輝丸乗組員。
事件発覚の鍵となった一人。
帰国後、分け前などへの不満を抱き、菊地種松、矢ケ崎徳寶らとともに布施辰治へ相談。
大輝丸の秘密を外へ出す流れを作った。
【菊地種松】
田中三木蔵と同じく、事件発覚のきっかけとなった元乗組員。
【矢ケ崎徳寶】
同じく元乗組員。
田中、菊地らとともに布施辰治を訪ね、大輝丸で起きたことを語った。
【布施辰治】
著名な弁護士。
元乗組員たちから相談を受ける。
「大輝丸で大変なことをした」
という告白を聞く立場となった。
【立花義順】
東京日日新聞記者。
布施のもとを訪れた元乗組員たちの話を知り、重大性を察知。
三人を車に乗せ、警視庁へ連れていったとされる。
大輝丸事件が新聞と警察の前へ一気に姿を現す重要な役割を果たした。
【中野並助】
検察官。
後に検事総長。
『犯罪の縮図』で大輝丸事件を回想した。
一審で江連に懲役十二年が言い渡された後、控訴審段階で膨大な記録を読み、
「軽すぎる」
と考えた。
江連の「国士」論をそのまま信用せず、武装集団の首魁として重い責任を負うべきだと判断。
控訴審でも死刑相当とする立場を取った。
【アンナ号乗組員】
四人。
冬川一郎。
西森次郎。
川野三平。
南谷四郎。
船を武力で奪われ、大輝丸へ連行された。
後に口封じの対象となり、四人とも殺害されたと予審資料は認定している。
【ヴェカー号乗組員】
ロシア人、中国人ら二十人以上。
北原五郎。
海野六助。
春川七郎。
襲撃の際に一部が日本刀で殺害され、遺体は海へ投じられたとされる。
生き残った者も捕虜となり、その後、口封じのため殺害された者がいる。
■事件発覚
大輝丸は日本へ戻った。
芝浦。
外から見れば、
北方へ砂金を探しに行き、戻ってきた船。
それだけに見える。
船は沈んでいない。
幹部も戻った。
乗組員も多数戻った。
港に船が入り、男たちは陸へ上がる。
だが彼らは知っている。
北の海で何をしたか。
アンナ号。
ヴェカー号。
銃。
刀。
貨物。
捕虜。
殺人。
海へ沈めた船。
海へ投じられた遺体。
問題は、
「その秘密を何十人もの男が共有している」
ことだった。
江連らは一団を解散させる。
そこで不満が出る。
「分け前は?」
「話が違う」
「砂金もなかった」
「俺たちはあんな危ないことまでしたんだぞ」
犯罪に加わった者が、必ずしも良心だけで告発するとは限らない。
大輝丸では、
金。
処遇。
不満。
それが秘密を壊す方向へ動いた。
田中三木蔵。
菊地種松。
矢ケ崎徳寶。
彼らは布施辰治のもとへ行く。
「先生、相談があります」
布施が聞く。
「何があった」
「船で……大変なことをしました」
「何をした」
「外国船を襲いました」
「それだけか」
男たちは黙る。
「人も……死んでいます」
「何人だ」
沈黙。
その話を聞けば、単なる船員同士の争いではないと分かる。
そこへ新聞記者・立花義順。
事情を知る。
「これは警察へ行かなければ駄目だ」
三人を車へ乗せる。
警視庁。
取調室。
「団長は誰だ」
「江連力一郎です」
その瞬間、
北方の海で消えていた事件が、
東京の警察の机の上へ現れた。
・犯人の生い立ち
・事件の前兆
・当日の詳細
・逮捕
・裁判
・判決
・まとめ