龍野六人斬り

妻を犯人に仕立て、自分だけ生き残ろうとした高見次夫

大正15年 1926年5月16日。兵庫県揖保郡龍野町 兵庫県たつの市 

■事件概要

大正十五年 一九二六年五月十六日。兵庫県揖保郡龍野町 兵庫県たつの市。

兵庫県揖保郡龍野町。

現在の兵庫県たつの市。

古くから城下町として栄え、淡口醤油の産地として知られた龍野には、醤油醸造を支える麹屋も多かった。

その町の下河原町に、十数代続く旧家があった。

屋号は「半田屋」。

町内でも有力な麹製造業者の一つ。

一家は裕福だった。

家業がある。

土地がある。

財産がある。

親子、孫、使用人が同じ大きな家で暮らす。

外から見れば、地方の旧家として安定した生活を送っているように見えた。

ところが、その家の内部では長年、家督と金をめぐる激しい対立が続いていた。

中心にいたのは、高見次夫。

三十五歳。

家の次男。

父親はいずれ家を継がせることも考えていたはずだったが、母親は次夫を信用していなかった。

仕事に身が入らない。

酒。

遊興。

金遣い。

親に隠れて家の物を売る。

そのため家の財布も家業も、次夫には自由にさせない。

次夫にとって母親は、

「自分の人生を支配している女」

になった。

さらに兄が関東大震災で死亡。

次夫は、

「これで家は自分のものになる」

と考えた。

ところが兄の遺産。

兄の子どもたち。

家督。

財産分配。

両親は次夫一人へ全てを渡そうとはしなかった。

次夫の不満は、

「なぜ俺が自由になれない」

から、

「邪魔な家族がいなくなればいい」

へ変わる。

そして事件の約九カ月前には、妻へ、

「一家を皆殺しにする」

という趣旨の計画を口にしていたと、後の裁判で認定された。

しかも次夫は妻に、

「そのときは全部お前がやったことにして死んでくれ」

という趣旨の要求までしていた。

妻は本稿で「高見梅枝」とする。

二十八歳。

学校の成績もよく、若いころには旧藩主家へ奉公した経験もある女性。

だが結婚後は姑との関係に苦しみ、金銭も厳しく管理され、実家へ泣いて帰ったこともあったとされる。

それでも父親は、

「嫁に入った以上は辛抱しろ」

という考えだった。

梅枝は高見家へ戻る。

夫・次夫が皆殺しを口にしたときも、兄へ手紙を送った。

「夫が一家を殺すようなことを言っている」

だが警察には行かなかった。

兄も、

「夫をなだめろ」

「姑にも知らせろ」

という方向で返事をした。

そのまま時間が過ぎた。

そして一九二六年五月。

父親が家を空ける。

財産分配の手続きが進む。

次夫は、

「今やらなければ、自分に財産が来ない」

と考えたと認定された。

五月十五日。

五寸釘十五本を準備。

家族へ睡眠薬を飲ませる準備。

木槌。

鑿。

刃物。

火箸。

犯行後、妻を犯人に見せる工作まで考える。

そして深夜。

母親。

姪二人。

自分の娘。

さらに自分の息子と二歳の娘。

合計六人を殺害した。

その後、妻・梅枝を起こす。

梅枝は家族の惨状を見て逃げようとした。

二階へ。

屋根伝いに隣家へ。

「助けて!」

だが次夫に捕まる。

連れ戻される。

そして次夫は、

「全部お前のせいにする」

「俺の代わりに死んでくれ」

と迫ったと認定された。

梅枝は遺書を書かされるような形になった。

その遺書には、

「末三郎と平美を立派に育ててください」

という趣旨の言葉があった。

ここが、後に事件をひっくり返す重要な矛盾となる。

なぜなら、その二人は事件後、殺されていたからだ。

もし梅枝自身が子どもたちを殺してから遺書を書いたのなら、

「育ててください」

とは書かない。

生きていると思っているからこそ書ける。

さらに次夫は遺書へ、

「母を殺しました」

という趣旨の文言を書き加えたと認定された。

その後、まだ生きていた四歳の息子と二歳の娘も次夫が殺害。

最後に梅枝は、死んだ幼い娘を背負い、晴れ着を着て縁側で首をつった。

朝。

生き残ったのは高見次夫だけ。

彼は、

「妻が姑を恨み、一家六人を殺して自殺した」

という物語を警察へ語る。

遺書がある。

嫁姑の不仲は知られている。

五寸釘は、妻の指示で買ったように見える。

新聞も警察も、その筋書きを信じた。

翌日の新聞。

「虐げられた嫁が一家六人を惨殺」

死んだ梅枝は、一夜にして全国へ、

「六人殺しの女」

として報道された。

だが数日後。

物語は完全に逆転する。

梅枝の実家が納得しなかった。

筆跡。

遺書。

五寸釘。

隣家が聞いた逃走時の声。

そして最大の証拠。

梅枝が事件の前年、兄へ送っていた手紙。

そこには、

「夫が一家を皆殺しにすると言っている」

という内容があった。

警察は次夫を拘束。

追及。

事件から約一年後。

昭和二年五月十七日。

死刑。

控訴審。

死刑。

大審院。

上告棄却。

昭和三年二月三日。

高見次夫、死刑執行。

六人を殺し、妻へ罪を着せ、妻まで死なせ、自分だけが生き残り、財産を得ようとした男の計画は失敗した。

しかし被害者の梅枝は、一度命を奪われただけではない。

死後、

「六人殺しの鬼嫁」

という汚名まで着せられた。

その意味で、彼女は二度殺されたともいえる事件だった。

■いつ・どこで起きたか

事件は一九二六年、大正十五年五月十六日未明。

兵庫県揖保郡龍野町下河原町。

現在の兵庫県たつの市。

現場は老舗麹屋「半田屋」を営む高見家。

龍野は江戸時代、脇坂家の城下町として栄えた。

水がよく、近隣では小麦、大豆、塩など醤油醸造に必要な原料がそろう。

淡口醤油で知られた龍野では、麹屋も地域産業の重要な一角だった。

高見家はその中でも歴史のある旧家。

十数代続くとされ、町内で有力な麹製造業者だった。

事件当夜。

父親は家にいなかった。

五月十四日。

父・高見富蔵は息子の一人を伴い、亡くなった長男らの納骨などのため家を空けた。

さらに大阪で財産分与に関する処理を行う予定だった。

次夫にとっては、

「家の将来が自分以外の人間によって決められる」

時期だった。

判決では、この不在と財産分配の動きが犯行を決断させる重要な要素になったとされる。

五月十五日。

犯行前日。

五寸釘十五本。

睡眠薬。

複数の凶器。

夜。

家族が夕食をとる。

深夜。

家族が寝静まる。

そして午前二時半ごろまでに、家の中では六人が死亡し、さらに梅枝が自殺していた。

合計七人死亡。

生き残ったのは高見次夫。

一人だけだった。

■登場人物

【高見次夫】

本事件の犯人。

事件当時三十五歳。

高見家の次男。

中学校を中退して家業の麹屋へ入った。

しかし仕事に熱心とはいえず、酒、遊興、金遣いなどを両親から問題視されていた。

茶屋遊びの金を作るため、麹や米などを親に隠れて売ることもあったとされる。

母親から家業や金銭を自由にさせてもらえず、長年反発。

兄の死後、自分が家督と財産を掌握できると期待したが、両親は次夫一人へ全財産を渡さない方針を進めた。

兄の未亡人との再婚まで考え、遺産と家督を一度に得ようとしたが拒絶された。

事件の約九カ月前には、一家皆殺しの考えを妻へ話したと判決で認定される。

一九二六年五月十六日、母、姪二人、自分の子三人の計六人を殺害。

妻へ犯行の責任を負わせて自殺させ、遺書にも工作。

当初は「妻の犯行」の生存者として警察を欺いた。

後に疑いを持たれ、拘束。

裁判では犯行を否認し、再び妻へ責任を転嫁。

一九二七年五月十七日、死刑判決。

控訴審も死刑。

大審院上告棄却。

一九二八年二月三日、死刑執行。

【高見梅枝】

実在の高見菊枝にあたる、次夫の妻。

二十八歳。

龍野町の旧武士系の家に生まれ、学校成績は良好。

高等小学校卒業後、十七歳ごろから旧龍野藩主家に奉公。

二十二歳で次夫と結婚。

姑との関係に苦しみ、金銭的自由も少なく、実家へ泣いて帰ったことがあった。

しかし父から、

「嫁いだ以上、辛抱せよ」

と諭され、婚家へ戻った。

夫が事件前から一家殺害を口にしていたことを、兄へ手紙で知らせていた。

事件当夜、家族の惨状を見て二階から隣家へ逃げようとしたが次夫に連れ戻される。

その後、次夫から罪をかぶって死ぬよう迫られたと認定。

遺書を書き、死んだ二歳の娘を背負って縁側で自殺。

事件直後は新聞と警察から「六人を殺した犯人」とされたが、後の捜査と裁判で殺人には手を下していないと認定された。

【高見常江】

実在の高見つねにあたる。

五十八歳。

次夫の母。

家業や家庭内の金銭管理に強い影響力を持ち、素行の悪い次夫へ商売や財産を自由にさせなかった。

そのため次夫から長年恨まれていた。

事件で最初の標的となり、木槌、鑿などによる激しい攻撃を受けて死亡。

遺体には五寸釘を用いた傷も残されたと判決で認定された。

【高見夕子】

十二歳。

関東大震災で死亡した次夫の兄の娘。

次夫の姪。

父親の死後、高見家の祖父母らに育てられていた。

財産相続上、次夫が邪魔とみなした側に属していたとされる。

事件当夜、刃物で襲われ死亡。

【高見麻子】

八歳。

夕子の妹。

次夫の姪。

大人たちの家督争いとは無関係だったが、姉とともに殺害された。

【高見雪乃】

五歳。

次夫と梅枝の実娘。

相続上の敵でも何でもない。

事件の発覚を防ぎ、目撃者を残さないために殺されたと認定された。

【高見末三郎】

四歳。

次夫と梅枝の実子。

事件後半まで生きていたが、次夫の作った「妻が一家を殺した」という筋書きを完成させるために殺害されたと認定される。

【高見平美】

二歳。

次夫と梅枝の実娘。

末三郎とともに絞殺されたと認定。

その後、母・梅枝の背中へ腰紐で固定される。

梅枝は平美の遺体を背負ったまま首をつった。

【高見富蔵】

実在の高見太蔵にあたる。

六十歳。

高見家当主。

事件当夜は家を空けていたため生存。

妻、孫たちを殺され、犯人が実の息子だったことを知らされる。

事件後、拘束中の次夫とわずか数分の面会を行った。

新聞は、父も子もほとんど言葉を交わせず、涙を流したと報じた。

【上津屋勝義】

梅枝の父。

娘が結婚生活の苦しさを訴えて実家へ戻った際、

「嫁に入った以上は辛抱するもの」

という時代的な価値観から婚家へ戻した。

事件後、自らの対応を後悔したとされる。

【上津屋俊明】

梅枝の兄。

事件前、妹から、

「夫が一家を皆殺しにするようなことを言っている」

という手紙を受け取っていた。

この手紙を後に警察へ示したことで、死んだ梅枝の濡れ衣を晴らす大きな手掛かりを提供した。

【生松検事・中島上席検事・川又検事】

事件発生後、現場・捜査へ関わった検察関係者として資料に記録される人物。

当初は梅枝による嫁姑問題を背景にした一家殺害説が有力だったが、その後の証拠によって捜査の方向は逆転した。

■事件発覚

五月十六日。

午前二時半ごろ。

高見家は異様な静けさに包まれていた。

家族が起きてこない。

家の奥。

寝室。

廊下。

縁側。

そこには七人の死者。

そして一人だけ生きた男。

高見次夫。

次夫は、

「妻がやった」

という形で事件を表へ出す。

縁側。

梅枝が首をつっている。

しかも晴れ着姿。

背中には二歳の娘の遺体。

これだけなら、

「母親が子どもを道連れにした心中」

にも見える。

だが家の奥へ行くと、さらに六人。

祖母。

十二歳。

八歳。

五歳。

四歳。

二歳。

六人の死。

梅枝を含めれば七人。

次夫は警察へ説明する。

「妻は母を恨んでいました」

「ずっと仲が悪かった」

「以前から皆殺しのようなことを言ったこともある」

梅枝は死んでいる。

反論できない。

しかも実際に姑との関係が悪かったという事情もある。

遺書らしきものまである。

五寸釘。

異様な殺害方法。

それらが、

「長年いじめられた嫁が恨みを爆発させた」

という物語にきれいにはまった。

警察も当初信じた。

新聞はさらに早かった。

「虐げられた嫁が一家六人を惨殺」

「姑への怨恨」

「自分の子まで殺した女」

事件発生の翌日。

梅枝はもう、

「六人殺し」

として全国へ知られていた。

死者は、

「私はやっていない」

と言えない。

この事件で最初に完成したのは、

真相ではなく、

分かりやすい物語

だった。

・続きの文章

・犯人の生い立ち

・事件の前兆

・当日の詳細

・逮捕

・裁判

・判決

・まとめ