大正15年 龍野六人斬り 妻を犯人に仕立て、自分だけ生き残ろうとした高見次夫 遺書 自殺 一家惨殺 遺産目当て
大正15年(1926年)5月16日未明、兵庫県揖保郡龍野町、現在の兵庫県たつの市で、後に「龍野六人斬り」と呼ばれる一家大量殺人事件が発生した。 現場は、十数代続く老舗麹屋「半田屋」を営む高見家。 一夜のうちに、母親、姪二人、そして幼い子ども三人――計六人が殺害された。さらに犯人の妻も自ら命を絶ち、家の中には七人の死者が残された。 たった一人、生き残ったのが高見次夫だった。 次夫は警察に対し、「妻が姑を恨み、一家六人を殺して自殺した」と説明する。 実際、妻と姑の関係が悪かったことは周囲にも知られていた。遺書も残され、犯行に使われた五寸釘も妻が用意したように見えた。 警察も新聞も、この筋書きを信じた。 事件翌日、亡くなった妻は「一家六人を殺した鬼嫁」として全国に報道される。 しかし、数日後からその物語は崩れ始めた。 妻が生前、兄へ送っていた一通の手紙。 そこには、夫・高見次夫が「一家を皆殺しにする」と話していることへの恐怖が書かれていた。 さらに遺書には、すでに殺されていたはずの子どもについて「立派に育ててください」という趣旨の文章が残されていた。 なぜ、自分で殺した子どもを「育ててほしい」と書くのか。 隣家が聞いた妻の助けを求める声、五寸釘の購入経緯、筆跡、遺書への不自然な加筆。 小さな矛盾が積み重なり、やがて捜査は完全に逆転する。 真犯人とされたのは、生き残った夫・高見次夫だった。 財産と家督を手に入れるために家族を殺し、妻へ罪を着せ、妻まで死なせ、自分だけが悲劇の生存者として残ろうとした――。 「死人に口なし」を利用しようとした男の計画は、死んだ妻が生前に残した手紙によって崩壊した。 大正末期の日本を震撼させた「龍野六人斬り」。事件発生から偽装工作、誤報、真犯人発覚、裁判、死刑執行まで、その異様な全貌を詳しくたどる。