痴情に狂い姪を惨殺した事件
事件概要
明治二十八年、西暦一八九五年。
日清戦争が終結へ向かい、日本が近代国家として急速に姿を変えようとしていたころ、福島町――現在の福島市周辺で、一人の若い女性が、同じ家で暮らしていた男から凄惨な暴行を受け、命を奪われる事件が起きた。
『灰色記録史』に残された事件名は、
「痴情に狂い姪を惨殺した事件」
である。
犯人として裁かれたのは、
安住忠四郎。
被害者は、
ナカ。
二人は、単なる男女ではなかった。
ナカは忠四郎の実兄の娘であり、忠四郎にとっては実の姪だった。
さらに明治二十四年ごろ、ナカは忠四郎の養女となっている。
つまり二人は、
叔父と姪。
養父と養女。
という二重の家族関係にあった。
ところが、その関係はいつしか一般的な親族関係から大きく逸脱していった。
資料によれば、二人は同じ家で夫婦同然の生活をするようになっていたのである。
忠四郎はかねて女性関係が安定しない人物だった。
何人もの女性と暮らしながら、その関係はいずれも長続きしなかった。
『灰色記録史』は忠四郎について、女性に対する強い支配性や嗜虐的な傾向があったのではないか、と考察している。
その忠四郎が最後に生活を共にするようになったのが、自分の実の姪ナカだった。
二人の生活が何年間続いたのか。
ナカ自身がこの関係をどのように感じていたのか。
自ら望んだ関係だったのか、それとも家族関係や生活上の事情によって抜け出せなくなっていたのか。
その詳細は資料には残されていない。
しかし、事件直前の忠四郎の行動を見る限り、少なくとも晩年の二人の関係が対等なものだったとは考えにくい。
忠四郎はナカに対して激しい嫉妬を抱き、自分以外の男と関わることを許さなかった。
そして明治二十八年一月。
一枚の一円札の紛失と、一人の男性客の存在をきっかけとして、それまで忠四郎の内側に蓄積されていた嫉妬、所有欲、怒りが爆発する。
ナカは縄で縛られた。
さらに身体を梁などから吊るされ、逃げることも抵抗することも困難な状態にされた。
忠四郎はそのナカに対し、刃物や棒状の物などを用いながら、男性関係を白状させようと長時間にわたって暴行を続けた。
それは一瞬の激情ではなかった。
数分でもなかった。
暴行は長時間続き、資料の叙述では二日間に及んだとされている。
ナカの身体には多数の傷が残った。
殴打による傷。
刃物による刺創、切創。
そして、そのほかにも数多くの負傷。
『灰色記録史』が、その光景を、
「まさに生地獄の惨状」
と表現するほどだった。
そして最後に、
ナカは死亡した。
事件は当時の新聞でも「養女殺し」として大きく報じられた。
安住忠四郎は裁判にかけられ、明治二十八年四月二十二日、福島地方裁判所は忠四郎に、
死刑
を言い渡した。
一円札をなくしたという、日常の小さな出来事から始まった事件だった。
しかし、一円札がナカを殺したわけではない。
男性客がナカを殺したわけでもない。
嫉妬という感情それ自体が、人を殺したわけでもない。
最終的に暴力を選び、何度もやめる機会がありながら暴行を続けたのは、安住忠四郎本人だった。
いつ・どこで起きたか
事件が起きたのは、
明治二十八年一月二十七日ごろ。
場所は当時の、
福島町。
現在の福島市周辺である。
当時の福島は県庁所在地として整備が進みつつあったものの、現在の都市社会とは大きく異なっていた。
近隣住民同士の距離は近い。
誰がどの家に暮らしているのか。
誰の家の娘なのか。
誰と誰が夫婦なのか。
誰がどのような商売をしているのか。
そうした事情が自然に周囲へ伝わっていく社会だった。
安住忠四郎は、そんな福島町で表具師として生活していた。
表具師とは、掛軸や屏風、襖などを仕立てたり修理したりする職人である。
忠四郎の家は単なる住居ではなく、仕事をする場所でもあったと考えられる。
客が訪れる。
品物を見せる。
代金を受け取る。
職人としての日常がそこにはあった。
事件当日も、始まりだけを見れば、ごく普通の日だった。
一人の男性客が忠四郎のもとを訪れた。
客は三十銭ほどの品物を購入した。
代金として差し出したのは、
一円札。
現在の一円とはまったく違う。
当時、一円は職人の家計にとって決して小さな金額ではなかった。
『灰色記録史』によれば、当時の米は一石八円五十銭から九円ほど。
一升なら八銭から九銭程度だったという。
三十銭あれば、米を三升から四升ほど買うことができた。
一円札は、その三倍以上の価値を持つ。
忠四郎は三十銭の商品を売ったため、客に七十銭の釣り銭を返さなければならなかった。
しかし細かい金がなかった。
そこで忠四郎はナカに一円札を渡した。
資料に基づけば、忠四郎はおそらく次のような趣旨の言葉を口にした。
「これを崩してこい」
ナカは一円札を持って家を出た。
それが惨劇の始まりだった。
・事件発覚
・犯人の生い立ち
・事件の前兆
・事件当日の詳細
・捜査
・逮捕
・裁判
・まとめ