大正15年 鬼熊事件|岩淵熊次郎が3人を殺害し42日間逃亡した 放火 サーベル 警官殺し 逃亡劇 捕まらない理由?
大正15年(1926年)8月。 千葉県香取郡久賀村、現在の多古町周辺で、一人の男による凄惨な事件が始まった。 男の名は岩淵熊次郎、35歳。 荷馬車引きとして働き、村では「熊さん」と呼ばれ、馬の扱いがうまく、困った人を助けることもある人物として知られていた。 妻と5人の子どもを持つ父親でもあった。 しかし、長年関係を持っていた女性が別の男性と交際を始めたことから、熊次郎の嫉妬と執着は急速に暴力へ変わっていく。 1926年8月20日未明。 熊次郎は女性を襲って殺害。 さらに恨みを抱いていた男の家へ放火し、駐在所からサーベルを奪い、別の男性を斬殺。 警察官にも斬りつけ、そのまま山林へ姿を消した。 ここから、日本中を騒がせた42日間の逃亡劇が始まる。 警察は何度も大規模な山狩りを実施し、延べ6000人を超える警察官を投入。 それでも熊次郎は捕まらなかった。 土地勘、体力、山林の地形。 そして何より、かつて「熊さん」に助けられた村人たちが食事や風呂を与え、通報を遅らせるという複雑な地域社会との関係が、その逃亡を支えていた。 新聞は熊次郎を「鬼熊」と命名。 「神出鬼没の鬼熊」として連日のように報道し、歌や映画まで作られた。 だが逃亡中にも熊次郎は警察官を殺害。 死者は3人となる。 そして9月30日。 42日間逃げ続けた熊次郎は、故郷の墓地付近で瀕死の状態となって発見され、そのまま死亡した。 逮捕も、本人への裁判もなかった。 村人には「熊さん」。 新聞には「鬼熊」。 警察には指名手配犯。 そして被害者にとっては、自らの人生を奪った男。 大正末期、日本中を巻き込んだ「鬼熊事件」と岩淵熊次郎の42日間を追う。