明治42年 二本榎の惨劇 一家五人惨殺と、四年後に現れた真犯人・荒内鎌太郎 東京市芝区二本榎町
明治42年(1909年)11月、東京市芝区二本榎町(現在の東京都港区高輪付近)で発生した一家五人惨殺事件の全貌に迫る記事です。日本郵船の船長が航海で留守にしていた夜、家に残されていた33歳の妻、10歳・8歳・2歳の子ども3人、21歳の女中の計5人が命を奪われました。遊ぶ金欲しさに侵入した当時19歳の青年・荒内鎌太郎が、家人に見つかったことで口封じのために凶行に及んだ未解決事件でした。事件発覚後、警察は別人を長期間拘束したり虚偽の自白に振り回されたりと捜査は難航し、事件は迷宮入りします。さらに約2年後の明治44年(1911年)、同じ二本榎で3人が殺害される第二の惨劇が発生し、今度は誤認捜査により拘禁中の容疑者が自ら命を絶つという悲劇まで起きました。最初の事件から約4年後、第二の事件の盗品である長襦袢をきっかけに真犯人の荒内が逮捕され、計8人の殺害により死刑執行となるまでの経緯や、誤った捜査が関係者の人生に与えた影響について詳しく解説します。