二本榎の惨劇 一家五人惨殺と、四年後に現れた真犯人・荒内鎌太郎
明治42年 1909年11月
東京市芝区二本榎町
■事件概要
明治四十二年 一九〇九年十一月。
東京市芝区二本榎町。
現在の東京都港区高輪付近にあたる一帯で、一つの家族が一夜にして消えた。
家の主人は、日本郵船の船「上川丸」の船長を務めていた男性で、
船乗りである良四郎は、仕事に出れば長期間東京を離れる。
事件が起きた夜も、彼は航海中だった。
家に残っていたのは、三十三歳の妻「菊池しず」。
十歳の長女「菊池まさ」。
八歳の長男「菊池寛雄」。
二歳の次男「菊池三郎」。
そして住み込みで働いていた二十一歳の女中「里田みや」。
大人の女性二人と、十歳、八歳、二歳の三人の子ども。
合計五人だった。
その夜、家へ一人の男が忍び込んだ。
男の名は、
荒内鎌太郎。
当時十九歳。
のちの調べによれば、目的は怨恨による復讐でも、家族を皆殺しにするための計画でもなかった。
金だった。
金品を盗むため、船長が留守にしている家へ侵入した。
ところが家の中には人がいる。
侵入が発覚した。
顔を見られた。
捕まるかもしれない。
鎌太郎はそこで、逃げるのではなく、目撃者を消す方を選んだ。
結果として家にいた五人全員が殺された。
凶器は、後世の資料では鉞、あるいはそれに似た重量のある刃物とされる。
一撃でも人間に致命的な損傷を与える重い刃物である。
静かな住宅地の一軒家で、眠っていた家族が次々に襲われた。
抵抗できる成人男性はいなかった。
十歳の少女。
八歳の少年。
そして、まだ二歳の幼児まで殺された。
夜が明けたとき、生存者は一人もいなかった。
しかも、この事件はそこで終わらない。
警察は真犯人を捕まえられなかった。
別の男性が疑われ、長期間拘束された。
さらに翌年には、別の窃盗犯が、
「自分がやった」
と名乗り出た。
だが、その自白は現場の事実と合わず、虚偽だと判明する。
事件は迷宮入りした。
そして二年後。
同じ二本榎周辺で、今度は三人が殺される一家殺人が起きた。
また強盗。
また一家殺し。
また真犯人が分からない。
さらに誤った捜査によって、一人の容疑者が拘禁中に自ら命を絶つという悲劇まで起きた。
二つの事件を結びつけたのは、大掛かりな科学捜査ではなかった。
盗まれた一着の衣類だった。
盗品の流れをたどった警察が行き着いた男。
それが、荒内鎌太郎だった。
一九一三年八月。
最初の一家五人殺害から四年近くが過ぎていた。
刑事は鎌太郎へ尋ねた。
「二本榎の、最初の五人殺しもお前なのか」
鎌太郎は黙った。
刑事はさらに問う。
「船長の留守宅だ。妻と三人の子ども、それに女中が殺された。覚えているな」
沈黙。
「お前がやったのか」
やがて鎌太郎は認めた。
「……そうです」
東京を震撼させた未解決事件の真犯人は、怪盗でも、凶悪な犯罪集団でもなかった。
最初の犯行時、まだ十九歳だった青年だった。
■いつ・どこで起きたか
第一の事件は、明治四十二年、一九〇九年十一月。
資料上、捜査の取調べでは「十一月二十一日の夜」が問題とされており、この夜から翌朝にかけて惨劇が起きたとみられる。
場所は東京市芝区二本榎町一丁目七十八番地。
現在の東京都港区高輪周辺である。
当時の二本榎は、寺院と住宅が並ぶ古い町だった。
そこに、日本郵船の船長である菊池良四郎の家があった。
一家の主人は海上勤務。
妻と子どもたちは東京で留守を守る。
船乗りの家庭として、それ自体は特別なことではなかった。
「お父さんは、いつ帰ってくるの」
子どもが聞けば、母親は、
「お仕事が終わったら帰ってきますよ」
と答えていたかもしれない。
父がいない夜は珍しくない。
だからこそ、犯人にとっては都合がよかった。
成人男性が不在だったからである。
第一の事件から約二年後。
明治四十四年、一九一一年十一月。
同じ二本榎周辺で、第二の一家殺人が起こった。
被害者は瀬戸物商の一家側三人。
十一月十四日の朝、大工が大川家を訪れた。
「大川さん」
返事がない。
もう一度声をかける。
「大川さん、いませんか」
静かだった。
勝手口へ回る。
戸が開いている。
中へ入った大工は、家の異常に気づいた。
三人はすでに死亡していた。
前日に殺害されたとみられた。
一九〇九年。
死者五人。
一九一一年。
死者三人。
二本榎という同じ土地で、短期間のうちに二度の一家殺しが発生したのである。
■登場人物
【荒内鎌太郎】
本事件の真犯人。
最初の一家五人殺害時は十九歳。
後世の資料によれば、船頭・常次郎の次男として東京・深川に生まれた。
尋常小学校を経て、叔母の養子となり働いた。
十六、十七歳ごろから遊郭へ通うようになり、特に品川遊郭で遊ぶための金を必要とするようになったとされる。
第一の事件では金品目的で菊池家へ侵入し、家人五人を殺害。
その約二年後には、二本榎周辺の大川家へ侵入し三人を殺害した。
二つの事件で合計八人が死亡した。
一九一三年に逮捕。
一九一四年に死刑判決。
一九一五年六月十八日、死刑が執行された。
【菊池良四郎】
第一事件の家の主人。
日本郵船「上川丸」の船長。
事件当時は航海中で東京を留守にしていた。
そのため本人は殺害を免れたが、一夜で妻、三人の子ども、家を手伝っていた女性を失った。
事件解決まで約四年間、真犯人不明のまま生きることになる。
【菊池しず】
良四郎の妻。
三十三歳。
三人の子どもを育てながら、航海へ出る夫の留守宅を守っていた。
事件当夜、縁日へ出掛け、菊の鉢植えを買って帰宅したと後世に伝えられている。
数時間後、侵入した荒内鎌太郎によって殺害された。
【菊池まさ】
十歳の長女。
現代でいえば小学校高学年ほどの年齢だった。
母、弟たちとともに自宅で死亡した。
【菊池寛雄】
八歳の長男。
現代なら小学校低学年ほど。
父親は航海中。
自宅へ侵入した鎌太郎に命を奪われた。
【菊池三郎】
二歳の次男。
元資料では名前の詳しい記載がないため、本稿では年齢の数字をずらし「三郎」とした。
犯人に抵抗する力も、警察へ通報する能力もない幼児だった。
それでも殺された。
【里田みや】
二十一歳。
菊池家で住み込みの女中として働いていた。
主人が航海中の家で、妻と子どもたちの暮らしを支えていた。
一家とともに殺害された。
【大川寅吉】
第二事件の被害者。
瀬戸物商。
二十八歳。
一九一一年、妻と店を手伝う少年とともに殺害された。
【大川うら】
寅吉の妻。
二十歳。
夫とともに第二事件で死亡。
【砂原高太郎】
十四歳。
大川家の店を手伝っていた少年。
第二事件で殺害された。
【高岡宗太郎】
第一事件で警察から疑いをかけられた男性。
近隣の薪炭商の息子。
重要容疑者とされ、後世の資料では四十二日間拘束された後に釈放されたとされる。
真犯人ではなかった。
【斎藤金三郎】
第一事件翌年の一九一〇年、京都で捕らえられた窃盗犯。
取調べの中で二本榎の五人殺しを、
「自分がやった」
と供述した。
しかし、侵入場所や現場の状況など供述内容が事実と合わず、虚偽の自白だと判明した。
【中村国太郎】
第二事件で警察から疑われた人物。
後に真犯人が荒内鎌太郎だと判明するため、中村は無実だった。
帝国議会でも、二本榎事件をめぐる警察の「圧迫」の例として取り上げられ、中村は拘禁中に獄内で自ら命を絶ったとされる。
【武東晴一】
警視庁刑事課長。
第一事件の重大性を受け、部下を率いて捜査へ加わったと後世の資料に記される。
【正岡容】
作家。
後年、この事件について、殺害された妻が事件当夜に縁日で菊を買って帰ったという印象的な逸話を書き残した。
【井上剣花坊】
川柳家。
事件を題材に、
「殺される晩 縁日で菊を買ひ」
と詠んだ。
【甲賀三郎】
探偵小説家。
後年、「二本榎惨劇」としてこの事件を取り上げた。
■事件発覚
夜が明けた。
いつもなら、家の中に生活の音が戻る時間だった。
戸が開く。
水を使う。
朝食を用意する。
子どもたちが起きる。
住み込みの女中が働き始める。
だが、その朝の菊池家は異様なほど静かだった。
人の気配がない。
やがて家の異常が発見され、警察へ知らせが走った。
「二本榎で大変なことが起きています」
「何があった」
「人が死んでいます。一人ではありません」
警察官が現場へ急行した。
家の中には五人。
妻。
十歳の娘。
八歳の息子。
二歳の幼児。
二十一歳の女中。
全員が死亡していた。
重い刃物を用いた襲撃だった。
寝ていた人間を突然襲ったとすれば、防ぎようがない。
子どもはなおさらだった。
現場を見た警察官にとっても、容易に目を向け続けられる状況ではなかったと伝えられる。
家の外には近所の人々が集まり始めた。
「何があったんです」
「船長さんの家らしい」
「奥さんは?」
警察官が遮る。
「下がってください」
「中へ入らないでください」
「現場を荒らさないように」
現在なら、DNA。
防犯カメラ。
携帯電話の位置情報。
交通系記録。
電子決済。
さまざまな手掛かりが捜査に利用できる。
しかし明治末期の東京に、そのようなものはない。
指紋捜査すら、現在のように全国規模で成熟したものではなかった。
警察が頼れるのは、現場に残された物。
足跡。
盗まれた品。
目撃者。
近所の不審者。
被害者の人間関係。
そして取調べで得る供述。
ところが菊池家では、家にいた五人全員が殺されていた。
犯人を見た人間が一人も残っていない。
このことが、事件を長期迷宮入りへ導く最大の要因の一つとなった。
・犯人の生い立ち
・事件の前兆
・当日の詳細
・逮捕
・裁判
・判決
・まとめ