昭和29年・鏡子ちゃん事件
学校の中で消えた七歳

昭和29年、1954年4月19日
東京都文京区本郷 区立元町小学校

事件概要

昭和二十九年、一九五四年四月十九日。

東京都文京区本郷にある区立元町小学校で、二年生の七歳の少女、細田鏡子が校内の便所で殺害された。

鏡子は二時間目と三時間目の間、級友たちと遊んでいた。

やがて一人で校舎へ戻ることになり、友達へ、

「お便所に行ってくるわ」

と告げた。

それが、級友が聞いた鏡子の最後の言葉となった。

三時間目が始まっても鏡子は教室へ戻らなかった。

しかし鏡子の自宅は学校のすぐ近くにあったため、担任教師は当初、忘れ物を取りに帰宅した可能性などを考えた。

時間が過ぎた。

一時間。

さらに時間が過ぎた。

二時間近くたっても、鏡子は戻らない。

教職員や児童たちが校内を探し始めた。

偶然学校付近へ来ていた鏡子の母親も捜索に加わった。

そして正面玄関付近の便所。

並んだ個室の一つだけが閉ざされ、呼びかけても返事がなかった。

すりガラスの向こうには、鏡子が着ていた衣服の色が見えた。

教師が扉を開けた。

中には鏡子が倒れていた。

鏡子は何者かによって性的な危害を受け、首を絞められていた。

病院へ運ばれたものの、命を救うことはできなかった。

学校。

昼間。

授業中。

周囲には教師も子供もいた。

それにもかかわらず、一人の七歳の児童が校舎内で命を奪われた。

事件は東京都内だけでなく、全国へ大きな衝撃を与えた。

警視庁本富士署などによる捜査が始まった。

現場となった便所の排水設備を調べた捜査員は、一枚のハンカチを発見する。

そこには、

「S・S」

というイニシャルが入っていた。

さらに事件当日、学校付近に現れた一人の若い男について、知人から情報が寄せられた。

男は二十歳。

名前は坂巻修吉。

肺結核のため静岡県内の療養施設にいたが、そこを無断で離れて東京へ戻っていた。

覚醒剤、当時俗に「ヒロポン」と呼ばれた薬物への依存もあった。

事件の日、坂巻は金を借りるため知人を訪ねた。

しかし相手は不在だった。

その後、坂巻は元町小学校へ入り、校内の便所へ向かった。

そこで鏡子と遭遇した。

二人は知り合いではなかった。

坂巻が以前から鏡子を狙っていたという事件でもなかった。

七歳の少女が、いつもの学校で、いつものように便所へ向かった。

二十歳の男が、別の理由から偶然同じ場所へ来た。

その偶然の交差が殺人事件へ変わった。

捜査の結果、坂巻が浮かび上がる。

坂巻は逮捕・起訴され、昭和三十年四月十五日、東京地方裁判所で死刑判決を受けた。

控訴。

上告。

いずれも退けられた。

昭和三十一年十月二十五日、死刑が確定したとされる。

そして昭和三十二年六月二十二日。

坂巻修吉の死刑が執行された。

二十二歳だった。

だが、事件の影響は犯人の処刑だけでは終わらなかった。

学校の男女共用便所。

外来者の自由な出入り。

校内巡回。

学校の柵。

来校者と児童の動線。

事件後、それまで当たり前と思われていた学校の安全管理そのものが問い直された。

一人の七歳の少女の死をきっかけとして、

「学校は、本当に子供を守ることのできる場所なのか」

という問いが日本社会へ突きつけられたのである。

いつ・どこで起きたか

事件が起きたのは、昭和二十九年四月十九日。

一九五四年の春である。

場所は東京都文京区本郷。

区立元町小学校。

戦争が終わって九年がたっていた。

東京は焼け跡の時代から急速に復興しつつあった。

新しい建物が増え、商店街には商品が並び、電車には通勤客や学生が乗り込んでいた。

しかし、現在の東京とはまったく違う。

学校の安全管理も現在ほど厳格ではなかった。

防犯カメラはない。

電子錠もない。

来校者が名札をつける仕組みもない。

校門で身元を確認する警備員も一般的ではない。

地域と学校との境界も、現在より曖昧だった。

近隣の大人が学校へ入ること自体が、直ちに異常な行動と判断される時代ではなかった。

元町小学校の便所も、現在の学校とは構造や管理の考え方が違っていた。

男女共用で、大人を含む外来者が使用することもあったとされる。

つまり、七歳の子供が利用する便所へ、学校関係者ではない成人男性が入ることのできる環境が存在していた。

現在の感覚なら、

「なぜそんなことが許されていたのか」

と思う。

しかし当時、それは必ずしも特別なことではなかった。

危険は、危険として認識されていなかった。

その制度の隙間へ、坂巻修吉が入り込んだ。

そして四月十九日午前。

元町小学校の平凡な一日が、日本の学校犯罪史に残る一日に変わった。

登場人物

■細田鏡子

本事件の被害者。

東京都文京区立元町小学校二年生。

七歳。

昭和二十九年四月十九日、二時間目と三時間目の間、級友へ、

「お便所に行ってくるわ」

と言って校舎へ戻った。

その後、授業へ戻らなかった。

約二時間後、正面玄関付近の便所個室で発見された。

病院へ搬送されたものの死亡が確認された。

当時の新聞、雑誌、ニュース映画などで事件は大きく報じられ、「鏡子ちゃん事件」という呼称が広く知られることになった。

■坂巻修吉

資料によっては「坂巻脩吉」と表記される。

事件当時二十歳。

鏡子殺害事件の犯人として逮捕・起訴され、死刑判決を受けた。

少年期から家庭内の不和や非行などの問題を抱え、覚醒剤に依存していたとされる。

肺結核を患い、事件当時は静岡県内の療養施設に入っていた。

しかし事件当日、その施設を無断で離れて東京へ戻った。

知人から金を借りようとしたが相手は不在。

その後元町小学校へ入り、校内の便所で鏡子と遭遇した。

昭和三十年四月十五日、東京地方裁判所で死刑判決。

控訴、上告を経て死刑が確定。

昭和三十二年六月二十二日、二十二歳で死刑が執行された。

■細田鏡子の母親

資料では本稿で確実に使用できる実名は確認できないため、「鏡子の母親」と記す。

娘の失踪を知り、学校内の捜索に加わった。

便所で鏡子が発見された際、その場へ駆けつけた。

娘の名前を何度も呼び、激しく取り乱したことが事件記録に残されている。

■鏡子の担任教師

実名は資料から確実に確認できない。

三時間目になっても鏡子が教室へ戻っていないことを認識した。

ただし鏡子の自宅が学校のすぐ近くだったことなどから、当初は忘れ物を取りに帰った可能性なども考えられた。

長時間戻らないため、校内捜索へ移った。

■鏡子の級友たち

実名は資料では確認できない。

事件直前、鏡子と一緒に遊んでいた。

鏡子が、

「お便所に行ってくるわ」

と話して校舎へ戻るのを見ていた。

■坂巻の知人

実名は資料では確実に確認できない。

事件当日の坂巻の様子について重要な情報を警察へ提供した人物。

坂巻が事件の日に現れ、不自然な様子を見せ、しきりに手を洗っていたという情報が捜査の一つの材料となった。

■本富士署・警視庁の捜査員

事件現場の検証、聞き込み、遺留品の収集、坂巻の足取りの確認などを担当。

現場となった便所の排水設備から「S・S」のイニシャル入りハンカチを発見した。

昭和二十九年という、防犯カメラもDNA鑑定も存在しない時代に、物証と聞き込みを積み重ねて坂巻へ迫った。

事件発覚

事件発覚は、鏡子が教室へ戻らなかったことから始まった。

三時間目。

教室に鏡子の姿がない。

最初は大騒ぎにならなかった。

家が学校のすぐ近くにある。

何か忘れ物を取りに帰ったのかもしれない。

少し待てば戻る。

その程度に考えられた。

しかし戻らない。

一時間が過ぎる。

まだ戻らない。

二時間近くになる。

さすがにおかしい。

教職員や児童が校内を探し始めた。

「鏡子ちゃんを見なかった?」

「さっきまではいたよ」

「どこへ行ったの?」

「お便所へ行くって」

会話は再構成である。

だが、捜索の起点となった事実は明確だった。

鏡子は便所へ行った。

そこで行方が途切れている。

校庭。

廊下。

教室。

物置。

階段。

校舎の周囲。

見つからない。

やがて正面玄関付近の便所へ捜索の手が及ぶ。

一つだけ閉まった個室がある。

「誰かいるの?」

返事はない。

「鏡子ちゃん?」

返事はない。

すりガラス越しに色が見える。

鏡子の衣服に似ている。

教師が戸を開ける。

そこに鏡子が倒れていた。

母親が駆けつける。

「鏡子!」

返事はない。

「鏡子、鏡子!」

何度呼んでも、七歳の娘から声は返ってこなかった。

鏡子は何者かによる性的な危害を受け、首を絞められていた。

七歳の小さな身体から、呼吸が奪われていた。

つい数時間前まで校庭で遊んでいた児童が、学校の便所で動かなくなっている。

教職員にとっても、級友にとっても、母親にとっても、現実として受け入れ難い光景だった。

病院へ搬送された。

しかし死亡が確認された。

その瞬間、元町小学校は単なる学校ではなく、殺人事件の現場になった。

犯人の生い立ち

坂巻修吉。

事件当時二十歳。

まだ青年と呼ばれる年齢だった。

しかし、その二十年間は安定したものではなかったとされる。

資料によれば、家庭は外から見て極端な貧困家庭ではなかった。

父親は青果関係の商売をしていたとされる。

だが、家庭内部では両親の関係が悪化していた。

夫婦げんか。

不和。

やがて離婚。

父親の再婚。

新しい家庭。

坂巻は継母にもなじめなかったとされる。

家庭というものは、子供にとって最初の社会である。

学校へ行く前に、人間関係を覚える場所でもある。

しかし坂巻にとって、その家庭は必ずしも安定した居場所にはならなかった。

もちろん、親が離婚したから犯罪者になるわけではない。

継母との関係が悪かったから殺人を犯すわけでもない。

同じような家庭環境を経験しても、犯罪とは無縁の人生を送る人間の方が圧倒的に多い。

したがって、家庭環境を犯罪の免罪符にしてはならない。

ただし、一人の人間がどのように社会から外れていったのかを考える材料として、生育環境を無視することもできない。

坂巻の少年期には、もう一つ大きな影がある。

戦争だった。

坂巻が小学生のころ、日本は戦争のただ中にあった。

東京では空襲が激しくなった。

子供たちは地方へ疎開した。

家族と離れる。

知らない土地で暮らす。

空襲。

警報。

敗戦。

食糧不足。

価値観の崩壊。

昭和二十年八月、日本は敗戦した。

大人の社会そのものが揺らいだ時期に、坂巻は少年期から青年期へ移っていった。

だが、ここでも同じことを確認する必要がある。

戦争を経験した者の大多数は、殺人犯にはならなかった。

空襲を経験したから人を殺すわけではない。

貧困を経験したから子供を襲うわけでもない。

時代は背景にはなる。

しかし最終的な行為の責任を時代へ押しつけることはできない。

坂巻はやがて学校生活から離れ、不良仲間との交際を深めていったとされる。

暴力。

窃盗。

非行。

保護観察を受けた時期もあったという。

父親は立ち直らせようとしたとされる。

だが親子関係は安定しなかった。

家庭に戻っても落ち着かない。

学校にも定着しない。

社会の規範から少しずつ離れていく。

そして戦後社会の大きな問題だった覚醒剤へ近づいた。

「ヒロポン」。

現在では覚醒剤が極めて危険な違法薬物だという認識が社会に浸透している。

しかし終戦直後の日本では事情が違った。

戦時中、覚醒剤は軍や労働の現場などでも使用されていた。

敗戦後、その薬剤が大量に民間へ流れた。

疲労を忘れる。

眠らずに動ける。

気分が高揚する。

そうした効用が強調され、やがて乱用が広がった。

若者。

労働者。

非行少年。

さまざまな層へ入り込んだ。

依存症が増え、精神状態を崩す者も現れ、覚醒剤をめぐる犯罪も社会問題となった。

坂巻も、そのヒロポンへ依存するようになったとされる。

一時的な高揚。

切れた後の消耗。

また欲しくなる。

金が必要になる。

生活が崩れる。

人間関係も崩れていく。

薬物だけが坂巻の犯罪を作ったわけではない。

だが、坂巻の生活の乱れをさらに深刻にした要素の一つだったことは否定できない。

さらに坂巻は肺結核を患った。

昭和二十年代の結核は、現在よりもはるかに深刻な病気だった。

長期療養が必要となり、社会から隔離されたような生活を送る者も多かった。

坂巻も静岡県内の療養施設へ入った。

だが、その生活にも順応できなかった。

覚醒剤の問題。

規律違反。

無断外出。

療養施設にいながら、生活は安定しない。

昭和二十九年四月十九日。

坂巻は施設を無断で抜け出した。

東京へ戻る。

その日の朝、坂巻自身は知らなかった。

数時間後。

東京の小学校で、自分とは何の関係もない七歳の少女の人生を終わらせることになるなど、まだ誰も知らなかった。

・犯人の生い立ち

・事件の前兆

・当日の詳細

・逮捕

・裁判

・判決

・まとめ