砂風呂お春殺し――鈴ヶ森美人殺し
大正四年、処刑場跡で起きた殺人と「二人の犯人」
大正4年 1915年4月30日
東京府荏原郡大井町 東京都品川区南大井周辺
【事件概要】
大正四年 一九一五年。
東京府荏原郡大井町。現在の東京都品川区南大井周辺。
東京市街から少し離れた大森から鈴ヶ森にかけての海岸は、当時、海水浴や料理、宿泊、芸者遊びなどを楽しむ近郊行楽地として知られていた。海岸沿いには料理旅館や娯楽施設が並び、その一つに、温めた砂で身体を休める「砂風呂」を備えた料理店「濱の家」があった。
主人は田中伊助。
その店で働いていた二十六歳の女性が、田中はる――通称「お春」である。
新聞は彼女を田中家の長女として報じたが、後年には、前借金を伴って田中家の養女となった可能性も指摘された。少なくとも事件当時、お春は「濱の家」を代表する女性の一人として客に知られていた。
その「濱の家」からさほど遠くないところに、江戸時代の鈴ヶ森刑場跡があった。
かつて多くの罪人が処刑された場所。
事件当時、周辺には鬼子母神堂があり、海岸道路を人々が往来していた。
一九一五年四月三十日早朝、その刑場跡近くの路傍で、お春は変わり果てた姿で発見された。
首を圧迫されたとみられ、さらに首、眼の周囲、下半身などには刃物で加えられた複数の傷があった。遺体の上には炭俵や古い雨戸のようなものが置かれていたとも報じられている。新聞によって傷の位置や数には違いがあるが、単なる殺害では説明しにくい意図的な遺体損傷があったことは、当時の捜査を大きく左右した。
警察は「激しい男女関係の恨みではないか」と考えた。
そこで疑われたのが、お春の元愛人、小守壮輔だった。
前科がある。
女性関係の悪評がある。
お春と実際に関係があった。
金銭の揉め事もあった。
現場の近くに生活圏がある。
小守はあまりにも「犯人らしく」見えた。
しかし、彼は犯人ではなかった。
小守は長期間にわたる取調べの末、ついに犯行を認める供述をした。ところが法廷へ出ると一転して、
「私は殺しておりません」
と否認。
警察での自白は、暴力的な取調べと精神的圧迫によって作られたものだと訴えた。
それでも裁判は続いた。
ところがその最中、別の殺人、強盗事件で逮捕された常習犯罪者・石井藤吉が、留置場で驚くべきことを言い出す。
「鈴ヶ森のお春を殺したのは俺だ」
一つの殺人事件に、互いに共犯関係ではない二人の「犯人」が現れた。
一人は「やっていないのに自白した」と言う。
もう一人は「自分がやった」と言い、しかも一審で無罪を言い渡されると不満を示す。
最終的に石井藤吉は、お春殺しについても真犯人と認定され死刑となった。
一方、小守壮輔が無罪となったのは事件発生から約三年半後だった。
鈴ヶ森・砂風呂お春殺し事件は、一人の女性が殺害された猟奇事件であると同時に、大正期の日本における自白偏重、強圧的取調べ、誤認捜査、そして冤罪の危険を象徴する刑事司法事件となった。
【いつ・どこで起きたか】
事件が起きたのは、大正四年、一九一五年四月二十九日夜から三十日未明にかけてである。
場所は東京府荏原郡大井町、現在の東京都品川区南大井周辺。
現在の品川や大森から想像する都市景観とは違い、当時の海岸部には料理旅館や海水浴場、遊興施設が並んでいた。
お春がいた「濱の家」も、その一角にあった。
大森停車場からも遠くなく、京浜電車を利用すれば東京市街から気軽に訪れることができる地域だった。
そして鈴ヶ森には、江戸時代の刑場跡が残っていた。
人々の記憶の中には、かつて罪人が処刑された場所という暗い歴史がある。
事件の夜。
お春は大森停車場へ客を見送りに行き、一度「濱の家」へ戻ったとされる。
午後十時ごろ。
一日の仕事を終え、あとは休むだけに見えた。
だが、お春はその後、再び外へ出た。
誰かに呼び出されたのか。
自分の意思で歩きに出たのか。
その点は最後まで完全には明らかになっていない。
そして深夜。
鬼子母神堂付近、かつて刑場だった鈴ヶ森の夜道で、お春は石井藤吉と遭遇したと最終的には認定されることになる。
【登場人物】
■田中はる――通称「お春」
二十六歳。「濱の家」で働いていた女性。新聞では田中家の長女とされたが、後年には養女であった可能性も指摘されている。事件の被害者。遺体の異常な損傷が捜査を痴情事件へ向ける原因となったが、最終的に認定された石井藤吉の犯行動機は、お春の過去の男女関係とは直接関係しなかった。
■田中伊助
料理店兼砂風呂「濱の家」の主人。お春が生活し、働いていた田中家の中心人物。
■鯉家しづ江
大森周辺の芸妓。事件前夜、「濱の家」に滞在していた福島からの米穀商の酒宴に呼ばれた。お春とともに客を大森停車場まで見送りに行ったとされる。
■小守壮輔
お春殺しの第一の容疑者。神奈川県戸塚出身。三十代半ば。お春と過去に男女関係があり、金銭問題も抱えていた。前科や女性問題もあったため警察に強く疑われ、長期取調べの末に自白。しかし公判で否認し、拷問による虚偽自白だったと訴える。事件発生から約三年半後、無罪となる。
■石井藤吉
お春殺しの真犯人と最終的に認定された男。名古屋出身。窃盗、強盗など前科を重ねた常習犯罪者。事件後も各地で重大犯罪を続け、逮捕後に留置場で小守の裁判を知り、自らお春殺しを告白した。一審ではお春殺しについて無罪とされたが、控訴審で有罪、死刑となる。
■関口助六
石井藤吉が監獄で知り合った人物。出獄後、石井が頼り、その後犯罪を重ねる仲間の一人となった。
■小林市郎
後の『警視庁史』で、お春の遺体を発見した人物とされる男性。
■三原署長
品川署長。遺体発見の報を受け、刑事や医師とともに現場へ向かった。
■川崎警務課長
警視庁から現場へ出動した警察関係者。
■星加捜索係長
事件初期の捜査責任者の一人。後に石井藤吉が真犯人として浮上したあと、当時小守を疑った判断に誤りがあった趣旨の発言をしている。
■藤倉刑事、濱谷刑事、大内刑事、竹田刑事
小守が後の法廷や弁護人に対し、取調べを担当したと訴えた刑事たち。小守への取調べをめぐっては、殴打、蹴り、長時間の立たせ、睡眠妨害などがあったと主張され、警察官側も後に刑事責任を問われることになる。
■山口俊雄
窃盗罪で巣鴨監獄にいた男。警察の依頼で小守と同じ房へ入り、自白を促す役割を担ったと法廷で証言した。当時、このように留置人へ近づいて情報や自白を引き出す協力者は「玉」と呼ばれた。
■布施辰治
小守の弁護を中心的に担った弁護士。後に数多くの人権事件で知られる。小守の訴えを聞き、殺人事件そのものだけでなく、捜査機関が無実の人間を犯人へ作り替えていないかという問題を追及した。
■福島一郎
弁護士。留置場へ協力者を送り込む「玉」の手法を批判した。
■糸山貞規
小守側の弁護士の一人。石井が別に真犯人として起訴された後、小守の裁判を終わらせるよう求めた。
■中村正臣検事
事件を担当した検事。小守を犯人とする事件と、石井を犯人とする事件が並行するという異常な状況に直面した。
■立石謙輔
石井藤吉のお春殺し第一審で裁判長を務めた人物。石井の自白と現場状況の食い違いを重視し、お春殺しについて無罪を言い渡した。
■鈴木富士彌
石井の控訴審の弁護人。通常の弁護とは逆に、「石井自身がお春殺しの真犯人である」という方向から主張した。
■大槻禎郎
歌人で神奈川県師範学校の書記。石井らによる横浜の強盗殺人事件の被害者。
■小林はな
小学校教師で大槻禎郎の内縁の妻。大槻とともに殺害された。
【事件発覚】
四月三十日午前六時ごろ。
鈴ヶ森付近の路傍を通りかかった小林市郎とされる男性が、一人の女性が倒れているのを見つけた。
近づいても動かない。
衣服は乱れ、首には異常が見える。
呼びかけても返事はない。
ここからの会話は、資料に記された状況をもとにした再構成である。
「……おい。大丈夫か」
返事はなかった。
男性はさらに近づき、単なる酔客や行き倒れではないことを悟った。
女性はすでに死亡していた。
しかも身体には、明らかに何者かから暴行を受けたと考えざるを得ない痕跡が残っていた。
男性は駐在所へ急いだ。
「人が死んでいます」
「どこだ」
「鬼子母神堂の前です。女の人です」
「事故か」
「いや……違うと思います。あれは、殺されたんじゃないでしょうか」
急報を受けた品川署から三原署長らが現場へ向かい、警視庁からも川崎警務課長、星加捜索係長らが出動した。
ほどなく、女性の身元は判明する。
田中はる。
二十六歳。
砂風呂「濱の家」のお春だった。
司法解剖などから、まず首を強く圧迫されて死亡した可能性が高いと考えられた。
さらに遺体には、首、眼の周囲、下半身など、複数箇所に刃物で切りつけられた傷が残っていた。
すでに息をしていない身体にまで刃物が加えられた可能性がある。
現場には、遺体の上へ炭俵や古い雨戸のようなものが置かれていたともいう。
明け方の鈴ヶ森。
かつて処刑場だった土地。
路傍に横たわる若い女性の遺体。
その身体には、単に命を奪うためだけなら必要のない傷が刻まれていた。
捜査員の目には、強烈な恨みが残した痕跡のように映った。
「物盗りじゃない」
「女に相当な恨みがあった男だろう」
「情夫を洗え」
この判断が、事件を大きく誤った方向へ導いていく。
・犯人の生い立ち
・事件の前兆
・当日の詳細
・逮捕
・裁判
・判決
・まとめ