水車小屋に沈んだ一家四人
昭和21年・階上村親子四人殺人事件
昭和21年8月27日 1946年
青森県三戸郡階上村大字金山沢字小松倉 水車小屋の水槽の中 青森県三戸郡階上町金山沢小松倉 闇市場には粗悪な密造酒
■事件概要
昭和21年8月27日。
1946年。
日本が敗戦を迎れてから、まだ一年あまりしか経っていなかった。
青森県三戸郡階上村。
現在の階上町にあたる地域である。
階上町の公式資料によれば、階上村は明治22年に旧8か村を合併して成立し、昭和55年5月1日に町制を施行して現在の階上町となった。
事件が起きたのは、その階上村の大字金山沢字小松倉。
戸数わずか九戸ほど。
山間にある小さな集落だった。
都市のように、知らない人間同士がすれ違う社会ではない。
誰の家に誰が住んでいるか。
どの家がどれだけ田畑を持っているか。
誰と誰が親戚なのか。
どの家で嫁姑の仲が悪いのか。
そうしたことまで、住民同士が互いに知っているような小さな集落だった。
その集落の共同水車小屋で、一家四人が殺されていた。
被害者は、
田畑忠太、43歳。
その妻キク。
二人の子ども。
長女ミノル。
そして、もう一人の子ども。
一家四人だった。
遺体は水車小屋の水槽の中に沈められていた。
頭部。
顔面。
背中。
身体には、刃物によって加えられたとみられる多数の傷。
水槽から引き上げられた四人は、すでに息絶えていた。
しかし、事件の第一報は「一家四人殺人」ではなかった。
最初に村で広がったのは、
「花札をやっていた者たちが、メチールを飲んで死んだらしい」
という噂だった。
終戦直後。
酒は不足していた。
正規の酒は高い。
闇市場には粗悪な密造酒が出回る。
メチルアルコールを混ぜた危険な酒による失明、中毒、死亡が社会問題になっていた。
だから、
「水車小屋で何人かが倒れている」
と聞いた村人が、
「メチールではないか」
と考えても、当時としては突飛ではなかった。
午前8時頃。
田代巡査駐在所へ知らせが入る。
警察官も当初は集団中毒事故を想定した。
だが現場へ入った瞬間、その見立ては崩れた。
大量の血。
刃物傷。
水槽。
折り重なる一家四人。
これは事故ではない。
殺人。
しかも、偶然そこにいた四人が殺されたのではない。
一家そのものが消されている。
八戸警察署は本格的な殺人事件として捜査を開始した。
そして事件の中心に浮かび上がったのは、外から来た強盗でも流れ者でもなかった。
田畑忠太の弟。
田畑富造。
30歳。
事件前日、兄と二人きりで水車小屋に入り、一日中小麦をひいていた男だった。
富造はやがて自供する。
兄を殺した。
家へ戻った。
兄嫁キクに、
「兄さんが水車の事故で水槽へ落ちた」
という趣旨の嘘をついた。
キクと子どもたちを水車小屋へ呼び出した。
そして三人も殺した。
四人の遺体を同じ水槽へ入れた。
一家四人殺害。
その動機として富造が語ったのは、金ではなかった。
兄夫婦と老いた両親との確執。
嫁姑の対立。
病床の父親への態度。
そして母から聞いたという、
「このままではこちらが殺される」
「先に兄夫婦を何とかした方がよい」
という趣旨の言葉。
富造は、
「両親を守る」
という、極端に歪んだ理屈の中で兄一家を殺したとされる。
だが、その理屈では説明できない犠牲がある。
子どもたちだ。
兄夫婦と老親の対立とは直接関係がない。
それでも富造は止まらなかった。
事件翌朝。
彼は「兄一家を失った弟」として警察の前に現れた。
しかし、後頭部に赤黒く乾いた血が付着していた。
その血は、犯行後に水車小屋から持ち帰った枕を使って寝た際、頭へ付いたものだったという。
犯人は証拠を隠したつもりで、証拠を自宅へ持ち帰っていた。
8月28日。
富造は追及を受け、犯行を認める。
8月30日。
殺人容疑で検事局へ送致。
翌昭和22年2月25日。
青森地方裁判所八戸支部。
判決は、
懲役15年。
死刑でもない。
無期懲役でもない。
四人殺害で、懲役15年。
さらに昭和27年、講和条約発効に伴う恩赦によって刑は減刑され、
懲役11年3月
となったと事件史は記録している。
一家四人が殺された。
犯人は肉親。
動機は家庭内の憎悪。
そして、犯人を追い詰めたのは、近代的な科学捜査装置ではない。
犯行現場から何気なく持ち帰った一つの枕と、そこから自分の後頭部へ移った血だった。
■いつ・どこで起きたか
事件が発覚したのは、
昭和21年8月27日。
犯行そのものは、その前夜。
8月26日夜から27日未明にかけて起きたとされる。
場所は青森県三戸郡階上村。
現在の階上町。
より細かくいえば、
大字金山沢字小松倉。
現在も階上町には「金山沢」「小松倉」という地名が残っている。
現代の地図上では道路が通り、車で移動できる。
しかし昭和21年。
戦後間もない山間集落である。
戸数は約九戸。
村全体ではなく、小松倉という小集落だけを見れば、本当に小さな社会だった。
事件現場は田畑家の住宅ではない。
集落で共同利用していた水車小屋だった。
小屋は集落の中心から約150メートル。
田畑の中に建つ木造平屋。
間口約四間。
奥行き三間半。
小屋の中には水車を動かす設備と、精米、製粉のための装置があった。
一角には、
約二間四方。
深さ三尺ほど。
そう記録される水槽が設けられていた。
水車を動かす水をためるための設備だったとみられる。
事件後、その水槽が四人の遺体を隠す場所になった。
水車小屋は個人の家ではなく、部落共有。
各戸が順番に利用する。
一戸が二日続けて使えないという決まりがあった。
だから、その日のうちに製粉を終わらせなければならない。
作業量によっては夜まで働く。
場合によっては小屋へ泊まり込む。
事件前日。
田畑忠太と弟・富造も朝から小麦をひいていた。
兄弟が二人で水車小屋へ行く。
それ自体には、何の不自然さもない。
農村の日常。
生活のための仕事。
その普通の一日が、夜になって殺人へ変わる。
■登場人物
■田畑富造
事件の犯人。
30歳。
田畑忠太の弟。
兄一家、老いた父母らと同じ家で暮らしていた。
事件前日、兄忠太と早朝から水車小屋へ入り、小麦の製粉作業をしていた。
事件史によれば、兄夫婦と老親との関係に強い不満を持っていた。
特に、病床にある父親への兄夫婦の態度に怒りを募らせていたと供述した。
母親へ相談する。
そして母から、兄夫婦を排除することを示唆するような言葉を聞いたと供述。
その後、
「両親を安心させる」
という趣旨の歪んだ理屈から兄夫婦の殺害を決意したとされる。
しかし実際には兄夫婦だけでなく、子ども二人まで殺害。
一家四人を全滅させた。
犯行後、事件現場で使われていた枕を自宅へ持ち帰り、それを使って眠る。
枕に付着していた血が後頭部へ移り、翌日の事情聴取で捜査員に発見される。
追及を受け、自供。
最終的に懲役15年。
後に恩赦で11年3月へ減刑された。
■田畑忠太
43歳。
富造の兄。
農業を営む。
戦時中に結婚。
妻キクと母親の関係が悪くなり、夫婦で県外の軍需工場へ働きに出た。
昭和20年8月の敗戦により軍需産業が縮小。
同年11月頃、夫婦で階上村へ戻った。
帰郷後、老父母との同居を再開したが、家族内の関係は良くならなかった。
事件前日、弟富造と水車小屋で小麦を製粉。
夜、休憩するため横になり、眠ったところを襲われた。
最初の犠牲者。
■キク
忠太の妻。
史料では「キク」と記される。
忠太とともに戦時中、県外の軍需工場へ働きに出ていた。
終戦後に階上村へ帰郷。
姑との関係は以前から悪く、帰郷後も改善しなかった。
事件当夜、富造から、
「忠太が水車の事故で水槽へ落ちた」
という趣旨の嘘を告げられた。
夫を助けようと、水車小屋へ向かった。
子どもたちも同行。
そこで富造に襲われる。
■ミノル
忠太夫妻の長女。
年齢は今回の史料から確認できない。
母キク、きょうだいとともに水車小屋へ向かい、殺害された。
■もう一人の子ども
忠太とキクの子。
今回の史料では実名、年齢、性別を確定できない。
したがって名前は作らない。
事件当夜、母ときょうだいとともに水車小屋へ行き、殺害された。
■忠太・富造の父
70歳前後。
姓名は今回の資料から確認できない。
数年前から中風を患い、十分に身体を動かすことができなかった。
寝たきりに近い生活だったとされる。
富造は、兄夫婦が父に冷淡で、時には激しい言葉を浴びせていたと供述。
それが兄に対する怒りを強めた理由の一つだと語った。
■忠太・富造の母
60代後半。
姓名不詳。
兄嫁キクとの関係が悪かった。
富造の供述では、兄夫婦への不満を訴える富造に対し、
「このままではこちらが殺される」
という趣旨の話をし、さらに兄夫婦を先に殺すことを示唆するような発言をしたとされる。
事件史では、母について殺人教唆に相当する事実があったとする一方、年齢その他の事情を考慮して送検を見送ったと記録している。
これはあくまで富造の供述を基礎とした事件史の記録であり、母自身の詳細な供述や裁判による事実認定が今回の資料に残されているわけではない。
■杉村刑事
八戸警察署から捜査に参加した刑事。
事件史には、この杉村刑事が事件捜査中に奇妙な夢を見たという逸話が記録されている。
夢の中で殺された忠太が現れ、
「後頭部に赤い大きなものがある男を調べてくれ」
という趣旨の言葉を告げたという。
翌朝、富造の後頭部に実際に乾いた血が見つかった。
ただし、夢は捜査証拠ではない。
この逸話が史実としてどこまで正確に伝承されているのかは、今回の資料だけでは確認できない。
本稿では「事件史にそのような逸話が収録されている」という範囲にとどめる。
■事件発覚
昭和21年8月27日。
午前5時頃。
集落の女性が水車小屋付近で異変に気づいた。
人が倒れている。
あるいは、人が動かない。
情報は瞬く間に九戸ほどの集落へ広がった。
だが最初に出たのは、
「殺人」
という言葉ではなかった。
「酒じゃないか」
「メチールを飲んだんじゃないか」
「昨夜、水車小屋で花札をやっていたのではないか」
そんな話だった。
なぜ、四人が倒れていると聞いて「毒酒」を疑ったのか。
現代の感覚では奇妙に見える。
しかし1946年なら事情が違う。
戦争中から酒類は不足していた。
敗戦後も供給不足は続く。
闇市。
密造酒。
工業用アルコール。
メチルアルコール。
人体へ有害なものが飲用酒として流通し、失明や死亡を起こす事件が相次いでいた。
1945年12月にはGHQが日本政府へ有毒飲料の流通規制を命じた。
さらに1946年4月には規制を改め、メチルアルコールを危険な濃度で含む飲食物の所持、販売、取引などに重い罰則を設けるよう求めている。
国税庁が紹介する戦後史料にも、軍用アルコールなどを混ぜた粗悪な密造酒が深刻な社会問題だったことが記録される。
つまり「メチールで死んだのではないか」という第一報は、当時の社会状況から見れば現実味があった。
午前8時頃。
田代巡査駐在所へ連絡。
【再構成会話】
村人
「水車小屋で、人が死んでいるようです」
巡査
「何人だ」
「何人かいます」
「何があった」
「花札をしていて、メチールを飲んだんじゃないかという話です」
警察官が現場へ向かう。
八戸警察署へも報告。
刑事が派遣される。
そして水車小屋。
扉を開ける。
あるいは内部へ足を踏み入れる。
最初に目についたのは、事故死の現場ではあり得ないものだった。
血。
床。
壁や設備周辺。
小屋の中に血痕が残る。
水槽。
その水の中に人間の身体。
一人ではない。
引き上げる。
一人。
二人。
三人。
四人。
身体が折り重なる。
頭部。
顔。
背中。
複数の傷。
刃物で打ち切られたような傷。
血はすでに水へ流れ、衣服へ染み込んでいたはずである。
警察官には分かった。
メチルアルコール中毒ではない。
毒を飲んで倒れた人間に、このような傷はできない。
事故ではない。
四人は殺された。
そして身元が分かる。
田畑忠太。
キク。
子ども二人。
一家四人。
朝まで生きていたはずの一家が、一つの水槽からまとめて引き上げられた。
■犯人の生い立ち
田畑富造の幼少期について、今回の事件史はほとんど記録していない。
どこで生まれたのか。
学校はどこまで行ったのか。
少年時代にどのような性格だったのか。
兵役経験はあったのか。
職歴はどうだったのか。
これらを詳しく書ける材料はない。
ノンフィクションである以上、ここを創作で埋めてはいけない。
確認できるのは、事件当時30歳。
階上村小松倉で、兄忠太や老いた両親らと家族生活を送っていたこと。
そして田畑家の中で、両親と兄夫婦の対立を日常的に見ていたことである。
兄忠太は富造より13歳ほど年上。
43歳。
すでに妻と子を持つ一家の中心人物だった。
戦時中。
忠太は結婚。
だが妻キクと母親の折り合いが悪くなる。
同じ家で暮らせないほど関係が悪化したのか、忠太夫婦は故郷を離れ、県外の軍需工場へ働きに出た。
ここには戦時下という時代が影響している。
戦争が激しくなると、各地の軍需工場は大量の労働者を必要とした。
農村から都市や工業地帯へ働きに出る人間も多い。
忠太夫婦にとって、それは仕事であると同時に、家庭内対立から距離を置く方法でもあったのかもしれない。
ただし後者は推測である。
事件史が確実に伝えるのは、母と妻の関係が悪く、夫婦が県外の軍需工場へ行ったという流れまでである。
昭和20年8月。
敗戦。
軍需工場が閉鎖、縮小する。
忠太夫婦は仕事を失う。
同年11月頃。
夫婦は故郷へ戻った。
再び同居。
ここで以前の問題が消えていれば、事件は違ったかもしれない。
しかし改善しなかった。
むしろ家庭内の亀裂は深まった。
病床の父。
高齢の母。
兄夫婦。
弟たち。
一つの家に複数の成人家族が暮らす。
食料も豊富ではない。
戦争直後で生活は不安定。
家族の役割。
介護。
農作業。
食事。
金。
土地。
家事。
小さな不満が毎日積み重なる。
富造は兄夫婦を見ながら、
「両親を大切にしていない」
と感じるようになる。
父は中風。
自分で十分に動けない。
富造の供述によれば、忠太夫婦はその父へ強い言葉を浴びせることもあった。
富造の中で兄夫婦は、
「家族」
から、
「両親を苦しめる存在」
へ変わっていった。
ここで重要なのは、それが客観的事実だったかどうかではない。
今回の資料は主として富造の供述と警察側の記録で構成されている。
兄夫婦側は殺されており、自分たちの言い分を残せない。
だから、
「忠太夫婦が本当に老父母を虐待していた」
と無条件に断定するのは危険である。
確認できるのは、
富造がそのように受け止めていた。
そして、その受け止め方が殺意形成に影響した。
ということである。
・事件の前兆
・当日の詳細
・逮捕
・裁判
・判決
・まとめ
