昭和22年・八百屋番頭殺し事件
雪に消えた帝大卒の集金人、その失踪と逮捕まで
昭和22年 1947年 12月29日
新潟県岩船郡村上町大保田町 新潟県村上市 新発田市 八百正 八百金
【はじめに】
昭和22年(1947)12月29日。
年の瀬を迎えた新潟県北部は、凍てつく風と粉雪に包まれていた。
その日の夕方、ひとりの男が村上町を歩いていた。
名は早瀬真次。
31歳。
旧東北帝大出身とされ、戦時中はスマトラに渡り、敗戦後に復員した人物である。
戦争から戻った早瀬は、職を求めて東京を歩いた。
しかし、終戦直後の日本では、大学を出ていればすぐに安定した職に就けるという状況ではなかった。
焼け跡。
食糧不足。
急激な物価上昇。
復員者、引揚者、失業者が町にあふれていた。
早瀬は、やがて故郷に近い新発田へ戻った。
そこで青果物商「八百正」に勤め、集金の仕事をするようになった。
勤務を始めて、およそ三か月。
12月29日は、村上方面の得意先を回る日だった。
家を出るとき、身重の妻は夫に頼んだ。
「お肉、お忘れにならないでネ」
暮れの食卓に使う肉だった。
早瀬は仕事を終えたら、それを買って家へ帰るつもりだった。
ところが、その夜、彼は戻らなかった。
店にも戻らない。
家にも戻らない。
しかも、早瀬はその日、得意先から集めた約八万五千円の現金を持っていた。
金を持って逃げたのか。
事故に遭ったのか。
自殺したのか。
それとも、何者かに襲われたのか。
警察は当初、さまざまな可能性を考えた。
だが、早瀬の足取りを一軒ずつ追うと、奇妙な一点で途切れていた。
村上町大保田町の青果店「八百金」。
そこにいたのが、金子博だった。
停電。
ロウソク。
年の瀬。
雪。
大金の入った黒い集金カバン。
そして、三十分後にもう一度来てくれ、と言われて店へ戻った早瀬。
その後、彼の姿を見た者はいなかった。
警察は雪の中で捜査を続けた。
京都から届いた不可解な電報。
消えた集金人。
繰り返される聞き込み。
そして、ある家に預けられていた一個の包み。
その中から出てきたのは、早瀬が身につけていたカーキ色のオーバー、編み上げ靴、防寒帽、そして集金用の皮カバンだった。
捜査は一気に動いた。
昭和23年1月16日。
金子博は逮捕された。
そして取調べの中で、12月29日の夜に何が起きたのかが明らかになっていった。
本稿は、事件史の「雪に消えた帝大卒の集金人 八百屋番頭殺し事件」の記述を中心に、現在確認できる新発田市、村上市、警察庁、日本銀行などの公開資料を照合しながら、事件の背景、失踪、捜査、逮捕、供述、裁判までを長文ノンフィクションとして再構成したものである。
なお、事件から20年以上後に編纂された犯罪史を主要資料としているため、当時の捜査調書や裁判記録そのものとは性格が異なる。
資料に記録された会話についても逐語録である保証はない。
そのため本稿では、資料に残る言葉は短く示し、それ以外の会話や場面描写は「再構成」として区別した。
第一章 昭和22年、戦争から二年
事件が起きたのは、終戦からまだ二年余りしか経っていない昭和22年だった。
昭和20年8月、日本は敗戦した。
軍隊は解体され、海外各地にいた兵士や民間人が日本へ戻り始めた。
だが、帰国すれば戦前の日常がそのまま戻ってくるわけではない。
都市は空襲で焼けている。
企業は軍需から平時産業への転換を迫られている。
食糧は足りない。
住宅も不足している。
貨幣の価値も大きく揺れていた。
日本銀行の戦後経済資料には、昭和20年代前半の日本が激しいインフレーションに直面していたことが記録されている。
物資不足の中で通貨量が増え、物価は急速に上昇した。
昭和22年4月の日本銀行「国内経済調査」でも、生産の停滞と通貨増発が続き、インフレーションが悪化する傾向にあると記されている。
早瀬が八万五千円を持っていたという事実を現代の金額へ単純換算することは難しい。
当時は公定価格と実勢価格が大きくずれ、品目によって物価の動きも違ったからである。
しかし、事件資料がその金額を重要な「大金」として扱っていることは間違いない。
現金を持ち歩く仕事には、今とは違う危険があった。
第二章 早瀬真次
早瀬真次は31歳だった。
資料では、旧東北帝大出身とされている。
帝国大学へ進むことのできる人間は、当時の人口全体から見ればごく一部だった。
だが、早瀬の人生は戦争によって大きく変わった。
彼はスマトラへ渡った。
戦争が終わり、復員する。
帰国した早瀬が最初に直面したのは、職探しだった。
資料では、早瀬が東京でも仕事を求めて歩いたことが描かれている。
だが、焼け跡の東京で、希望する仕事を見つけることは容易ではなかった。
結局、彼は新発田へ戻る。
新発田には妻がいた。
母がいた。
弟もいた。
弟は東京大学に通っていたと資料に記されている。
早瀬の家庭は、教育を重んじる家だったのかもしれない。
しかし、その詳しい家庭環境は今回確認できた資料だけでは分からない。
ただ一つ確かなのは、復員した早瀬が再び生活を立て直そうとしていたことである。
第三章 新発田の青果商「八百正」
早瀬が勤めたのは、新発田市上鉄砲町の青果物商「八百正」だった。
主人は宮下正蔵。
早瀬の仕事は、得意先を回って代金を集めることだった。
現在であれば、企業間の支払いは銀行振込や電子決済で処理されることが多い。
だが、昭和22年の地方商取引では、商品を納めた後、担当者が得意先を一軒ずつ訪ね、直接現金を受け取ることが珍しくなかった。
集金人は帳面と領収書を持ち、店から店へ歩く。
受け取った現金は、カバンの中へ入れる。
何軒も回れば、カバンには多額の金がたまる。
つまり早瀬は、その日一日だけで、店の売上金を身体ひとつで運んでいた。
主人の宮下は、早瀬を信用していた。
事件後、警察が「金を持って逃げた可能性」を考えたときも、宮下は早瀬の人柄を疑わなかった。
第四章 新発田市になったばかりの町
新発田は、事件が起きた昭和22年に市制を施行したばかりだった。
現在の新発田市公式資料によれば、昭和22年1月、新発田は市となった。
早瀬事件は、その年の12月に起きている。
つまり新発田市にとって最初の年末だった。
戦前から軍都として知られた新発田は、敗戦によって社会の構造を大きく変えていた。
兵営と軍人の町から、戦後の市民生活を再構築する町へ。
復員兵である早瀬がそこで青果商の集金人として働いていたことは、個人の転職というだけでなく、戦後の日本そのものを映している。
第五章 村上町
一方、早瀬が集金へ向かった村上も、行政上の再編を経験したばかりだった。
現在の村上市の公式資料によれば、昭和21年、武家町を基盤とする村上本町と、町人町を基盤とする村上町が合併し、新しい村上町が成立した。
現在の村上市が誕生するのは昭和29年である。
したがって事件当時は「村上市」ではなく「村上町」だった。
古い城下町の町並み。
商家。
細い道。
冬の日本海側特有の雪。
事件資料に登場する「大保田町」も、その村上町の一角だった。
早瀬はそこへ仕事に来た。
第六章 妻の頼み
12月29日。
早瀬が家を出る前、妻が声をかけた。
「お肉、お忘れにならないでネ」
この短い言葉は、事件資料に残されている。
妻は身重だった。
夫が仕事から帰れば、二人で年を越すはずだった。
年末の買い物。
ただそれだけの頼みである。
だが、結果を知った後でこの言葉を読むと、重みが変わる。
早瀬はその日、家へ帰るつもりだった。
少なくとも、資料はそう読ませる。
【再構成】
妻
「今日は村上まで?」
早瀬
「ああ。暮れだから集金を終わらせてくる」
妻
「遅くなる?」
早瀬
「雪次第だな」
妻
「お肉、お忘れにならないでネ」
早瀬
「分かった。帰りに買ってくる」
夫婦にとっては、ありふれた朝だったはずである。
第七章 粉雪の中を村上へ
その日の村上は寒かった。
資料は、凍てつくような風と粉雪を描写している。
早瀬はカーキ色のオーバーを着ていた。
足には編み上げの靴。
軍装を思わせる服装だった。
戦争が終わって二年しかたっていない。
復員者が軍用品を生活用品としてそのまま使うことは珍しくなかった。
早瀬は午後四時ごろ村上へ入ったとされる。
そして得意先を回った。
一軒目。
二軒目。
三軒目。
帳面を確認する。
金を受け取る。
次の店へ向かう。
日が暮れる。
雪が強くなる。
第八章 八万五千円
早瀬が回った得意先は八軒ほどだった。
その日の集金総額は約八万五千円。
集金用の黒い皮カバンの中には、得意先から預かった現金が入っていた。
早瀬にとって、それは自分の金ではない。
勤め先の金である。
無事に店へ持ち帰らなければならない。
年末の忙しい中、集金を終えることは店にとっても重要だった。
そして、この「八万五千円」が事件の中心へ入り込んでいく。
第九章 停電した町
夜になると、村上町は停電していた。
資料では、家々が暗闇の中で黒い幕のように見えたという印象的な描写がある。
当時、停電は現在ほど珍しい出来事ではなかった。
昭和22年の日本銀行の経済資料にも、電力事情の悪化や電力消費規制についての記述がある。
つまり、事件の夜の暗闇は小説的な演出ではない。
戦後の電力不足という社会状況と重なっていた。
電気が消えた家ではロウソクを使う。
そのロウソクの明かりの中へ、早瀬は入っていった。
第十章 「八百金」
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第三十七章 早すぎる裁判
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第五十五章 雪に消えたのではない
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終章 昭和22年12月29日の夜
