雨の八戸、溝に倒れていた男
昭和7年「八戸塩町傷害致死事件」八戸三社大祭

昭和7年 1932年9月4日
青森県八戸市塩町付近 塩町消防屯所 八戸三社大祭

■事件概要

昭和7年、1932年9月4日。

午前2時ごろ。

祭りを終えたばかりの八戸の町には、まだ雨が残っていた。

前日まで三日間にわたり、八戸三社大祭が行われ ていた。

現在の八戸三社大祭は8月1日から3日を中心として行われているが、昭和初期には9月1日から3日の秋祭りだった。八戸市の公式資料には昭和33年9月1日の三社大祭の写真が残され、地域資料にも昭和35年ごろまで9月1日から3日に開催されていたことが記録されている。

その祭りの最終日、9月3日。

夕方から天候が崩れた。

雨は次第に強くなった。

祭りの高揚感が残る市街地から、人々が一人、また一人と消えていった。

露店は片づけを始め、酒を飲んでいた者たちも、雨を避けながら帰路についた。

そして日付が変わった。

9月4日、午前2時ごろ。

雨がようやく弱まり始めたころ、八戸警察署に一本の電話が入った。

「塩町の消防屯所の近くに、人が倒れている」

最初、その通報が大事件の始まりになるとは誰も考えていなかった。

大祭のあとである。

酒を飲みすぎた者が道路で寝込んでいる。

当時の警察官にとって、それほど異常な光景ではなかったのだろう。

二人の警察官が現場へ向かった。

塩町消防屯所の近く。

街灯も今ほど明るくない昭和初期の深夜。

雨に濡れた道路脇に、一人の若い男が倒れていた。

男は道路脇の溝へ、頭を突っ込むような姿勢になっていた。

服は濡れている。

髪は角刈り。

着流しに角帯。

年齢は30歳前後に見える。

そして、強い酒の臭いがした。

「おい。起きろ」

警察官が身体を揺すった。

返事はない。

「聞こえるか」

反応しない。

酔いつぶれているようにも見えた。

警察官たちは男を塩町消防屯所へ運び、介抱しようとした。

しかし、時間が過ぎても男は目を覚まさなかった。

午前5時ごろ、警察は朝日町の種市医師に診察を依頼した。

医師が男の頭部を調べる。

そこで、状況が一変した。

右側頭部の頭蓋骨が陥没していたのである。

ただ泥酔して眠っているのではなかった。

男は意識を失っていた。

頭蓋内部では、強い打撃による出血が起きている疑いがあった。

「これは酒だけではない」

医師は警察官にそう告げた。

男は直ちに自動車で八戸病院へ運ばれた。

しかし、頭部損傷はあまりにも重かった。

やがて男は死亡した。

その後の検案で、頭部の傷は単なる転倒ではなく、鈍器のような物による打撃と考えられた。

事故ではない。

誰かに殴られた可能性が高い。

八戸警察署は「殺人事件」として捜査を開始した。

死亡した男性の身元も、すぐには分からなかった。

聞き込みが始まった。

祭りへ出たまま戻らない男。

服装。

年齢。

顔。

髪形。

やがて身元が判明した。

八戸市小中野町字新地に住む、28歳の男性だった。

「余田四郎」。

事件史によると、四郎は酒癖が悪く、喧嘩が早い人物として周囲に知られていた。

この人物評は、後に事件の真相を理解するうえで重要になる。

なぜなら四郎は、ただ一方的に襲われたのではなかったからである。

祭りの夜。

雨宿りしていた若い男三人と女性二人。

そこへ酔った四郎が通りかかる。

四郎が男たちに難癖をつける。

殴りかかる。

男たちも殴り返す。

その途中、四郎が道路に落ちていた丸太棒を拾う。

四郎はその棒で一人の男の右腕を殴った。

殴られた男は、22歳の馬車曳き、武部百松。

武部は四郎から丸太棒を奪った。

ここで喧嘩を終わらせることもできた。

だが終わらなかった。

左利きだった武部は、奪った丸太棒を振り上げた。

そして四郎の頭部を強打した。

頭蓋骨が陥没するほどの一撃だった。

四郎は意識を失い、道路脇の溝へ頭から倒れ込んだ。

武部ら三人は、四郎を救護しなかった。

「死んだんじゃないか」

そう恐ろしくなり、その場から逃げた。

数時間後、警察官が倒れている四郎を発見した。

こうして事件は始まった。

しかし犯人の顔を知る者は、ほとんどいなかった。

捜査は難航した。

ところが、一人の女性の記憶が事件を動かした。

「そういえば、あの男を前にも見たことがある」

6月21日。

階上村の蒼前神社の祭典。

力試し大会。

そこで大石を担ぎ上げた男。

その記憶を手掛かりに、警察は約三千戸にも及ぶ戸口調査を行った。

そして浮かび上がったのが、八戸市湊町字赤坂の馬車曳き、武部百松だった。

武部は左利きだった。

遺体を解剖した牧野医師が推測していた「左利きの犯人」と一致した。

9月20日午前4時。

武部は寝込みを急襲され、八戸警察署へ連行された。

最初は否認した。

しかし翌21日夜、取り調べの末に自供した。

共犯として、出川福太郎、30歳。

そして19歳の日雇い少年。

二人も逮捕された。

捜査の結果、三人に殺意までは認められなかった。

武部は傷害致死罪。

出川と少年は傷害罪。

武部は同年12月8日、青森地方裁判所八戸支部で懲役2年6月を言い渡された。

控訴。

翌昭和8年3月10日、宮城控訴院は懲役2年とした。

その刑が確定した。

祭り。

雨。

酒。

女性二人。

男三人。

酔った一人の男。

道路に落ちていた丸太棒。

それだけのものが、数分間のうちに一人の死へつながった事件だった。

■いつ・どこで起きたか

事件の中心となったのは、昭和7年9月3日深夜から翌4日未明にかけてである。

場所は青森県八戸市塩町付近。

発見地点は塩町消防屯所の近くと記録される。

八戸市は当時、すでに市制を施行していた。

そしてこの時期の八戸にとって、9月1日から3日は特別な三日間だった。

八戸三社大祭である。

八戸三社大祭の起源は江戸時代に遡る。

現在の龗神社にあたる法霊社の神輿渡御を起源とし、後に長者山新羅神社、神明宮が加わって三社の祭りになった。

現在は国の重要無形民俗文化財であり、「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコ無形文化遺産にも含まれている。

だが事件当時は、現在とは開催時期が違った。

昭和30年代ごろまで、祭りは9月初旬に行われていた。

昭和7年も9月1日から3日に開催された。

最終日の3日、夕方から雨になった。

雨脚は次第に強くなった。

祭りが終わり、人々が帰っていく。

だが酒場や食堂には、まだ人がいた。

余田四郎も酒を飲んでいた。

武部百松らも酒を飲んでいた。

そして階上方面から来ていた姉妹二人も、雨のためすぐには帰れず、雨宿りをしていた。

偶然、同じ場所、同じ時間に居合わせた。

その偶然が事件を生んだ。

■登場人物

■武部百松

事件の中心となった加害者。

八戸市湊町字赤坂に住んでいた22歳の馬車曳き。

史料では傷害の前科一犯があったとされる。

左利き。

6月21日に階上村の蒼前神社で行われた祭典の力試し大会に出場し、大石を担ぎ上げたことが、後に犯人特定の重要な手掛かりになった。

事件当夜、出川福太郎、19歳の日雇い少年とともにいた。

余田四郎との喧嘩の最中、四郎が拾った丸太棒を奪い、その棒で四郎の頭部を強打した。

警察は殺意までは認めず、傷害致死罪で送検した。

第一審では懲役2年6月。

控訴後、宮城控訴院で懲役2年となり確定した。

■出川福太郎

八戸市湊町字久保。

30歳。

無職。

武部とともに事件当夜の喧嘩に加わった。

武部の自供後に逮捕された。

警察は傷害罪で送検した。

事件史では、出川の最終的な判決内容は明らかではないとしている。

■十九歳の日雇い少年

武部、出川と行動をともにしていた19歳の若者。

事件史では氏名が記されていない。

本稿では、史料にない姓名を創作しない。

武部らとともに喧嘩に加わったが、致命傷を与えた人物とはされなかった。

傷害罪で送検された。

最終判決は史料上明らかではない。

■余田四郎

事件の被害者。

28歳。

八戸市小中野町字新地で暮らしていた。

父は湯屋を営んでいた。

事件史によれば、酒癖が悪く、喧嘩が早い人物として知られていた。

事件当夜も飲酒していた。

武部ら三人が女性二人と雨宿りしているところへ通りかかり、難癖をつけた。

その後、武部らに殴りかかった。

さらに道路上にあった丸太棒を拾い、武部の右腕を殴った。

武部に棒を奪われ、頭部を強打された。

頭蓋骨陥没と脳内出血により死亡した。

■余田市次郎

被害者・四郎の父。

八戸市小中野町字新地で湯屋を営んでいたと記録される。

■階上方面から来ていた姉妹

事件解決の最重要人物。

姉23歳、妹21歳。

最初に警察がつかんだ特徴は、姉妹のうち一人に「右頬のほくろ」があるという情報だけだった。

警察は階上方面へ出向き、この特徴を手掛かりに二人を探し出した。

二人は事件を目撃していた。

当初、男三人の顔も名前も分からなかった。

しかし後に、一人の男を「蒼前神社の力試し大会で大石を持ち上げていた男」と思い出した。

その記憶が武部百松の特定につながった。

■種市医師

朝日町の医師。

発見された四郎がいつまでも目を覚まさないため、午前5時ごろ診察を依頼された。

四郎の右側頭部の頭蓋骨が陥没していることを確認し、単なる泥酔ではなく深刻な頭部外傷であると判断した。

■牧野医師

八戸病院の医師。

四郎の遺体を検案し、さらに9月5日の解剖を担当した。

致命傷は頭蓋骨陥没による脳内出血と判断。

打撃方向などから、正面から殴られたのであれば犯人は左利きではないかという所見を示した。

後に武部百松が左利きと判明した。

■太田署長

八戸警察署長。

事件発生時、県下武道大会のため青森方面にいたが、事件の報告を受けて急ぎ八戸へ戻り、捜査本部を設置した。

■小田川司法主任

事件捜査の中心となった警察官の一人。

階上方面での目撃女性捜索、武部百松逮捕などに関与した。

■斎藤巡査部長

階上方面で「右頬にほくろのある女性」を探す捜査に参加した。

■三上刑事

同じく階上方面での聞き込みに加わった刑事。

■米沢鉄五郎警部

刑事課長。

9月15日、捜査応援のため八戸へ入った。

■笹田好文部長刑事

米沢警部とともに八戸へ入り、武部百松の取り調べにも関わった。

9月21日夜、武部が自供するまで追及を続けたと記録される。

■事件発覚

9月4日午前2時ごろ。

八戸警察署の公衆電話が鳴った。

通報者が誰だったのか、事件史には詳しく記されていない。

「塩町の消防屯所の近くに、人が倒れている」

連絡を受けた警察官二人が向かった。

雨は小降りになっていた。

道は濡れている。

溝には雨水が流れている。

道路脇に、一人の男が倒れていた。

頭が溝へ入っている。

奇妙な倒れ方だった。

警察官が近づく。

酒の臭いがした。

大祭のあとである。

「酔っぱらいだろう」

最初は、そう考えても不思議ではなかった。

【会話・再構成】

「おい。こんなところで寝るな」

返事がない。

「起きろ」

身体を揺する。

男は目を開けない。

「かなり飲んでいるな」

「このままじゃ危ない。屯所へ運ぼう」

男は塩町消防屯所へ運ばれた。

だが、いつまで待っても意識が戻らない。

酒に酔った人間なら、刺激に反応することもある。

しかし男は深い昏睡状態にあった。

午前5時ごろ、種市医師が呼ばれた。

医師が頭部へ手をやる。

髪の下。

右側頭部。

骨の形がおかしい。

陥没している。

【会話・再構成】

「この人は、ただ酔っているんじゃありません」

「何ですって」

「頭を強く打っています。骨が落ち込んでいる」

「転んだんでしょうか」

「この傷では、それだけとは考えにくい。すぐ病院へ」

四郎は自動車で八戸病院へ運ばれた。

しかし状態は極めて悪かった。

頭蓋骨が内側へ押し込まれるほどの衝撃。

その内側で血管が破れ、脳内へ出血していた。

四郎は意識を取り戻さないまま死亡した。

牧野医師が遺体を検案した。

傷を調べる。

事故ではない。

誰かに鈍器で殴られた疑いが強い。

八戸警察署は、事件を殺人として扱うことを決めた。

しかし、警察にはまず一つの大きな問題があった。

死んだ男が誰なのか分からない。

身元確認から始めなければならなかった。

■犯人の生い立ち

武部百松の幼少期や家庭環境、学校歴、親子関係、少年時代の性格などについて、事件史は詳しく記していない。

したがって、本稿でも不明な生い立ちを創作しない。

確認できるのは、事件当時の武部が22歳で、八戸市湊町字赤坂に住み、馬車曳きを仕事としていたこと。

そして傷害の前科が一犯あったことである。

馬車曳きという仕事には、相応の体力が必要だった。

さらに武部は、同年6月21日に階上村の蒼前神社の祭典で開かれた「力試し大会」に参加していた。

そこで大石を担ぎ上げた。

この行為は、三か月後の事件とは何の関係もないように見える。

だが後に、それが武部を逮捕へ導く。

当時の武部を知る上で、もう一つ明確な特徴がある。

左利きだった。

右利きが多い社会の中で、左利きは目立つ特徴だった。

そして事件後の遺体解剖で、牧野医師は頭部の傷の方向から「正面から殴ったのであれば、犯人は左利きではないか」と推定していた。

力自慢。

馬車曳き。

傷害前科。

左利き。

ただし、これらは事件後に警察が集めた特徴である。

「そういう人間だから事件を起こした」と短絡してはならない。

実際、事件当夜の武部は四郎を殺すために待ち伏せしていたわけではない。

四郎を狙って凶器を用意していたわけでもない。

道路上で偶然出会った。

そこから口論になった。

この偶然性が、この事件の怖さでもある。

・事件の前兆

・当日の詳細

・逮捕

・裁判

・判決

・まとめ