昭和10年・刈屋村「娘殺し事件」
「娘さえいなければ、あの女は来る」 石川清次郎の執着が生んだ連続犯罪

昭和10年7月30日
岩手県下閉伊郡刈屋村 山間  岩手県宮古市刈屋

■事件概要

昭和10年7月30日。

岩手県下閉伊郡刈屋村。現在の宮古市刈屋にあたる山間部で、10歳の少女が父親によって殺害された。

犯人は石川清次郎、38歳。

被害者は清次郎の実の娘、ミドリだった。

事件だけを短く説明すれば、「父親が10歳の娘を殺した」ということになる。

しかし、この事件は単純な親子間殺人ではなかった。

清次郎は、勤務先の林業会社の飯場で知り合った一人の女性に執着していた。女性には事実上の夫がいた。それでも二人は一時、男女関係を持った。

関係が発覚すると、女性は夫に謝罪し、清次郎を避けるようになった。

だが清次郎は、それを「関係が終わった」と受け止めなかった。

彼は、

「本当は俺と一緒に逃げたいはずだ」

と考え続けた。

そして、女性が自分のもとへ来ない理由を、自分の10歳の娘に求めた。

「娘がいるから、あの女は来ない」

「娘さえいなくなれば、二人で逃げられる」

その思い込みは、やがて現実の殺意へ変わった。

清次郎は娘を山中へ連れ出した。

川岸で眠った娘のそばに立ち、石を手にした。

そして頭部を襲った。

ミドリは、その場で死亡した。

清次郎は娘の遺体を土中へ埋めた。

ところが、娘を殺しても女性は来なかった。

清次郎は深夜、女性の暮らす住居をうかがい、女性が夫と一緒にいるのを目にした。

自分の考えが間違っていた。

娘は何の障害でもなかった。

それでも清次郎は、自分の思い込みを反省する方向には進まなかった。

「娘まで殺したのに、なぜ来ない」

その感情は逆恨みに変わった。

そして数か月後、今度は女性を焼き殺そうとして住居に火を放った。

それも失敗すると、猟銃と実弾を盗み、射殺する機会をうかがった。

飯場の人々によって取り押さえられ、駐在所へ突き出されたことで、ようやく一連の犯罪は止まった。

警察の取り調べを受けた清次郎は、娘の殺害、放火、猟銃窃盗、そして女性を殺害しようとしていたことを自供したとされる。

最終的に盛岡地方裁判所で裁かれ、史料によれば昭和11年11月7日、懲役10年の判決を受けた。

一人の女性への執着。

「娘が邪魔だ」という思い込み。

娘殺害。

逆恨み。

放火。

猟銃窃盗。

再び殺人を企てる。

事件は、一つの殺人から終わるどころか、次の殺人へ向かって拡大していったのである。

■いつ・どこで起きたか

事件が起きたのは、昭和10年(1935年)7月30日。

場所は岩手県下閉伊郡刈屋村。

現在の岩手県宮古市刈屋にあたる。

当時の刈屋村は山林の多い地域だった。のちの昭和30年、茂市村と刈屋村が合併して新里村となり、平成17年(2005年)には宮古市と合併している。

清次郎が働いていたのは、弥栄工業株式会社林業部である。

清次郎は昭和9年9月ごろから、この会社で人夫として働き、娘ミドリとともに飯場で生活していた。

清次郎の出身地は、新潟県岩船郡関谷村上関。

現在の行政区域でいうと、新潟県岩船郡関川村周辺にあたる。

インターネット上の一部二次資料では「現在の村上市」とされているが、新潟県の市町村沿革資料では、旧関谷村は昭和29年に女川村と新設合併して関川村となったことが確認できる。

つまり事件の舞台は岩手県の山間部だったが、犯人は岩手生まれではなかった。

新潟から各地を転々とし、娘を連れて働き歩いた末、岩手へ流れ着いた男だった。

■登場人物

■石川清次郎
38歳。
本事件の犯人。
新潟県岩船郡関谷村上関出身。
妻を亡くした後、長女ミドリを連れ、各地を転々としながら土方、人夫などの日雇い仕事に従事していた。
昭和9年9月ごろから岩手県下閉伊郡刈屋村の弥栄工業株式会社林業部で働く。
飯場で知り合った女性との関係に執着し、娘を「駆け落ちの邪魔になる存在」とみなして殺害。
その後、女性への放火殺人未遂、猟銃窃盗、さらに銃による殺害を企てたとされる。

■石川ミドリ
10歳。
清次郎の実の娘。
幼いころに母を亡くし、その後は父とともに各地を転々とした。
定住できる家庭環境ではなく、父の仕事について移動を続けた。
刈屋村の飯場でも清次郎と生活していた。
清次郎の恋愛問題とは本来何の関係もなかったが、「自分がいるから女性が来ない」と父親に思い込まれ、殺害された。

■大藤さくら
弥栄工業株式会社林業部の飯場頭の内縁の妻。
昭和10年春ごろ、清次郎と男女関係を持ったとされる。
関係が夫に知られると、自分の非を認めて謝罪し、その後は清次郎を避けるようになった。
清次郎は彼女の態度を「関係を終わらせたい」という明確な意思として受け止めず、「今でも自分と逃げたいはずだ」と思い続けた。
娘殺害後には、清次郎の放火による殺害計画、さらに猟銃による殺害計画の標的にされた。
史料に、彼女がミドリ殺害を求めた、示唆した、共謀したとする記述はない。

■黒川三郎
飯場頭。
大藤さくらの内縁の夫。
二人の関係に気づき、大藤を問いただした。
大藤は関係を認めて謝罪し、それを境に清次郎から距離を置いたとされる。
のちに自宅が清次郎による放火の対象となった。

■黒川正男
飯場関係者。
放火の際に異変を察知した人物の一人とされる。
火災の早期発見と消火に関わり、被害拡大を防いだ。
清次郎が後に盗み出した猟銃と実弾の所有関係にも関係する人物として史料に登場する。

■飯場の人々
清次郎が猟銃を持って周辺をうろついていることに気づき、最終的に身柄を取り押さえた人々。
彼らが行動しなければ、その後にさらに殺人が起きた可能性を否定できない。

■事件発覚

事件が表面化した直接のきっかけは、清次郎が猟銃と実弾を持って飯場周辺を徘徊していたことだった。

飯場の人々は清次郎の異常な行動に気づいた。

清次郎はすでに放火を起こした後であり、さらに女性を殺害するため猟銃を用意していたとされる。

男たちは清次郎を取り押さえ、刈屋駐在所へ突き出した。

宮古警察署で取り調べが始まる。

そこで警察は、放火や猟銃窃盗だけではない事実に行き着いた。

清次郎とともに暮らしていたはずの10歳の娘ミドリがいない。

やがて清次郎は、山中で娘を殺し、遺体を埋めたことを認めた。

こうして「猟銃を持った不審な男」の背後から、実娘殺害を含む一連の犯罪が明らかになった。

■犯人の生い立ち

石川清次郎は、新潟県岩船郡関谷村上関の出身だった。

現在の新潟県岩船郡関川村にあたる地域である。

史料から確認できる清次郎の前半生は多くない。

いつ生まれ、少年時代をどのように過ごし、どの程度の教育を受け、若いころにどのような仕事に就いていたのか。

その詳細は、今回確認できた資料だけでは分からない。

分かっている大きな転機は、昭和3年ごろに妻を亡くしたことである。

清次郎には幼い娘ミドリが残された。

妻を亡くした後、父と娘は各地を転々とするようになった。

清次郎は土方などの日雇い仕事をしながら、その日その日の生活をつないだ。

一つの土地に家を構え、地域に根を張り、娘を同じ学校へ通わせながら長く暮らす。

そういう生活ではなかった。

仕事がなくなれば移る。

次の現場があれば移る。

人夫を募集しているところがあれば、そこへ行く。

父と娘の生活は、清次郎の仕事に左右された。

ミドリにとって、幼いころに母を失った後、最も身近な大人は父親だった。

父親が働けば、そのそばで暮らす。

父親が移動すれば、自分もついて行く。

村が変わる。

宿が変わる。

飯場が変わる。

周囲の大人が変わる。

それでも父親だけは変わらない。

幼いミドリにとって、清次郎は生活そのものだったと考えるのが自然だろう。

その父親が、後に自分を「恋愛の障害物」とみなすことになる。

昭和9年9月ごろ、清次郎は伝手を頼って岩手県下閉伊郡へ入ったとされる。

そして刈屋村にあった弥栄工業株式会社林業部で、人夫として働き始めた。

清次郎は一人ではなかった。

娘ミドリも連れていた。

飯場には多くの人間が暮らしていた。

働く男たち。

彼らの生活を取り仕切る飯場頭。

飯炊きや身の回りの仕事。

山仕事特有の共同生活。

流浪を続けていた父娘にとって、そこは久しぶりに得た一つの生活拠点だった可能性がある。

だが、その場所で清次郎は一人の女性と出会う。

大藤さくら。

飯場頭・黒川三郎の内縁の妻だった。

これが事件の始まりになる。

・犯人の生い立ち

・事件の前兆

・当日の詳細

・逮捕

・裁判

・判決

・まとめ