利府村一家六人殺傷事件
金を断られた逃亡犯は、なぜ眠る一家と幼い子供に短刀を向けたのか

昭和29年 1954年9月14日夜
宮城県宮城郡利府村加瀬字女ヶ島 現在の宮城県宮城郡利府町

■「事件概要」

昭和29年 1954年9月14日夜。

宮城県宮城郡利府村加瀬字女ヶ島。

現在の宮城県宮城郡利府町にあたる農村で、一人の男が短刀を持って農家へ侵入した。

男の名は、佐々木久雄。

24歳。

この時、佐々木は普通の旅人でも、偶然道に迷った男でもなかった。

すでに強盗傷人の前科があり、長い刑期の途中で仮出獄したばかりだった。

さらに事件の約三週間前には、勤務先から預かった現金9万2800円を持ち逃げし、業務上横領容疑で全国指名手配されていた。

つまり、佐々木は警察から追われる逃亡犯だった。

逃亡生活の中で金を使い果たした佐々木は、一人の農家を思い出した。

利府村の農業者、鎌田寿男、33歳。

佐々木の弟は以前、鎌田家で作男として働いていた。

その縁を利用し、佐々木は鎌田へ十万円を貸すよう要求した。

しかし鎌田は断った。

佐々木は、

「今晩中に十万円用意しておけ」

さらに、

「人に話したらひどいぞ」

という趣旨の脅しを残して立ち去った。

その後、佐々木は母親との会話などから、自分が鎌田家へ金を借りに行ったことを警察が知っているらしいと察する。

すると佐々木の頭の中で、

「鎌田が警察へ話した」

という疑念が膨らんだ。

もともと佐々木は、弟一家が鎌田家から離れることになった事情を聞き、鎌田を「冷酷な人間」と見るようになっていた。

金を断られた。

警察に告げられたと思った。

弟一家を冷たく扱ったと思った。

それらが一つに結びついた。

佐々木は鎌田寿男への殺意を固める。

そして東京で短刀を購入した。

事件当日の9月14日、東京から宮城へ戻る。

仙台駅で衣服や履物を替え、荷物を偽名で預ける。

短刀と懐中電灯を隠し、その上からビニール製レインコートを着る。

午後6時半ごろ利府へ到着。

鎌田家近くの杉林へ潜む。

家族が寝静まるまで待つ。

午後9時ごろ。

佐々木は鎌田家へ忍び込んだ。

しかし、最初の襲撃から計画は狂った。

暗い家の中で、佐々木は69歳の伊藤治郎兵衛を、標的である鎌田寿男と間違えて襲ったのである。

伊藤は傷を負い逃げようとする。

佐々木は追う。

やがて倒れた伊藤の顔を見て、人違いに気づいた。

ここで逃げれば、それ以上の犠牲は防げた。

だが佐々木は逃げなかった。

事件史は、この時の佐々木の思考を、

「このうえは家族全員を殺さなければ」

という趣旨で記録している。

そこから犯行は、一人の男を狙った怨恨殺人計画から、家の中にいた者を次々と襲う大量殺傷へ変わった。

家の主人、鎌田寿男。

妻、とし子。

6歳の長男、寿徳。

4歳の次男、政夫。

使用人、渡辺俊男。

そして最初に人違いで襲われた伊藤治郎兵衛。

六人が短刀による襲撃を受けた。

最終的な死者は三人。

鎌田寿男。

6歳の長男・寿徳。

69歳の伊藤治郎兵衛。

妻・とし子、4歳の政夫、使用人・渡辺俊男は負傷しながらも生き延びた。

事件発生から間もなく、県警は大規模な緊急配備を敷いた。

消防団員約300人も捜索へ参加した。

だが佐々木は包囲が完成する直前、塩釜から列車で仙台へ逃げていた。

翌朝、警察は宮城県北部方面へ移動しようとする佐々木を発見。

佐々木は偽名を使い、

「名前は話す必要はない」

という趣旨で身元を隠そうとした。

しかし追及され、ついに佐々木久雄と名乗る。

すでに業務上横領で逮捕状が出ていたため、警察はまず横領容疑で逮捕した。

佐々木は一家殺傷について、

「一言いたくない」

「死んでも言わない」

と否認した。

だが9月17日。

逃走路付近を犬と歩いていた住民が、藪に隠されたビニール製レインコートと短刀を発見する。

レインコートには血痕が残っていた。

物証が現れたその日、佐々木は態度を変えた。

「手記を書きたい」

そして、自ら犯行の動機、準備、侵入、襲撃、逃走、証拠隠滅の経過を書き始めた。

仙台地方裁判所は1955年3月18日、佐々木に死刑を言い渡した。

仙台高等裁判所も控訴を棄却。

最高裁判所も1956年7月13日に上告を棄却した。

事件史によれば、同年8月4日に死刑が確定。

そして昭和34年――1959年11月19日、刑が執行された。

事件から約5年後だった。

■「いつ・どこで起きたか」

事件発生は、昭和29年9月14日午後9時10分ごろ。

場所は、

宮城県宮城郡利府村加瀬字女ヶ島9番地。

被害者である鎌田寿男の農家だった。

現在の利府町である。

現在の利府町公式資料によれば、利府村は明治22年、神谷沢村、菅谷村、飯土井村、沢乙村、加瀬村、利府本郷、森郷、春日村、赤沼村の九つの村が合併して成立した。

事件当時はまだ「利府町」ではない。

町制施行は昭和42年10月1日。

事件から13年後である。

1954年当時の利府は、後年の仙台都市圏の住宅地としての姿とは大きく異なる。

鎌田家は東北本線利府駅から南東へ約400メートル。

周囲を杉林などに囲まれ、近くの民家が少ない場所にあった。

木造平屋建ての農家。

夜になれば、都市のような街灯や商店の光が辺りを照らす環境ではない。

農地、山林、細い道。

その暗闇は、犯人に身を隠す場所を与えた。

佐々木は午後6時30分ごろ利府駅周辺へ着くと、すぐに鎌田家へ向かわなかった。

近くの杉林に入り込んだ。

家の様子を窺った。

そして人々が眠るのを待った。

午後9時ごろ。

灯りの落ちた農家へ近づく。

短刀を携えて侵入する。

犯行後は畑や山道を通り、線路方面へ抜けた。

当時の地理と生活環境は、侵入にも逃走にも深く関係している。

一方で、周辺人口が少ないことは被害者にとって不利だった。

助けを求めようにも、隣家がすぐ横にあるわけではない。

負傷した生存者は、血を流した状態で遠くまで逃げる必要があった。

鎌田家から通報者・千葉平吉の家までは約1200メートルあったと事件史は記録している。

事件発生は午後9時10分ごろ。

警察への通報は午後9時33分ごろ。

わずか二十分ほどの間に六人が襲われ、そのうち三人が最終的に死亡する惨事が起きた。

■「登場人物」

【佐々木久雄】

事件当時24歳。

昭和5年8月29日生まれ。

本件の犯人。

宮城県遠田郡南郷町方面を本籍とする人物と事件史は記録している。

終戦後、満州から家族とともに引き揚げた。

仙台市内の工務店や塩釜市役所水道部などで働いたが長続きせず、その後、事件史の表現では「やくざ者」の仲間に接近した。

昭和24年、弟が作男として働いていた関東地方の家へ押し入り、家人を傷つけて金品を奪う強盗傷人事件を起こす。

浦和地方裁判所で懲役15年。

千葉、宮城の刑務所で服役した。

昭和29年6月10日に仮出獄。

父母のもとへ戻った後、職業安定所の紹介で塩釜市内の米穀商「大森商店」に就職した。

しかし就職から一か月もたたない8月22日、店から託された現金9万2800円を横領して逃亡。

全国指名手配となった。

逃亡資金を使い果たし、鎌田寿男に十万円を要求。

拒絶される。

その後、鎌田への怨恨を募らせ、短刀を購入して殺害計画を実行。

結果的に三人を死亡させ、三人を負傷させた。

一審死刑。

控訴・上告はいずれも棄却され、死刑確定。

事件史によれば1959年11月19日に刑が執行された。

【鎌田寿男】

33歳。

利府村加瀬字女ヶ島の農業者。

事件現場となった家の主人。

佐々木久雄の弟が以前、作男として働いていた家でもあった。

逃亡中の佐々木から十万円を貸すよう要求されたが拒否した。

佐々木は、その後、自分が警察から追われていることに関して鎌田が通報したと思い込み、怨恨を強めた。

事件当夜、異変に気づき逃げようとしたが、佐々木の襲撃を受ける。

重い刃傷を負い、家の縁側付近で倒れた。

現場で死亡が確認された。

【鎌田とし子】

28歳。

鎌田寿男の妻。

事件当夜、夫、6歳と4歳の息子らと就寝していた。

使用人・渡辺俊男から異変を知らされ、逃げようとした。

佐々木の襲撃を受けて重傷を負うが、屋外へ逃れた。

生還者の一人。

事件前に佐々木が鎌田家を訪れ、十万円を要求していた事情などを警察に証言し、早い段階で犯人特定につながる重要情報を提供した。

夫と長男を失った。

【鎌田寿徳】

6歳。

鎌田寿男・とし子夫妻の長男。

大人同士の金銭問題や怨恨とは無関係の幼児だった。

しかし佐々木は、鎌田寿男だけでなく家族全体を襲う方向へ犯行を拡大。

寿徳も短刀で襲われた。

病院へ運ばれたが、翌9月15日午前1時12分ごろ死亡。

事件発生時には生きていたが、深夜、傷が原因で命を失った。

【鎌田政夫】

4歳。

鎌田夫妻の次男。

兄・寿徳と同様、大人たちの争いとは何の関係もない幼児。

佐々木の襲撃を受けて負傷した。

しかし一命を取り留めた。

【渡辺俊男】

26歳。

鎌田家の使用人。

事件当夜は伊藤治郎兵衛と同じ部屋付近で就寝していた。

最初に侵入した佐々木に襲われた一人。

負傷しながらも鎌田夫妻へ危険を知らせ、最終的には外へ逃げることに成功した。

生存したことによって、犯行直後の状況を警察へ伝える重要な証人にもなった。

【伊藤治郎兵衛】

69歳。

事件当夜、鎌田家で就寝していた男性。

佐々木は暗い室内で伊藤を鎌田寿男だと誤認。

最初の標的として襲った。

伊藤は傷を負いながら逃げようとした。

家の中を移動し、台所周辺までたどり着いたとみられる。

血痕がその移動を示していた。

佐々木は追撃。

倒れた伊藤の顔を確認したところで、ようやく人違いに気づいた。

しかし佐々木は犯行を中止しなかった。

伊藤は治療を受けたが、事件から11日後の9月25日午前9時10分ごろ死亡した。

【千葉平吉】

農業者。

鎌田家から逃げ出した負傷者が助けを求めた家の人物。

午後9時33分ごろ、塩釜警察署利府巡査駐在所へ駆け込み、鎌田家で重大事件が起きたと通報した。

この通報が警察の第一報となった。

【片山巡査】

利府巡査駐在所の警察官。

千葉平吉から事件の通報を受け、直ちに本署へ急報。

初動捜査と緊急配備につながった。

【鈴木権十郎】

利府村赤沼藤田の住民。

事件から三日後の9月17日、犬を連れて田の見回りをしていた。

塩釜へ通じる細道付近で犬が突然吠え、進もうとしなくなった。

周囲を調べたところ、藪の中から血痕の付いたビニール製レインコートと短刀を発見。

警察へ届け出た。

佐々木が捨てた凶器と犯行時の衣類を偶然発見した人物であり、事件解決の重要な転機を作った。

【佐々木の母】

実名について本稿で確実に確認できる資料がないため、創作しない。

事件前、逃亡中の佐々木と会っている。

警察への出頭を勧めたとされる。

しかし佐々木は従わなかった。

母との会話から、佐々木は自分が鎌田家へ金を借りに行ったことを警察が知っていると察し、それを鎌田の「密告」だと疑うようになった。

【佐々木の弟】

実名は確実な公開資料で確認できなかったため記さない。

昭和26年12月ごろから鎌田家で作男として住み込んでいた。

後に妻子も鎌田家の裏の小屋で生活。

昭和29年1月ごろ、年季が明けるなどして鎌田家を離れた。

その後、小屋からの退去を求められたことが、兄・久雄の鎌田家への反感の材料になった。

■「事件発覚」

9月14日午後9時33分ごろ。

利府巡査駐在所へ農業者・千葉平吉が駆け込んだ。

鎌田家から逃げてきた負傷者が千葉宅へたどり着き、

警察へ知らせてほしい。

そう頼んだのである。

千葉は切迫した状況を伝えた。

事件史では、その第一報を、

「女ヶ島の鎌田寿男さんの家で大事件だ。主人や奥さんが切られた」

という趣旨で記録している。

通報を受けた片山巡査は直ちに本署へ連絡。

警察官が現場へ向かった。

そこに残されていたのは、一つの部屋だけの血痕ではなかった。

複数の部屋。

廊下。

台所付近。

縁側。

被害者が逃げようとした場所に血の跡が続いていた。

69歳の伊藤治郎兵衛。

主人の鎌田寿男。

妻のとし子。

6歳の寿徳。

4歳の政夫。

使用人の渡辺俊男。

六人が襲われていた。

死亡者と重傷者。

そして生き残った者。

警察は生存者から話を聞いた。

そこで「佐々木久雄」という名前が浮上する。

数日前、鎌田家へ現れた男。

十万円を要求した男。

拒否されると、

「今晩中に十万円用意しておけ」

「人に話したらひどいぞ」

と脅した男。

しかも、その男はすでに業務上横領事件で全国指名手配されていた。

捜査は一気に佐々木久雄へ向かった。

■「犯人の生い立ち」

佐々木久雄は昭和5年8月29日に生まれた。

幼少期の家庭生活について、事件史は本事件との関連で細かな心理伝記まで残してはいない。

したがって、資料にない幼少期の性格や家庭内の出来事を、後世から勝手に「犯罪の原因」として作るべきではない。

確実に分かる人生の転換点は、戦後である。

昭和21年7月ごろ。

佐々木は家族とともに満州から日本へ引き揚げてきた。

敗戦後の引き揚げは、多くの人間に住居、職、財産を一から築き直すことを求めた。

しかし、戦後の混乱を経験したこと自体が犯罪の原因になるわけではない。

同じ境遇を経験しながら、犯罪に向かわなかった人々の方が圧倒的に多い。

佐々木について重要なのは、その後の行動である。

仙台市内の工務店。

塩釜市役所水道部。

いくつかの職に就く。

しかし長続きしない。

事件史は、やがて佐々木が「やくざ者」の仲間へ近づいていったと記す。

そして昭和24年。

まだ十代後半から二十歳前後だった佐々木は、大きな犯罪を起こす。

弟が作男として住み込んでいた関東地方の家へ侵入。

家人を傷つけ、金銭を奪った。

強盗傷人。

浦和地方裁判所は懲役15年を言い渡した。

15年。

若い佐々木にとって非常に長い刑期である。

千葉、宮城などの刑務所で服役。

しかし刑期満了を待たず、昭和29年6月10日、仮出獄を許された。

24歳。

社会へ戻る機会が与えられた。

父母のもとへ戻る。

塩釜職業安定所の紹介を受ける。

そして8月1日、塩釜市内の米穀商・大森商店で店員として働き始めた。

仮出獄から二か月弱。

仕事を得た。

ここで生活を立て直す道もあった。

しかし、その仕事は三週間ほどで破綻する。

8月22日朝。

大森商店は佐々木に現金を託した。

9万2800円。

別の場所へ届ける金だった。

佐々木は、その金を届けなかった。

現金を持ったまま姿を消した。

業務上横領。

店は被害を申告。

塩釜署は8月25日、佐々木を全国指名手配した。

仮出獄からわずか二か月半ほど。

新しい職に就いてから三週間余り。

佐々木は再び警察に追われる身になった。

この選択が、利府村事件へ直結していく。

・事件の前兆

・当日の詳細

・逮捕

・裁判

・判決

・まとめ