浜松連続殺人事件
戦時下の遠州を震え上がらせた中村誠策の連続殺傷

昭和16年 1941年
浜名郡北浜村貴布祢 芸妓置屋「和香松」 現在静岡県浜松市浜名区貴布祢

■事件概要

昭和16年 1941年。

日本が太平洋戦争へ突入する数か月前。

静岡県西部、浜名湖と天竜川に挟まれた遠州地方では、織物工場の機械が動き、商人が行き交い、町の一角には料理店、待合、芸妓置屋が並んでいた。

その平穏の裏側で、夜ごと家へ忍び込み、眠っている人間を刃物で襲う犯人が動き始める。

最初に大きく報じられたのは、1941年8月18日。

浜名郡北浜村貴布祢。

芸妓置屋「和香松」。

午前2時50分ごろ。

二人の若い女性が、睡眠中に鋭い刃物で襲われた。

20歳の小松さち江は死亡。

同じく20歳の山田和子は、頭部や頸部に深い傷を負いながら生き残った。

わずか二日後。

8月20日。

隣接する小野口村小松。

料理店「菊水」で第二の惨劇が起きる。

女将の川口亀代、44歳。

店で働く小林みよ、16歳。

警戒のため用心棒として雇われていた林田健次郎、66歳。

三人が胸部などを刺されて死亡した。

11歳の川口洋一だけが逃れ、夜中の駐在所へ駆け込む。

「お母ちゃんが怖い男に連れていかれた」

「早く行ってください」

少年の訴えで警察が急行した時には、三人はすでに血の中に倒れていた。

二件の事件を比較した警察は、異様な共通点に気づく。

便所の高窓などから侵入する。

夜中を選ぶ。

鋭利な刃物を使う。

花柳界に関係する女性のいる家を狙う。

犯人は覆面をしていないらしい。

そして――犯人の声を聞いた者がほとんどいない。

被害者の悲鳴はある。

物音もある。

だが、

「金を出せ」

「騒ぐな」

「動くな」

という犯人の怒声がない。

犯人は、ほとんど言葉を発しない。

この「物言わぬ犯人」という特徴から、警察は三年前の未解決事件へさかのぼる。

1938年8月。

浜名郡積志村西ケ崎の芸妓屋「武蔵屋」。

夜中に男が侵入し、女性を襲い、刃物で傷つけた事件である。

その周辺で、一人の少年が警察の目に触れていた。

映画館へ切符を持たず入ろうとした少年。

言葉による受け答えが十分にできない。

刃物のような物を所持していた。

さらに近くでは自転車が盗まれていた。

少年の名は、

中村誠策。

中村家の六男。

聴覚障害があり、後に浜松聾唖学校へ通う青年だった。

1941年9月22日。

警察は誠策を呼び、筆談や身振りで事情を聞いた。

「自転車を盗んだことはないか」

「ありません」

「武蔵屋へ行ったことは?」

「ありません」

誠策は否定した。

決定的証拠はない。

一時間ほどの事情聴取で帰された。

後から振り返れば、連続殺人犯は一度警察の目の前に座っていた。

しかし警察は、そのまま彼を家へ帰した。

そのわずか五日後。

9月27日午前2時20分ごろ。

今度は中村誠策の実家が襲われる。

四男、27歳が胸、腹、背中など十一か所を刺され死亡。

四男の妻が負傷。

父・中村文貞も頭部などを切られ負傷。

母も背中などを負傷。

三女も胸部を刺される。

それほどの惨劇の中で、二階にいた六男の誠策だけが無傷だった。

警察から一度疑われた青年は、今度は「家族を襲われた家の息子」に変わった。

犯人が自分の家族まで襲ったことで、かえって自分を捜査の外側へ置いたのである。

事件はそこで終わらない。

約十一か月後。

1942年8月30日午前1時30分ごろ。

浜名郡積志村下大瀬。

農家の鹿島家。

父・清吉、56歳。

妻さき、53歳。

三女すえ、19歳。

三男豊、15歳。

四人が胸、腹、背中などを繰り返し刃物で襲われ死亡した。

離れで寝ていた17歳の四女・春子だけが生き残った。

今回は現場に、これまでとは違うものが残った。

黒っぽい特殊な布片。

木製の鞘。

帽子の顎ひも。

そして、犯人のものとみられる歯。

被害者が必死に抵抗し、犯人へ噛みついた可能性が考えられた。

警察は布の製造経路を追った。

特殊なマンガン防染生地。

試験的に作られた織物。

外山織物。

さらに中村家へ。

一方、家族からも声が上がる。

「誠策を調べてくれ」

第四事件の夜、誠策は「友達の家へ行く」と自転車で外出していた。

帰宅したのは翌日の午後。

顔、特に左目付近を腫らしていた。

さらに浜松聾唖学校の友人から、

「人殺しをやったのは俺だ」

という趣旨の話を誠策がしていたことまで判明する。

捜査員は誠策の所持品を調べる。

ズック靴。

靴底の模様。

第二事件の現場に残っていた足跡。

一致した。

1942年10月12日。

中村誠策は浜松署へ連行された。

翌13日。

ついに一連の犯行について供述を始める。

逮捕時19歳。

警察が三年前、あるいは一年前に目の前まで迫りながら逃した犯人は、中村誠策だった。

■いつ・どこで起きたか

この事件は一晩の事件ではない。

1938年から1942年にかけ、現在の浜松市周辺で続いた連続侵入・殺傷事件である。

主要事件を時系列で整理すると、次のようになる。

【1938年8月 武蔵屋事件】

浜名郡積志村西ケ崎。

芸妓屋「武蔵屋」。

夜間、男が建物へ侵入。

女性を襲い、一人を刃物で負傷させ、別の女性にも襲いかかった。

二人は死亡せず、事件は未解決となった。

後に中村誠策が一連の犯行を自供したことで、この事件も彼の犯行として扱われる。

【1941年8月18日 第一事件】

浜名郡北浜村貴布祢。

芸妓置屋「和香松」。

午前2時50分ごろ。

小松さち江、20歳が死亡。

山田和子、20歳が重傷。

犯人は便所の高窓付近から侵入したとみられた。

【1941年8月20日 第二事件】

浜名郡小野口村小松。

料理店「菊水」。

午前2時30分ごろ。

川口亀代、44歳。

小林みよ、16歳。

林田健次郎、66歳。

三人死亡。

亀代の11歳の息子、川口洋一が逃れ、駐在所へ助けを求めた。

【1941年9月27日 第三事件】

浜名郡北浜村道本。

中村誠策の実家。

午前2時20分ごろ。

中村家四男、27歳が死亡。

四男の妻、父・文貞、母、三女らが負傷。

誠策自身は無傷。

犯人は外部から侵入した者のように見えたが、実際には誠策自身の犯行だった。

【1942年8月30日 第四事件】

浜名郡積志村下大瀬。

鹿島家。

午前1時30分ごろ。

一家四人が死亡。

四女・春子が生存。

この事件現場に残った布片、鞘、帽子の顎ひも、歯などが、事件解決へ向かう突破口になった。

当時の遠州地方は、戦時体制へ急速に組み込まれていた。

1941年12月8日、日本は太平洋戦争へ入る。

事件の前半は開戦直前。

後半は戦争の最中だった。

新聞報道にも統制がかかる。

第三事件以降、当局は社会への影響を理由に記事掲載を抑えた。

つまり地域では連続殺人犯が捕まっていないのに、新聞では事件が大きく報じられない。

住民の恐怖と、公に流れる情報の間に大きな差が生まれた。

■登場人物

【中村誠策】

1923年9月生まれ。

中村家の六男。

聴覚障害があり、発語にも困難があった。

17歳ごろ浜松聾唖学校へ入学。

成績は優秀で、一、二番を争うほどだったと当時の報道にある。

学校を続けることへの執着が強かった。

学費を得るため鶏を飼い、卵を売ったという。

1942年10月に逮捕された時は19歳になったばかり。

第一、第二、第三、第四事件のほか、1938年の武蔵屋事件についても供述。

精神鑑定では心神耗弱とみるべきだという意見が出されたが、裁判所は完全な責任能力を認める方向で判断し、死刑判決。

1944年7月24日、刑執行。

21歳。

【中村文貞】

誠策の父。

農家。

第三事件で誠策に襲われ、頭部などに傷を負ったが生存した。

誠策の逮捕後、1942年11月、天竜川へ投身して死亡したと当時の新聞は報じた。

息子の犯罪そのものとは別に、当時の社会には「家族の犯罪は一家の恥」とする強い家制度的価値観があり、父の死もその空気の中で報道された。

【中村家四男】

誠策の兄。

事件当時27歳。

氏名は今回の確認資料だけでは確定できないため、勝手に名を補わない。

1941年9月27日の第三事件で、胸部、腹部、背部など十一か所を刺され死亡。

誠策は後の精神鑑定で、この兄を殺したことを「一番悲しかったこと」とする趣旨の答えをしている。

【中村家四男の妻】

26歳。

第三事件で右腋下などを負傷したが生存。

事件当夜、足音が二階方向へ上がるように聞こえたことを後に語ったとされる。

その先には誠策がいた。

【小松さち江】

第一事件の死亡被害者。

20歳。

芸妓置屋「和香松」にいた若い女性。

深夜、睡眠中に頭部・頸部を鋭利な刃物で激しく切りつけられ死亡。

【山田和子】

第一事件の生存被害者。

20歳。

小松さち江と同じ部屋で襲われた。

「苦しい」とうめく声を店主が聞き、事件が発覚。

頭部や頸部に重傷を負いながら生き残った。

【川口亀代】

第二事件の被害者。

料理店「菊水」の女将。

44歳。

事件前から危険を感じていたらしく、息子に、

「悪い者が夜に入ってきたら、すぐ交番へ知らせなさい」

という趣旨の話をしていた。

第一事件後、用心棒まで雇った。

それでも二日後に胸部を刺され死亡した。

【川口洋一】

亀代の11歳の息子。

第二事件から生還。

深夜、母が男に奥へ押されていく様子を見て、駐在所へ走った。

少年の通報が事件発覚のきっかけとなった。

【小林みよ】

16歳。

「菊水」で働いていた若い女性。

第二事件で座敷に倒れ、胸部を刺され死亡。

16歳という年齢で、一連の事件の犠牲者になった。

【林田健次郎】

66歳。

第一事件後、店の安全を守るため「菊水」に用心棒として雇われていた。

第二事件で胸部を刺され死亡。

用心棒を置くほど警戒していた店さえ、犯人を防げなかった。

【鹿島清吉】

第四事件の被害者。

56歳。

積志村下大瀬の農家。

妻、娘、息子とともに死亡。

【鹿島さき】

清吉の妻。

53歳。

第四事件で死亡。

【鹿島すえ】

三女。

19歳。

第四事件で死亡。

【鹿島豊】

三男。

15歳。

第四事件で死亡。

【鹿島春子】

四女。

17歳。

離れの部屋で寝ていたため生存。

朝を迎えた時、父、母、姉、弟の四人を一度に失っていた。

【内村祐之】

東京帝国大学教授。

精神医学者。

内村鑑三の長男。

吉益脩夫とともに中村誠策の精神鑑定を担当。

誠策について、単純な知的能力の不足では説明できないとしながら、最終的には完全な責任能力を認めるのは適切ではなく、心神耗弱とみる趣旨の鑑定を示した。

【吉益脩夫】

精神科医。

内村祐之とともに誠策を鑑定。

【紅林麻雄】

浜松署の刑事。

中村誠策の検挙に功績があったとして表彰された。

戦後は、二俣事件、幸浦事件、小島事件、島田事件など静岡県内の冤罪事件に関わった捜査官として厳しい批判を受けることになる。

■事件発覚

この連続事件には一つの「事件発覚」ではなく、何度も繰り返された発覚の瞬間がある。

最初の大事件。

1941年8月18日午前3時前。

「和香松」の静かな建物の中で、店主はかすかな声に気づいた。

「苦しい……」

一度。

また聞こえる。

店主が声の方へ向かう。

室内には血の匂い。

寝具。

倒れた二人。

小松さち江はすでに動かない。

頭から首にかけて鋭い刃物で何度も傷つけられ、血に濡れていた。

隣では山田和子がかろうじて息をしている。

「苦しい……」

その声だけが残った。

店主は助けを求める。

警察が来る。

犯人はもういない。

第二事件は、さらに異様だった。

二日後の午前2時半。

11歳の川口洋一が夜道を走る。

駐在所の戸を叩く。

「早く来てください」

「お母ちゃんが怖い男に奥へ押されて行った」

少年は母から、何かあれば交番へ知らせるよう言われていた。

言われた通りにした。

巡査が店へ向かう。

だが母を救うには遅かった。

土間。

川口亀代が胸を刺されている。

座敷。

16歳の小林みよも胸を刺され死亡。

近くには用心棒の林田健次郎。

彼も胸部を刺されて倒れている。

犯人は、警戒されていることを恐れていなかった。

用心棒まで殺して消えた。

第三事件。

今度は警察が一度疑った青年の家。

中村家。

四男は十一か所も刺されて死亡。

父も母も兄嫁も姉妹も負傷。

それなのに、誠策は無傷。

その不自然さに家族の一部は気づいていた。

だが事件は解決しなかった。

第四事件。

鹿島家。

一夜で四人死亡。

生き残った春子が朝、家族の死を知る。

そして今度は、犯人も無傷ではなかった。

現場に歯が落ちている。

布が残る。

鞘が残る。

顎ひもが残る。

四人を殺した夜、犯人自身も抵抗を受けていた。

この遺留品が、長く途切れていた捜査を再び中村誠策へ向ける。

・犯人の生い立ち

・事件の前兆

・当日の詳細

・逮捕

・裁判

・判決

・まとめ