松山事件
一家四人殺害・放火事件と、29年後に無罪となった死刑確定者・斎藤幸夫
昭和30年 1955年10月18日
宮城県志田郡松山町 現在の宮城県大崎市松山
■「事件概要」
昭和30年 1955年10月18日未明。
宮城県志田郡松山町。
現在の宮城県大崎市松山地域にあたる農村で、一軒の家が炎に包まれた。
家の主は、農業を営む小原忠兵衛。
焼け跡から発見されたのは、一家四人の遺体だった。
小原忠兵衛。
妻のよし子。
9歳の四女・淑子。
6歳の長男・優一。
火災だけなら、農家で起きた痛ましい一家死亡事故として処理されたかもしれない。
しかし焼け跡を調べた警察は、不自然なものを見つけた。
四人の遺体。
頭部付近に認められた刃物による損傷。
そして焼け跡から発見された、柄の焼けた薪割り用の刃物。
司法解剖でも、単なる焼死とは考えにくい所見が確認された。
四人の気道には、生きたまま激しい火災に巻き込まれた場合に予想される一酸化炭素吸入の明確な所見が乏しかった。
つまり、一家四人は火災で死亡したのではなく、火が回る前にすでに殺害されていた可能性が高い。
警察は事件を、
一家四人殺害・放火事件
として捜査した。
だが、小原家には多額の財産があったわけではない。
周辺では主人の忠兵衛について、
「仏さまのような人だった」
という趣旨の評判さえあった。
大金を狙った強盗なのか。
怨恨なのか。
男女関係なのか。
家族間の問題なのか。
捜査は難航した。
そしてやがて、24歳の青年・斎藤幸夫が捜査線上に浮かぶ。
斎藤は別件の傷害事件で逮捕された。
留置場の中で取り調べを受ける。
当初は否認。
しかし、やがて一家四人殺害を認める供述を始めた。
警察は自白を得た。
その自白は、現場の状況と一致していると評価された。
さらに斎藤宅から押収された掛け布団の襟当てから、多数の血痕が検出されたとされた。
その一部は被害者と同じ血液型を示すという鑑定結果が出た。
自白。
血痕。
事件後に東京へ行った行動。
金銭状況。
現場との距離。
当時の捜査側にとって、事件は解決したように見えた。
1957年10月29日。
仙台地方裁判所古川支部。
斎藤幸夫に死刑判決。
控訴。
棄却。
上告。
1960年11月1日、最高裁判所も上告を棄却。
死刑が確定した。
斎藤は29歳だった。
ところが、その後の再審請求で事件は揺らぎ始める。
自白は本当に斎藤自身の記憶から語られたものなのか。
いわゆる「犯人しか知らない秘密の暴露」は、本当に存在したのか。
犯行時に着ていたとされた衣服に、なぜ大量の返り血が認められないのか。
そして最大の問題。
斎藤の有罪を支えた「掛け布団の血痕」は、押収時から本当に存在していたのか。
再審請求審で開示された未提出記録の中には、掛け布団について、
ベンチジン反応、陰性。
ルミノール反応、陰性。
つまり血液反応がないとする鑑定資料が含まれていた。
その一方で、後の鑑定では80個以上もの血痕が存在することになっていた。
この食い違いは重大だった。
1979年12月6日。
仙台地方裁判所は再審開始を決定。
検察が即時抗告したが、仙台高裁は棄却。
再審が始まった。
そして1984年7月11日。
仙台地方裁判所。
判決。
無罪。
1955年に逮捕された24歳の青年は、53歳になっていた。
およそ29年。
死刑確定者として長期間拘禁された斎藤幸夫は、その日、自由の身になった。
この事件は現在、「松山事件」と呼ばれる。
一家四人が実際に殺害された未解決の殺人事件。
同時に、一人の青年が死刑確定まで追い込まれ、29年後に無罪となった日本刑事司法史上の重大な冤罪事件。
二つの事件が重なっている。
■「いつ・どこで起きたか」
事件発生日は、
1955年(昭和30年)10月18日。
火災の第一報が警察へ届いたのは午前5時5分ごろとされる。
場所は、
宮城県志田郡松山町。
現在の宮城県大崎市松山地域にあたる。
小原忠兵衛一家が暮らしていた農家だった。
家は東向きの木造わらぶき平屋建て。
農村地帯の一軒家である。
当時の松山町は、現在のような自動車交通や通信環境、防犯カメラ、携帯電話が存在する時代ではない。
夜明け前の農村。
暗い田畑。
わらぶき屋根。
薪。
木小屋。
そこに火が付けば、乾燥した建材と藁は一気に燃える。
午前5時すぎ。
松山巡査部長派出所へ消防団員が駆け込む。
新田地区の小原忠兵衛宅が全焼した。
それが第一報だった。
警察官が現場へ到着した時には、家はすでに大きく焼け落ちていた。
周辺住民が集まる。
火災後の独特な焦げ臭さ。
黒くなった柱。
灰。
焼けた家具。
割れた食器。
そこから、人間の遺体が見つかる。
最初は一人。
さらに一人。
また一人。
四人。
一家全員だった。
■「登場人物」
【小原忠兵衛】
53歳。
農業。
事件現場となった家の主人。
後世の資料では54歳とするものもあるが、犯罪史では53歳とされるため、本稿では犯罪史の年齢を基準とする。
周辺住民からは、事件後、
「忠兵衛さんは仏さまのような人だ」
という趣旨で語られたと犯罪史に記録されている。
大金持ちではなく、強い恨みを買っていたという明白な事情も捜査当初は浮上しなかった。
一家四人の一人として遺体で発見された。
頭部に刃物による傷があったとされる。
【小原よし子】
42歳。
忠兵衛の妻。
事件当夜、夫と二人の子供と同じ家で就寝。
遺体で発見された。
捜査段階では、事件前に材木を購入したことが斎藤の「自白」の中で動機形成に結びつけられた。
警察・検察の筋書きでは、斎藤が、
「材木を買ったのなら家の増築用の金を持っているのではないか」
と考えたとされた。
しかし、後の再審で斎藤の自白そのものの信用性が否定されており、この動機を歴史的事実として扱うことはできない。
【小原淑子】
9歳。
小原夫妻の四女。
資料によって10歳とするものもある。
本稿では犯罪史に従い9歳とする。
事件当夜、家族と同じ家で眠っていた。
遺体には頭部への刃物による損傷が認められたとされる。
9歳の子供に、大人の金銭関係や地域の人間関係に責任があるはずはない。
それでも殺害された。
【小原優一】
6歳。
小原夫妻の長男。
事件当夜、姉・淑子らとともに就寝中だった。
一家四人殺害の最年少被害者。
遺体には同じく刃物による損傷が確認されたとされる。
【小原夫妻の三人の娘】
小原夫妻には、事件当夜に死亡した淑子以外にも三人の娘がいた。
長女は北海道へ嫁いでいた。
次女は東京。
三女は鹿島台町。
三人とも家を離れていたため、事件当夜は小原宅にいなかった。
結果的に惨劇を免れた。
【斎藤幸夫】
昭和6年――1931年3月16日生まれ。
事件当時24歳。
警察に一家四人殺害・放火事件の犯人として逮捕され、死刑判決を受けた。
しかし1984年7月11日の再審判決で無罪。
現在、斎藤を本件の「犯人」と書くことは正確ではない。
本稿では、
「犯人とされた人物」
「被告人」
「斎藤」
と記す。
事件当時、酒を飲んで遊ぶことがあり、覚醒剤を使用したこともあったとする記録が残っている。
地域で「素行のよくない青年」と見られていた節があった。
しかし、素行が悪いことは一家四人殺害の証拠にはならない。
この点こそ、松山事件が後世へ残した重要な教訓の一つである。
【斎藤ヒデ】
斎藤幸夫の母。
事件後、長年にわたり息子を支え続けた。
国家賠償訴訟関係の記録には、事件直後、疑心暗鬼になった母が息子に、
「お前が忠兵衛さんたちを殺したのではないだろうな」
という趣旨の問いを口にしたことも残っている。
これは母親が犯行を知っていたという意味ではない。
地域を揺るがす一家四人殺害事件。
息子は警察から事情を聴かれる。
周囲の噂。
恐怖。
母親自身まで不安に陥ったという文脈で理解すべき発言である。
1984年7月11日。
斎藤が29年ぶりに自由になった日、母ヒデは息子を迎えた。
【留置場で斎藤に働きかけた男性】
実名について、今回基礎にした資料では確実に扱える情報がないため、無理に記さない。
斎藤が別件の傷害事件で拘束されていた時、同じ留置場にいた男性が斎藤へ、
やっていなくてもいったん認めればいい。
本当のことは裁判で話せばいい。
自白してもそれほど重い刑にはならない。
といった趣旨の働きかけをしたとされる。
後に、この人物と警察との関係が大きな問題になった。
【捜査員・検察官・鑑定関係者】
松山事件では、個々の担当者の実名よりも、捜査と鑑定の仕組みそのものが後の再審で問題になった。
特に、
斎藤の自白がどのように形成されたか。
現場情報が自白へ混入していないか。
掛け布団の押収、保管、移動、鑑定の過程。
犯行衣類の血痕の有無。
これらが再審の中心的争点となった。
■「事件発覚」
1955年10月18日午前5時5分ごろ。
松山巡査部長派出所へ、一人の消防団員が駆け込んだ。
「小原忠兵衛さんの家が焼けた」
という趣旨の知らせだった。
警察官は現場へ向かう。
到着した時には、小原家はほぼ焼け落ちていた。
消火。
焼け跡の確認。
そこで人間の遺体が見つかる。
忠兵衛。
さらに妻。
子供。
もう一人の子供。
家族四人全員。
最初は火災による一家死亡と見えた。
しかし遺体を確認すると、違和感があった。
頭部付近の損傷。
焼けただけでは説明できない傷。
焼け跡からは、薪割り用の刃物が発見された。
柄は火で失われていた。
刃部が残る。
司法解剖。
四人とも、火災で生きたまま煙を吸ったことを示す所見が乏しい。
つまり火が家を包む前に、すでに生命を失っていた可能性が高い。
頭部には刃物による致命的な傷。
警察は判断を変えた。
火災ではない。
殺人。
そして放火。
現場は、一家四人を殺した後に家ごと焼いて証拠を消そうとした可能性のある重大事件となった。
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・事件の前兆
・当日の詳細
・逮捕
・裁判
・判決
・まとめ
