富勢村母子三人強盗殺人事件
「金を持っている」という噂を狙った二人組 戦争を生き延びた母子三人が、平時の強盗によって命を奪われた昭和二十六年の惨劇

昭和26年 1951年
千葉県東葛飾郡富勢村 柏市周辺

■事件概要

昭和二十六年 一九五一年。

終戦から、まだ六年しか経っていなかった。

東京の焼け跡は少しずつ新しい街へ変わり始めていたが、日本社会には戦争の傷が色濃く残っていた。

食料の流通も、まだ完全には正常化していなかった。

米、小麦粉、砂糖、衣料品。

生活に必要な品の一部は統制され、正規の配給だけでは足りない家庭も多かった。

その隙間に「闇取引」が存在した。

闇市。

ブローカー。

仲介人。

現金。

現物。

戦争が終わっても、人々の生活の裏側には、配給制度から外れたもう一つの経済が残っていた。

千葉県東葛飾郡富勢村。

現在の柏市周辺。

水田と林に囲まれた、人家の少ない地域である。

その一角に、一軒の家があった。

そこに暮らしていたのは、四十九歳の母親と二人の子ども。

母 「大川たか」。

三男 「大川幸一」。

六女 「大川美代子」。

美代子は、わずか八歳だった。

昭和二十六年五月七日の朝。

午前七時三十分ごろ。

十五歳の中学生「田村文雄」が学校へ向かうため、いつもの道を歩いていた。

田畑。

林。

朝の空気。

登校途中の少年にとって、いつもと変わらない道だった。

その道路上に、人が倒れていた。

文雄は足を止めた。

倒れている女性の姿に見覚えがある。

自分の叔母、大川たかだった。

「おばさん……?」

少年は近づいた。

反応がない。

「おばさん!」

衣服には血が付着している。

たかはすでに息をしていなかった。

文雄は警察へ知らせた。

しかし道路上の遺体は、この事件の入口にすぎなかった。

警察官がたかの家へ入る。

室内を調べる。

そこで、さらに二人が発見された。

幸一。

美代子。

母親だけではなかった。

犯人は子どもたちにも刃物を向けていた。

母と子、三人。

一夜のうちに命を奪われていた。

司法解剖の結果、三人には鋭利な刃物による複数の傷が認められた。

資料では、それぞれ頭部や顔面などを含む二カ所から七カ所ほどの創傷があり、大量出血によって死亡したという趣旨が記されている。

犯人は単に金を盗んだだけではない。

家の中に人がいることを承知で侵入し、母だけでなく、幼い子どもたちまで殺している。

捜査員が考えたのは、

「生き証人を残さなかったのではないか」

という可能性だった。

事件の背景を調べると、母・たかにはある噂があった。

「金を持っている」

戦後の小麦粉の闇取引に関係し、複数のブローカーを使い、夜になると売上金や取引代金を集めて回っていた。

そのため、

「あの家には十万円、二十万円の現金があるらしい」

と周囲で噂されるようになっていた。

その噂を知っていた男がいた。

三十一歳。

山下繁一。

山下はブローカー商売に失敗し、約三万円の借金を抱えていた。

そして山下と頻繁に行動していた二十一歳の男、増田。

二人は事件直前、一緒に行動していた。

しかも山下は刃物を取り出し、新聞紙を切りながら、

「これなら大丈夫だろう」

と話したと証言される。

何が「大丈夫」なのか。

その意味は、事件後になって不気味なものへ変わった。

山下と増田は、大川家に現金があるという噂を信じ、強盗を計画した。

そして母子三人を殺害。

奪った現金は二万二千四百円。

山下の借金は約三万円。

三人の命を奪って得た金ですら、山下の借金を完全に返済するには足りない額だった。

事件から十二日後。

五月十九日。

山下は自宅付近で身柄を確保される。

一方、増田は警察の捜査が迫ると東京の飯場から姿を消したが、その後周囲の説得を受け、警視庁管内の警察署へ出頭。

二人は逮捕された。

同年十一月二十七日。

千葉地方裁判所松戸支部。

判決。

山下繁一。

増田。

二人とも死刑。

犯行のきっかけは金だった。

だが、最後に残ったのは金ではない。

三人の死。

生き残った家族の喪失。

二人の死刑判決。

そして、

「あの家には金があるらしい」

という一つの噂から始まった、取り返しのつかない結果だった。

■いつ・どこで起きたか

事件が発覚したのは昭和二十六年五月七日。

場所は千葉県東葛飾郡富勢村。

現在の柏市周辺にあたる。

現場は国道六号、水戸街道から北へ入った一帯だった。

現在の柏市と我孫子市の間に近い地域。

周囲には田畑と林が広がり、家が密集した市街地ではなかった。

夜になれば人通りは減る。

誰かが一軒家へ近づいても、周囲から見られにくい。

家の中で物音がしても、近隣に届くとは限らない。

現在のような街灯も、防犯カメラもない。

犯人にとっては、人目を避けて行動しやすい場所だった。

事件当夜の正確な侵入時刻について、今回の資料からは確定できない。

ただし翌七日午前七時三十分ごろ、道路上で大川たかの遺体が発見され、その後家の中から二人の子どもの遺体が発見された。

つまり犯行は、前夜から翌朝にかけての人通りが少ない時間帯に行われたとみられる。

現場となった家には、母親と子ども二人が暮らしていた。

四十九歳の母。

三男。

八歳の六女。

周囲は田畑。

夜間の人目は少ない。

そして家には、

「現金がある」

という噂があった。

山下繁一たちが強盗の標的として選ぶ条件は、そろっていた。

■登場人物

【山下繁一】

本事件の主犯。

事件当時三十一歳。

資料ではブローカー業に手を出していたが、商売に失敗し、かなりの借金を抱えていた人物として記録されている。

犯罪史では「素行不良」とも記される。

借金額は約三万円。

大川たかが現金を多く持っているという噂を知っており、以前、本人へ金を借りようとした疑いも浮上した。

共犯の増田と頻繁に行動していた。

事件直前には刃物の切れ味を新聞紙で試し、

「これなら大丈夫だろう」

と話したとされる。

事件後、五月十九日午後九時三十分ごろ、自宅付近で捜査員に身柄を確保された。

取り調べで犯行を認めた。

裁判では増田とともに死刑判決を受ける。

【増田】

共犯者。

事件当時二十一歳。

山下より十歳若い。

父親との関係が悪く、勘当同然の状態になり、親類の手配で東京の土建業者の飯場へ送られていたという。

周囲では、

「山下と一緒にさせておくと、ろくなことにならない」

という趣旨の話まで出ていた。

事件直前、「墓参り」などを理由に郷里へ戻っていた。

山下と一緒に行動し、犯行へ参加。

事件後は東京の飯場へ戻るが、捜査員が来たことを察した可能性があり、五月十九日に突然姿を消した。

その後、周囲から説得され、警視庁管内の警察署へ出頭。

山下とともに起訴され、死刑判決を受けた。

【大川たか】

四十九歳。

事件の被害者。

大正八年ごろ、「大川敬一郎」と結婚したとされる。

夫婦の間には三男六女、合計九人の子どもがいた。

昭和十九年、戦況悪化により東京から富勢村へ疎開。

その際、三男の幸一と六女の美代子を連れてきた。

終戦後も富勢村に残り、夫から送られてくる金を受け取りながら生活を続けた。

昭和二十四年ごろから小麦粉の闇取引に関わり、複数のブローカーを使って商売を拡大。

夜間に売上金などを回収していたため、

「大金を持っている」

という噂が広がった。

事件当夜、二人の子どもとともに山下・増田らの強盗に襲われ死亡。

翌朝、道路上で遺体となって発見された。

【大川幸一】

たかの三男。

年齢については今回の資料の見える範囲では明確に確認できない。

昭和十九年、母と妹の美代子とともに東京から富勢村へ疎開した。

事件当夜、自宅内で殺害された。

【大川美代子】

たかの六女。

八歳。

戦時中、東京への空襲を避けるため母や兄と富勢村へ疎開。

終戦を迎え、その後も富勢村で暮らしていた。

戦争を生き延びたが、終戦から六年後、金目的で押し入った犯人らによって自宅で殺害された。

山下の借金にも、母親の商売にも何の責任もない子どもだった。

【大川敬一郎】

たかの夫。

大正八年ごろ、たかと結婚。

東京・江戸川区東小松川方面で暮らしていたとされる。

戦時中、たかが二人の子どもを連れて千葉へ疎開した一方、敬一郎は東京に残ったとみられる。

たかは夫からの送金を受けながら富勢村で生活していた。

【田村文雄】

十五歳の中学生。

たかの甥にあたる少年。

昭和二十六年五月七日午前七時三十分ごろ、登校途中の道路上で叔母・たかを発見。

警察へ事件を知らせるきっかけを作った。

【たかの実弟】

事件捜査で重要な証言をした人物。

事件以前、深夜にたかの家へ金を借りに来て、言い争いになった男がいたことを捜査員へ話した。

その証言が、たまの金銭関係を洗い直し、山下繁一へ捜査を近づける要素の一つとなった。

■事件発覚

五月七日。

午前七時三十分ごろ。

田村文雄は学校へ向かっていた。

十五歳。

中学生。

この日も、いつもと同じように歩いていただけだった。

田畑の間の道。

朝の光。

林。

人家。

そこで文雄は、道路上に人が倒れているのを見つけた。

「誰だろう」

近づく。

女性だった。

さらに近づく。

顔を見る。

「おばさん……?」

叔母の大川たかだった。

「おばさん!」

返事がない。

文雄はもう一度呼ぶ。

「おばさん!」

動かない。

衣服には血がある。

十五歳の少年にも、ただごとではないと分かる。

文雄は警察へ知らせた。

警察官が現場へ到着する。

道路上のたか。

すでに死亡している。

「家を見よう」

捜査員が家へ向かう。

戸を開ける。

室内へ入る。

生活の跡がある。

昨日まで人が暮らしていた家。

布団。

衣服。

生活用品。

そして、

「子どもがいるぞ」

警察官が声を上げる。

一人ではない。

「二人だ」

幸一。

美代子。

二人とも殺害されていた。

「……こちらも駄目だ」

母一人。

子ども二人。

三人死亡。

家族三人が一夜のうちに殺された。

所轄だけで処理できる事件ではない。

県警本部へ急報。

捜査員が集められる。

現場保存。

聞き込み。

遺体の司法解剖。

関係者の洗い出し。

富勢村母子三人強盗殺人事件の捜査が始まった。

■犯人の生い立ち

山下繁一の出生地、両親、幼少期、学校歴、青年期の詳細などについて、今回の犯罪史の記載からは十分に確認できない。

したがって、

「幼いころからこういう性格だった」

「家庭がこうだったから犯罪者になった」

といった生い立ちを創作することはできない。

資料から明確に追えるのは、事件当時三十一歳で、ブローカー業に手を出し、商売に失敗し、借金を抱えた状態にあったという部分である。

戦後の日本には、正式な流通だけでは生活が成り立たない場所があった。

食料統制。

配給。

闇市。

闇取引。

ブローカー。

品物を右から左へ動かすことで利益を得ようとする人間も増えた。

山下も、そうした世界へ入っていた。

しかし商売は成功しなかった。

資料によれば借金は約三万円。

現在の感覚で単純換算することはできないが、昭和二十六年当時としては無視できない金額である。

返済しなければならない。

だが金がない。

仕事もうまくいかない。

周囲からの評判も悪い。

犯罪史には「素行不良」と記される。

その山下が知っていた人物が、大川たかだった。

たかは小麦粉の闇取引に関係していた。

複数のブローカーを使っていた。

夜に金を集めていた。

そのため、

「大金を持っている」

と噂されていた。

十万円。

二十万円。

当時としては巨額である。

山下はその噂を耳にした。

しかも以前、たかへ金を借りようとしていた疑いまである。

借りようとした。

断られた。

そしてやがて、

「借りる」

という発想が、

「奪う」

へ変わる。

ここが山下の人生における重大な転換点だった。

金に困る人間は珍しくない。

商売に失敗する人間もいる。

借金を抱える人間もいる。

だが、

「金がない」

から、

「他人の家へ押し入り奪う」

へ進む人間は一部である。

さらに、

「顔を見られたら殺す」

「子どもまで殺す」

へ進むのは、もっと大きな一線である。

山下は、その線を越えた。

一方、共犯の増田は二十一歳。

山下より十歳若かった。

増田についても、幼少期の詳しい生育歴は資料にない。

確認できるのは、父親との関係が悪く、勘当同然の状態となり、親類によって東京の土建業者の飯場へ送られていたということである。

親類は、

「山下と一緒にさせておいたら、ろくなことをしない」

という趣旨の言葉を周囲へ話していたという。

つまり、山下と増田の関係そのものが、周囲から好ましく見られていなかった。

増田は東京で働いていた。

だが五月初旬。

「墓参りをする」

などと言って郷里へ戻ってくる。

事件直前だった。

そして山下と行動をともにする。

その後、母子三人が殺害された。

・事件の前兆

・当日の詳細

・捜査

・未解決の理由

・まとめ