横浜「混血児・源次郎殺人死体遺棄事件」
殺した者はいない――だが、捨てられた死体だけが残った
神奈川県横浜市
■事件概要
一人の男が、横浜の夜の路上で複数の男たちに囲まれた。
男の名は、源次郎。
当時の横浜で、悪い意味で名の知られた人物だったと、後年、検察官の中野並助は回想している。
飲食店やカフェーへ現れては乱暴を働き、店側から嫌われていた。
「また源次郎か」
その名を聞くだけで顔をしかめる者もいたという。
やがて、その積み重なった反感が、一夜にして私刑へ変わった。
源次郎は複数人から激しい暴行を受けた。
拳。
蹴り。
一人ではない。
何人もの男が、一人の身体へ攻撃を加えた。
源次郎は血を吐き、路上へ倒れた。
動かなくなった。
男たちは、
「死んだ」
と思ったらしい。
そこで二人の男が、源次郎の身体を自動車へ積み込んだ。
目的は救命ではない。
人気のない郊外へ運び、捨てるためだった。
車は夜の横浜を離れていく。
繁華街の明かりが遠のく。
後部には、死んだと思われた源次郎が横たわっている。
ところが途中。
かすかな呻き声が聞こえた。
源次郎は、まだ生きていたらしい。
普通なら、その時点で病院へ運ぶ。
助けを呼ぶ。
警察へ届ける。
しかし、二人の男が選んだ行動は正反対だった。
源次郎が生きていれば、自分たちの暴行を話される。
誰が殴ったのか。
誰がその場にいたのか。
誰が自動車へ積み込んだのか。
すべてを知られる。
そこで二人は、金槌を持ち出した。
そして源次郎の顔面へ何度も振り下ろした。
資料では、顔面を「数多打」にしたという趣旨で記録されている。
さらに後年、中野並助は、顔面を激しく損壊したのは、単に死亡させるためだけではなく、源次郎の人相を変え、遺体の身元確認を難しくする目的もあったのではないかと考えた。
源次郎の身体にあった入れ墨についても、判読しにくくするような工作の痕跡があったという。
源次郎の身体は、その後、郊外の溝へ捨てられた。
発見された時、源次郎は死んでいた。
事件だけを見れば、誰かが殺したと考えるのが自然だった。
ところが裁判は、奇妙な結論へたどり着く。
殺人については無罪。
死体遺棄については有罪。
法的に整理すると、
「源次郎を殺した者はいない。しかし、源次郎の死体を捨てた者はいる」
という、一見すると矛盾した結論になった。
しかも、これは一度だけの判断ではなかった。
最初の陪審が殺人を認めなかったため、裁判所は陪審員を全員入れ替え、もう一度審理をやり直した。
二度目の陪審。
同じ事件。
同じ医学鑑定。
同じ被告人。
同じ金槌による傷。
それでも結論は変わらなかった。
再び、
「殺人ではない」
と判断された。
長い検察官生活を送った中野並助にとって、この事件は忘れ難い一件になった。
しかし興味深いのは、中野が晩年になって、
「陪審員が間違っていた」
だけで終わらせなかったことである。
事件記録を読み返した中野は、やがて自分たち検察側にも問題があったのではないかと考えるようになった。
路上での暴行を「傷害致死」。
自動車内での金槌による殴打を「殺人」。
検察は事件を二つに切り分けた。
だが本当は、路上の集団暴行から自動車への搬送、車内の金槌殴打、遺体の投棄まで、最初から最後まで一つの連続した犯行だったのではないか。
手際よく事件を整理しようとしたこと。
その「整理」そのものが、陪審員に殺人を否定する隙を与えたのではないか。
それが、中野並助が長い年月の後にたどり着いた反省だった。
■いつ・どこで起きたか
事件の舞台は、神奈川県横浜市である。
ただし、今回の資料には、事件が発生した正確な年月日までは記載されていない。
したがって、本稿では存在しない日付を推測して記すことはしない。
確実に言えるのは、日本で旧陪審制度が実施されていた時代の事件であり、横浜地方裁判所で陪審裁判が行われたということである。
当時の横浜。
そこは日本有数の港町だった。
外国船が出入りする。
商人が集まる。
外国人も暮らす。
繁華街にはカフェー、飲食店、酒場が並び、夜になれば昼とは別の顔を見せる。
港町特有の雑多な空気。
酒。
喧嘩。
商売。
人間関係。
そうした世界の中に、源次郎はいた。
中野並助の回想では、源次郎は「混血」の男性として記されている。
同時に、横浜では「不良の札付き」と見られていたという。
飲食店やカフェーに現れて乱暴を働き、店員へ因縁をつける。
何か気に入らなければ荒れる。
店側からすれば、来店してほしくない客だった。
一軒だけではない。
複数の飲食店関係者の間で、源次郎に対する反感が積もっていた。
事件が始まった場所も横浜の街中だった。
そこで源次郎は取り囲まれ、集団暴行を受けた。
そして路上で動かなくなった源次郎は、自動車へ積まれた。
車は市街地を離れ、人家の少ない郊外へ向かった。
最終的に、源次郎の身体は溝へ捨てられた。
つまりこの事件には、二つの空間がある。
一つは、集団暴行が始まった横浜の街。
もう一つは、人目を避けるために源次郎を運んだ郊外。
そしてこの二つを、自動車がつないでいた。
その自動車の中で、
「源次郎は生きていたのか」
「すでに死んでいたのか」
という問題が、後の裁判を大きく左右することになる。
■登場人物
源次郎
本事件の被害者。
資料では「源次郎」と記されている。
姓については今回の資料から確認できないため、勝手に補うことはしない。
中野並助の回想によれば、源次郎は混血の男性で、横浜では「不良の札付き」と評されていた。
飲食店やカフェーで乱暴を働き、多くの店関係者から嫌われていたとされる。
事件当夜、複数の男から集団暴行を受けて血を吐き、路上に倒れた。
その後、自動車へ積み込まれた。
車内で呻き声を上げたことから、まだ生きていたと考えられ、二人の男から顔面を金槌で何度も殴られたと検察は主張した。
遺体は郊外の溝へ捨てられた。
源次郎の素行に関する悪評は、裁判でも多数証言された。
そして、その悪評が陪審員の心理へ影響したのではないかと、中野は後年考えている。
中野並助
長年にわたり検察官として犯罪事件に携わった人物。
後年、『犯罪の縮図―検察38年の回想』の中で、この事件を詳しく振り返った。
当時、中野は殺人が成立する事件だと考えていた。
医学鑑定では、車内でできたと考えられる顔面の傷の中に「生前傷」があった。
つまり心臓が動いている間にできた傷が存在する。
それならば、源次郎は車内でも生きていた。
その生きている人間へ金槌による殴打を加えて死亡を早めたのであれば、殺人である。
中野にとっては、その理屈は明白だった。
しかし陪審は二度とも殺人を認めなかった。
当初、中野は陪審制度そのものへ強い不信感を持った。
だが年月が過ぎ、事件記録を読み返した時、自分たち検察側の事件処理にも問題があったと考え直した。
この自己批判こそ、この事件を単なる「不可解な陪審裁判」以上のものにしている。
集団暴行に加わった男たち
資料では氏名は確認できない。
複数の飲食店関係者らが源次郎を取り囲み、暴行したとされる。
裁判になると、それぞれが自分の関与を小さく説明した。
「少し蹴っただけだ」
「ほとんど手を出していない」
「見ていただけだ」
集団暴行では、一人一人が責任を薄めようとする。
だが、源次郎は実際に激しい暴行を受け、血を吐いて倒れた。
路上の暴行に加わった者たちは、傷害致死として起訴された。
自動車で源次郎を運んだ二人
資料では氏名は確認できない。
事件の中でも特に重要な二人である。
この二人は路上での暴行にも主役級として関わっていたと中野は考えている。
源次郎が動かなくなった後、その身体を自動車へ積み、人目につかない郊外へ運んだ。
そして車内で源次郎が呻いた後、金槌で顔面を何度も殴ったとされた。
検察は、この二人について、
路上では傷害致死の共犯。
車内では殺人。
さらに死体遺棄。
という構造で追及した。
ところが、この切り分けが後に問題となる。
医学鑑定人
氏名は資料から確認できない。
しかし裁判では非常に重要な役割を果たした。
源次郎の顔面に残された傷を調べ、その中に「生前にできた傷」が存在すると判断した。
人間の心臓が動いている間にできた傷と、死亡後に加えられた傷では身体の反応が異なる。
鑑定は、
「源次郎は車内でも生存していた」
という検察側主張の重要な根拠となった。
陪審員たち
個人名は資料に記されていない。
最初の陪審員たちは、殺人について「然らず」と答えた。
裁判所がその答申に納得できず、陪審員を全員入れ替えて再審理を行った。
しかし二度目の陪審員たちもまた、「然らず」と答えた。
二組の別々の一般市民が、同じ事件について同じ結論を出したことが、この事件を特異なものにした。
■事件発覚
源次郎の身体は、横浜市街から離れた郊外の溝へ捨てられた。
人目につかない場所を選んだのは、当然、事件の発覚を遅らせるためだったと考えられる。
だが遺体は発見された。
一人の男が死んでいる。
しかも、その遺体には激しい暴行の痕跡がある。
顔面は何度も殴打されている。
身体には傷がある。
さらに身元確認を妨げようとしたのではないかと疑われる状態もあった。
警察は捜査を開始する。
遺体は誰なのか。
なぜそこに捨てられたのか。
誰と最後に行動していたのか。
やがて被害者が源次郎だと判明する。
源次郎は横浜で知られた人物だった。
同時に、恨みを持つ者が多い人物でもあった。
警察がその夜の行動をたどれば、飲食店関係者らの名前が浮かんでくる。
「源次郎と何があった」
「殴ったのか」
男の一人が答える。
「少し蹴っただけです」
別の男。
「私は見ていただけです」
「誰が中心だった」
「分かりません」
「源次郎が倒れた時、何をしていた」
「私は何も……」
誰もが、自分だけは致命的なことをしていないと言う。
しかし源次郎を自動車へ積んだ二人の行動は、簡単には否定できなかった。
車へ乗せた。
郊外へ運んだ。
そして遺体を捨てた。
そこには明確な行動の連続がある。
さらに車内で金槌を使った事実が問題となった。
警察と検察は、
「源次郎は車内でも生きていた」
と考えた。
それならば、単なる死体遺棄ではない。
生きている人間へ追撃を加え、死亡させた殺人事件である。
こうして捜査は、単なる集団暴行から、傷害致死、殺人、死体遺棄が絡む重大事件へ発展していった。
・生い立ち
・事件の前兆
・当日の詳細
・逮捕
・裁判
・判決
・まとめ