昭和28年 瓦屋町・菓子問屋一家四人殺害事件 十九歳の住み込み店員・松井永明が、一家全員へ向けた怨恨
昭和28年、1953年9月15日。
大阪市南区瓦屋町一番丁 大阪市中央区 少年死刑囚
■事件概要
昭和二十八年、一九五三年九月十五日。
大阪市南区瓦屋町一番丁。
現在の大阪市中央区にあたる地域である。
松屋町筋一帯には、菓子や玩具などを扱う問屋が並んでいた。
その中の一軒。
菓子問屋「小柳商店」。
そこでは店主一家と住み込み店員が、同じ建物の中で生活していた。
一階は商売。
二階は生活。
主人一家も、若い店員たちも、朝から夜までほとんど同じ空間で暮らしていた。
店主は二十八歳。
本稿では川畑和夫とする。
妻は二十六歳。
川畑春子。
二人には幼い娘がいた。
三歳の咲枝。
一歳の恵美。
まだ若い夫婦と、小さな姉妹。
四人家族だった。
そして、この家には住み込みで働く若い店員がいた。
松井永明。
十九歳。
事件の約二年前から店に住み込み、朝から晩まで働いていた。
松井は外から侵入してきた強盗ではない。
家族が顔を知っている男だった。
毎日、店内を歩く。
同じ建物で食事をする。
同じ屋根の下で眠る。
幼い娘たちの姿も、日常的に見ていたはずである。
だが松井は、主人夫婦への強い怨恨を抱いていた。
「人使いが荒い」
「店員への扱いが冷たい」
「朝から晩まで働かされる」
「食事も悪い」
「休みが少ない」
特に妻・春子にあたる人物への反感が強かったとされる。
しかも事件前年の秋ごろには、すでに、
「みんなの犠牲になって、やっつけてやる」
という趣旨の考えまで抱いていた。
この言葉は重要である。
松井は、自分の個人的な怒りを、
「店員みんなのため」
という形へ置き換えていた。
自分だけが苦しいのではない。
仲間も苦しい。
だから自分が代表して主人一家を倒す。
そう考えることで、殺人への心理的な抵抗を小さくしていった可能性がある。
松井はジャックナイフまで購入した。
それでも、すぐには実行しなかった。
店で働く。
主人と顔を合わせる。
妻から仕事を言いつけられる。
子どもたちを見る。
そして夜になると同じ建物で眠る。
約一年近く。
殺意を抱えながら生活していた。
さらに松井には、好意を寄せていた若い女性店員がいた。
その女性が突然店を去ることになる。
松井は強い衝撃を受けた。
主人側への不満は、さらに強くなる。
「自分が苦しい」
「他の店員も苦しい」
「好きだった女性までいなくなった」
本来なら別々の出来事が、松井の中で一つに結びつく。
「全部、主人一家のせいだ」
そして事件前日。
九月十四日。
倉庫番をしていた松井へ、春子にあたる妻が仕事を言いつける。
その時の言葉遣いが気に入らなかった。
松井は後に、
「しゃくにさわった」
という趣旨で供述した。
それが最後の引き金になる。
「今夜、やろう」
十五日午前五時ごろ。
松井は起きる。
店内はまだ静かだった。
主人一家も眠っている。
他の店員も眠っている。
松井は便所脇にあった杉の角材を手にする。
縦約六センチ。
横約六センチ。
長さ約五十センチ。
細い棒ではない。
人を殴れば重大な傷害を生じさせる十分な太さの木材である。
松井はそれを持ち、二階の六畳間へ向かう。
そこには、
和夫。
春子。
咲枝。
恵美。
四人が眠っている。
松井は入る。
そして一家を襲う。
最初に店主。
次に妻。
その次に三歳の長女。
最後に一歳の次女。
頭部や顔面を角材で数回殴った。
さらに、以前から持っていたジャックナイフを使う。
鈍器。
刃物。
四人への攻撃。
松井が恨んでいたのは、大人の主人夫婦だった。
しかし殺害の対象は、三歳と一歳の娘にまで広がった。
そこにこの事件の最も異様な部分がある。
犯行後。
松井は階下へ下りる。
店主の財布。
百円札五枚。
合計五百円を持ち出す。
女性店員に、
「長らくお世話になりました」
という趣旨の言葉を残す。
そして店を出る。
その後。
二階を見た店員たちが一家の異変に気づく。
三人はすでに死亡。
一歳の恵美だけは、まだ息があった。
病院へ運ばれる。
だが助からなかった。
一家四人全員が死亡。
警察はすぐ松井を容疑者とみる。
松井は遠くへ逃げていなかった。
現場から約二百メートル。
小柳商店の倉庫。
二階で横になっているところを発見。
逮捕された。
十九歳。
一家四人殺害。
そして裁判。
精神鑑定。
責任能力。
長期にわたる殺意。
事前に用意したナイフ。
犯行後の現金持ち出し。
裁判所は心神耗弱を認めなかった。
判決。
死刑。
犯行当時十九歳。
まだ二十歳に達していない青年に対し、極刑が言い渡された。
しかし事件は、松井の死刑だけでは終わらなかった。
事件後、大阪労働基準局が松屋町筋の問屋街へ調査に入る。
朝六時から夜十一時ごろまで。
休日は月二回程度。
粗末な食事。
夜間外出禁止。
住み込み少年店員たちの過酷な労働環境が社会問題として表に出た。
松井の犯罪は正当化されない。
三歳と一歳の子どもまで殺したことに、労働問題を理由とする余地はない。
だが、
「なぜ十九歳の店員が、主人一家へここまで強い敵意を抱いたのか」
を調べる過程で、当時の問屋街の労働実態まで明らかになった。
犯罪者の責任。
社会の問題。
この二つを同時に突きつけたのが、瓦屋町・小柳商店一家四人殺害事件だった。
■いつ・どこで起きたか
事件が起きたのは、昭和二十八年九月十五日。
場所は大阪市南区瓦屋町一番丁四三。
松屋町筋。
この一帯は、菓子問屋、玩具問屋などが多数集まる大阪有数の問屋街だった。
当時の商店は、現在の会社と大きく違う。
店員が朝出勤し、夕方帰宅するとは限らない。
地方から若者を住み込みで雇う。
店の二階。
奥の部屋。
そこに寝泊まりさせる。
食事も店。
仕事も店。
休みも主人の許可。
生活そのものが商店へ組み込まれている。
小柳商店もそうだった。
主人一家が住む。
住み込み店員もいる。
女中一人を含めて、五人ほどの住み込み店員がいたと記録される。
店を開ける。
荷物を運ぶ。
商品を整理する。
客へ対応する。
帳簿。
掃除。
倉庫。
仕事が終われば、同じ建物で眠る。
そして翌朝。
また店員として一日が始まる。
この閉ざされた生活の中で、主人と使用人の関係は濃くなる。
良い関係なら家族的になる。
悪い関係なら、逃げ場のない上下関係になる。
松井永明は、後者として感じていた。
事件が起きたのは午前五時ごろ。
店が本格的に動き始める前。
主人一家も店員たちもまだ眠っている時間だった。
犯行発覚は午前六時前後。
警察への届け出は午前六時三十分ごろ。
つまり、わずか一時間ほどの間に、
一家四人への襲撃。
現金持ち出し。
松井の退出。
店員による発見。
通報。
が続けて起きた。
■登場人物
【松井永明】
犯人。
犯行当時十九歳。
昭和二十六年八月三十日ごろから小柳商店で住み込み店員として働いた。
約二年間、主人一家と同じ建物で生活。
後の供述では、
「夫婦とも店員使いが荒かった」
「妻の店員に対する態度が冷淡だった」
という趣旨の不満を述べている。
昭和二十七年十月ごろから殺害を考えるようになり、
「みんなの犠牲になってやっつけてやる」
という歪んだ自己正当化を持つ。
ジャックナイフを購入。
事件前日、主人の妻から仕事を命じられた際、その言葉遣いに腹を立て、
「今夜やろう」
と決意。
翌朝、一家四人を襲撃。
逮捕後、犯行を認めた。
【川畑和夫】
被害者。
二十八歳。
小柳商店店主。
まだ若くして菓子問屋を経営していた。
松井からは、
「店員使いが荒い主人」
と見られていた。
事件当日、家族と二階六畳間で眠っていたところを最初に襲われたとされる。
【川畑春子】
被害者。
二十六歳。
和夫の妻。
松井の供述では、主人以上に強い反感を向けられていた人物。
「店員への態度が冷たい」
「言葉遣いが気に入らない」
という趣旨の不満を松井は抱いていた。
事件前日、松井へ仕事を言いつけた際の言い方が「しゃくにさわった」とされ、それが犯行決意の直接的な引き金の一つとなった。
【川畑咲枝】
被害者。
三歳。
店主夫婦の長女。
当然ながら、松井の待遇や賃金、女性店員の退職、主人夫婦との労使関係とは何の関係もない。
それでも松井は、夫婦への襲撃後、咲枝へも攻撃を加えた。
【川畑恵美】
被害者。
一歳。
一家の次女。
犯行後、警察官が現場へ入った時には、唯一まだ生命反応が残っていた。
「この子は生きている」
と病院へ運ばれる。
しかし傷は深く、ほどなく死亡。
一家四人全員が犠牲となった。
【松井が好意を寄せていた女性店員】
実名は資料から確認できないため補わない。
松井がひそかに好意を抱いていたとされる。
突然店を去ることになり、松井は強いショックを受ける。
その出来事が、主人側への怒りをさらに増幅させた。
女性が松井の好意を知っていたか、二人が交際関係にあったかは不明。
【小柳商店の女性従業員】
犯行直後、階下で炊事をしていた。
二階から血相を変えて降りてきた松井を目撃。
松井が、
「長らくお世話になりました」
という趣旨の言葉を口にし、店主の財布から百円札を抜き取るところを見た。
【藤野某】
住み込み店員。
主人一家の異変が発覚した後、派出所へ走り、
「主人一家四人が殺された」
と届け出た人物。
■事件発覚
午前六時前。
小柳商店。
一階では炊事を始める者がいる。
本来なら、そろそろ店が動き始める時間である。
だが二階がおかしい。
物音。
気配。
店員の一人が二階へ上がる。
六畳間。
襖。
中を見る。
その瞬間。
「大変や!」
下から声。
「どうした!」
「主人さんたちが……!」
布団の中。
和夫。
春子。
咲枝。
恵美。
四人。
頭部や顔面に激しい傷。
すぐに、
「事故ではない」
と分かる状態だった。
藤野某が外へ飛び出す。
派出所。
「主人一家四人が殺された!」
警察官が現場へ。
二階。
まず大人。
死亡。
三歳の咲枝。
死亡。
そして一歳の恵美。
警察官が近づく。
「待て。この子は……」
まだ息がある。
「生きている!」
急いで搬送。
一歳。
唯一の生存者になる可能性。
だが、病院で死亡。
こうして一家四人全員が死亡した。
事件は発覚した。
しかし犯人については、すでに店員の中に強い心当たりがあった。
松井永明がいない。
しかも犯行直後の時間帯、
血相を変えて二階から降りてきた。
主人の財布から金を取った。
「長らくお世話になりました」
と言って出て行った。
警察にとって、松井は最初から最重要人物だった。
・犯人の生い立ち
・事件の前兆
・当日の詳細
・逮捕
・裁判
・判決
・まとめ