大正4年 小石川七人斬り惨劇 東京電燈小石川出張所大量殺傷事件
大正4年 1915年3月15日 東京府東京市小石川区表町 東京都文京区小石川周辺 東京電燈 金庫 盗品 監獄で出会った
■事件概要
大正四年――一九一五年三月十五日。
東京府東京市小石川区表町。
現在の東京都文京区小石川周辺。
まだ東京の街が完全に目を覚ます前の早朝、一人の用務員が東京電燈株式会社小石川出張所へ向かった。
そこは単なる事務所ではなかった。
一階では電気工事に携わる作業員たちが働き、夜間には緊急作業に備えて寝泊まりする。
二階には出張所主任とその家族が暮らしていた。
職場と住居。
仕事場と家庭。
二つが同じ建物に重なった、ごく普通の出張所だった。
だが、その朝。
用務員が戸を開ける。
「おはようございます」
返事はない。
もう一度。
「おはようございます」
静かだった。
一階には、いつもなら作業員がいるはずだった。
用務員は奥へ進んだ。
そこで足が止まる。
四人の男が倒れていた。
寝床は乱れ、床や布団には血が付いている。
一人ではない。
四人。
頭部や身体に激しい傷を負っている。
「おい!」
用務員が駆け寄る。
「しっかりしろ!」
すでに動かない者。
わずかに息のある者。
呻き声を漏らす者。
何が起きたのか。
強盗か。
喧嘩か。
誰かが乱入したのか。
だが、恐怖はそこで終わらない。
二階には主任一家がいる。
用務員は階段を見た。
「主任!」
急いで上がる。
二階にも血があった。
主任。
妻。
子ども。
家族まで襲われていた。
幼児一人だけが手を付けられず残されていた。
用務員は建物を飛び出した。
幸か不幸か。
東京電燈小石川出張所のほぼ目の前には警察署があった。
「人が殺されています!」
警察官が振り向く。
「どこだ!」
「東京電燈です! 何人も倒れています!」
警部補。
刑事。
医師。
さらに東京地方裁判所から予審判事、検事。
警視庁から捜査担当者。
次々と現場へ駆けつけた。
一階に四人。
二階に一家四人。
そのうち幼児一人だけは襲撃を免れ、七人が負傷。
最終的に五人が死亡した。
四人の作業員。
そして主任の妻。
二人が重傷を負って生き残った。
この事件は後に、
「小石川七人斬り」
と呼ばれる。
だが、事件名だけを見れば誤解しやすい。
七人が刀で斬られて死亡した事件ではない。
七人が襲われた。
五人が死亡した。
凶器として使用されたと考えられたのは、薪割りと玄能――大型の金槌のような工具だった。
犯人は二人。
大岩寅次郎。
香取彦次郎。
二人とも前科者。
しかも二人が知り合った場所は監獄だった。
香取には過去に東京電燈の巣鴨出張所で働いた経験があり、電燈会社の出張所には金が置かれていると考えていた。
その内部知識を大岩に話す。
二人で金庫を狙う。
便所の窓から侵入する。
眠っていた作業員たちを襲う。
さらに二階へ上がり、主任一家を襲う。
金庫を開けようとする。
だが開かない。
結局、金時計などを奪って逃げる。
狙った大金は手に入らなかった。
しかし五人は死んだ。
この不釣り合い。
わずかな金品を求めた強盗計画が、一夜にして五人死亡の大量殺傷事件へ変わったこと。
それこそが、小石川七人斬りの恐ろしさだった。
■いつ・どこで起きたか
事件発生は、大正四年三月十五日未明。
西暦一九一五年。
第一次世界大戦のさなか。
日本では大正という時代が始まってまだ四年。
東京では電灯が急速に普及し、夜の街の姿そのものが変わり始めていた。
事件現場は、
東京府東京市小石川区表町。
東京電燈株式会社小石川出張所。
現在の東京都文京区小石川周辺にあたる。
東京電燈は、当時の東京の近代化を象徴する会社の一つだった。
電気。
電灯。
工事。
配線。
停電への対応。
出張所では、いつ何が起きても対応できるよう作業員が夜間も寝泊まりしていた。
事件当夜、一階では四人の作業員が休んでいた。
本稿では、
川村重吉さん。
森田栄蔵さん。
大林清次郎さん。
中島徳松さん。
とする。
四人とも翌日の仕事がある、ごく普通の労働者だった。
二階には主任一家。
小川高志さん。
妻の冬子さん。
子どもの明子ちゃん。
幼児の守くん。
家族は同じ屋根の下で眠っていた。
外から見れば平穏な夜。
だが建物の外には二人の男がいた。
大岩寅次郎。
香取彦次郎。
二人の目的は金だった。
■登場人物
■大岩寅次郎
事件当時三十九歳。
強盗など複数の前科を持つ男。
監獄で香取彦次郎と知り合った。
香取から「東京電燈の出張所には金がある」という趣旨の内部情報を聞き、強盗計画へ加わったとされる。
事件後、遠方へ逃げ続けたわけではなく、東京・神田三崎町で飲食店を営むまでになっていた。
半年後の一九一五年九月十二日、警察に逮捕された。
取調べで犯行を認め、共犯者として香取彦次郎の名を供述。
東京地方裁判所で死刑判決を受けた。
翌一九一六年八月十二日、死刑執行。
■香取彦次郎
事件当時三十八歳。
土木作業などで生計を立てていた。
前科者。
大岩とは監獄で知り合った。
過去に東京電燈の巣鴨出張所で作業員として働いた経験があった。
そのため、出張所の仕組み、夜間勤務、金銭管理などについて一定の知識があったとされる。
「東京電燈の出張所には金がある」
そう考え、大岩を強盗計画へ誘った中心人物の一人。
大岩逮捕後、その供述から逮捕。
大岩と同じく死刑判決。
一九一六年八月十二日、死刑執行。
■川村重吉さん
一階で寝泊まりしていた東京電燈の作業員。
死亡。
その夜は仕事を終え、あるいは翌日の作業に備えて眠っていた。
突然侵入した二人に襲撃され、致命傷を負った。
■森田栄蔵さん
一階の作業員。
死亡。
最初の襲撃の物音で目を覚ました可能性もある。
狭い室内で逃げる間もなく襲われた。
■大林清次郎さん
一階の作業員。
死亡。
複数犯による突然の襲撃に巻き込まれた。
■中島徳松さん
一階の作業員。
死亡。
作業員四人はいずれも、出張所へ強盗が侵入することを予測できる立場ではなかった。
■小川高志さん
東京電燈小石川出張所主任。
二階で妻子と生活していた。
階下の異変に気づいた可能性がある。
犯人が二階へ上がってきたため襲撃され、重傷を負ったが生存。
■小川冬子さん
主任の妻。
死亡。
強盗とは何の関係もない家庭生活の中で、侵入してきた犯人に襲われ命を奪われた。
■小川明子ちゃん
主任の子。
負傷、生存。
家族が襲われる中、自身も傷を負った。
■小川守くん
非常に幼い子ども。
建物内にいた八人のうち、唯一直接襲撃を免れた。
後に、自分が一夜で家族や周囲の人々を襲った惨劇の中で生き残ったことを知ることになる。
■立石裁判長
一九一五年十月十八日に始まった東京地方裁判所の公判を担当した裁判長として資料に登場する。
■事件発覚
三月十五日の早朝。
東京電燈小石川出張所。
用務員がいつものように出勤した。
戸を開ける。
「おはようございます」
返事がない。
通常なら誰かが起きていてもおかしくない。
夜間勤務。
泊まり込み。
作業員たちは建物にいる。
「おはようございます」
もう一度。
沈黙。
男は奥へ進む。
そこに四人の男が倒れていた。
布団。
床。
血。
「……何だ、これは」
すぐ近くの警察署へ駆け込む。
「人が殺されています!」
警察官が現場へ急ぐ。
二階にも被害者。
一件の殺人ではない。
建物全体で人が襲われている。
この時点で事件は、東京でもまれに見る大量殺傷事件として扱われ始めた。
・続きの文章
・犯人の生い立ち
・事件の前兆
・当日の詳細
・逮捕
・裁判
・判決
・まとめ