大正12年 「レイン・コートを着た殺人鬼」 未解決事件 ・長野市元郡長夫妻殺害事件 『長野県現行学事諸則』『信濃國全圖『天竜道人事迹考』
長野市内の一軒の家
大正12年、1923年10月4日
■事件概要
大正十二年、一九二三年。
日本は大きな災害の直後にあった。
九月一日、関東大震災。
東京、横浜を中心として甚大な被害が発生し、社会全体がまだその衝撃から立ち直れていない十月初旬。
長野市で、さらに一つの不気味な事件が起きた。
十月四日。
長野市内の一軒の家に暮らしていた老夫婦が、一夜のうちに命を奪われた。
夫は、かつて長野県小県郡長を務め、行政や教育、産業関係にも長く携わってきた人物だった。
本稿では、その男性を文野二郎と呼ぶ。
夫人は文野夏江。
二人は年齢を重ね、行政の第一線から離れた後、比較的静かな暮らしを送っていたとみられる。
その家へ、何者かが入った。
そして翌日。
夫婦は死亡していた。
事故ではない。
自殺でもない。
誰かに殺された。
一人ではなく、夫と妻の二人が同じ家の中で命を奪われている。
警察は当然、考えた。
「強盗か」
「怨恨か」
「元郡長時代の恨みか」
「家に出入りしていた者か」
「それとも、まったく関係のない人間か」
しかし事件は、簡単な構図では説明できなかった。
後に検事総長となる中野並助は、三十八年間に及ぶ検察官生活を回想した著作の中で、この事件を、
「レイン・コートを着た変態殺人鬼」
という強烈な題名で書き残した。
現代の感覚で「変態」という言葉をそのまま医学的な診断と理解してはいけない。
当時の犯罪記事や回想録では、「異常」「猟奇」「普通の犯罪心理では説明しにくい」という意味を広く含む時代的な表現として用いられていた。
つまり中野並助にとって、この事件は単なる強盗殺人ではなかった。
長い検察生活の中で、何十年が過ぎても忘れられないほど、奇妙で、理解しにくく、そして結局犯人へ到達できなかった事件だった。
事件の記憶に残ったのは、犯人の名前ではない。
顔でもない。
住所でもない。
ただ一つ。
「レインコートを着た男」
という像だった。
一夜にして夫婦二人の命を奪い、そのまま闇の中へ消えた男。
名前は分からない。
動機も分からない。
どこから来たのかも分からない。
事件後どこへ行ったのかも分からない。
逮捕されなかった。
裁判にもかけられなかった。
判決もない。
その意味で、この事件には通常の殺人事件にある「最後」が存在しない。
残されたのは、
殺された夫婦。
十月四日という日付。
そしてレインコート姿の正体不明の男。
それだけだった。
■いつ・どこで起きたか
事件が起きたのは、大正十二年、一九二三年十月四日。
場所は長野市。
秋が深まり始める時期だった。
関東大震災から、およそ一か月。
大都市圏の混乱とは距離のある長野でも、大震災の報道は連日伝えられ、日本全体が落ち着かない空気の中にあった。
長野の十月。
日が沈めば気温が下がる。
夜道は暗い。
現在のように、住宅街の道路を街灯が隙間なく照らしている時代ではない。
防犯カメラはない。
自動車のドライブレコーダーもない。
スマートフォンもない。
夜、一人の男が道を歩いていたとしても、その人物の移動を後から機械的に追跡する手段はほとんど存在しなかった。
文野家の周辺も、日が落ちれば暗かったと考えられる。
十月四日の夜。
文野二郎と夏江は、いつもと大きく変わらない夜を過ごしていたのかもしれない。
以下は状況を伝えるための再構成である。
夏江が外の冷え込みを感じる。
「今日は冷えますね」
二郎が答える。
「もう十月だからな」
家の外には秋の夜。
人の声が遠くなる。
足音が聞こえても、誰の足音かまでは分からない。
その暗がりの中へ、一人の人物が入ってくる。
レインコートの男。
雨具として着ていたのか。
服装を隠すためだったのか。
血や汚れが衣服へ付着することを避けようとしたのか。
それとも、レインコートそのものに特別な意味などなく、単にその夜の服装だったのか。
資料からは断定できない。
ただ、後年の中野並助の記憶にまで「レイン・コート」という言葉が残った。
それほど、この服装は事件と強く結び付けて記憶されたのである。
翌日。
文野家の中で、夫婦二人の死亡が確認される。
二人とも同じ家の中。
同じ夜。
何者かによって命を奪われていた。
殺害の具体的な凶器、傷の詳細、遺体の位置などについては、今回の資料だけでは確定的に記述できない。
そこを猟奇的に創作すれば文章は派手になる。
しかし、それは事件記録ではなくなる。
確実なのは、
夫婦二人が一夜のうちに殺されたこと。
犯人が捕まらなかったこと。
そして、捜査上「レインコートを着た男」という不気味な人物像が残ったこと。
この三点である。
■登場人物
【文野二郎】
被害男性。
実際の被害者は、かつて長野県小県郡長を務めた行政官だった。
明治三十五年、一九〇二年から小県郡長を務めた記録があり、産業組合関係の活動でも郡部会会長を務めるなど、地域行政に長く関係していた。
著述にも携わった人物で、『長野県現行学事諸則』を編み、『信濃國全圖』にも関係し、『天竜道人事迹考』を著したとされる。
単なる「殺人事件の被害男性」ではない。
明治から大正へ移る地域社会の中で、公務に携わり、教育や行政に関わり、自分の仕事を記録として残した人物だった。
しかし事件後、その長い人生は、
「元郡長夫妻殺害事件の被害者」
という一行に圧縮されることになる。
【文野夏江】
被害女性。
二郎の夫人。
今回確認できる資料では、夫ほど詳細な経歴は残されていない。
それでも、記録が少ないことは、その人の人生が小さかったことを意味しない。
家族がいた。
知人がいた。
日々の家事があった。
季節ごとの暮らしがあった。
十月四日の夜まで続いていた生活が、一人の侵入者によって突然断ち切られた。
夫人まで殺された理由は、最後まで明らかにならなかった。
【レインコートの男】
正体不明。
本事件の犯人と疑われた人物像。
事件の記憶には「レインコート姿の男」が残ったが、氏名、年齢、住所、職業、出身地、生い立ち、家族関係などは不明。
顔も確実には特定されていない。
本当に目撃されたレインコートの男が殺人犯だったのかという点さえ、現在残る資料だけでは絶対的に断定できない。
それでも、事件後の記憶の中で、この人物像は犯人像と強く結び付いていった。
【中野並助】
実在の検察官。
明治末から昭和にかけて多数の刑事事件を扱い、後に検事総長を務めた。
三十八年間に及ぶ検察生活を回想した『犯罪の縮図』で、本事件を「レイン・コートを着た変態殺人鬼」として記録した。
有罪にできた事件だけでなく、証拠不足のまま決着しなかった事件も長く記憶していた人物である。
【長野の警察・捜査員】
事件発覚後、文野夫妻の過去、人間関係、金銭関係、行政官時代の怨恨、付近の不審人物、前科者、事件当夜の目撃証言などを調べた。
しかし「怪しい人物」は現れても、その人物を夫妻殺害へ直接結びつける決定的な証拠を得ることはできなかった。
【近隣住民・目撃者】
事件前後の不審人物について聞き込みを受けた。
「レインコートのようなものを着た男を見た」
という趣旨の人物像が浮かぶ一方、暗い夜道での一瞬の目撃であり、顔、年齢、正確な体格、進行方向などを明確に特定することは困難だった。
■事件発覚
翌日。
文野家に異変があることが分かった。
家の中には二郎。
そして夏江。
二人とも死亡していた。
一人が病気で倒れ、もう一人が助けを呼べなかった、という状況ではない。
二人は誰かに殺された。
警察が入る。
「二人ともか」
「はい」
「事故じゃないな」
「殺されています」
捜査員の頭に、最初の大きな疑問が浮かぶ。
なぜ二人なのか。
夫だけが狙われたなら、なぜ妻まで死んでいる。
妻だけが狙われたなら、なぜ夫も殺されている。
強盗なら何を奪ったのか。
怨恨なら誰がそこまで恨んだのか。
家の内外を調べる。
玄関。
窓。
庭。
室内。
どこから入った。
どこから出た。
犯人は最初から殺すつもりだったのか。
盗みに入って夫妻に見つかり、口封じのために殺したのか。
夫婦のどちらかと話したのか。
顔を見られたのか。
犯人を知っていたのか。
それとも見知らぬ男だったのか。
二人の遺体は、答えを返さない。
事件は発覚した瞬間から、いくつもの可能性へ分岐していった。
■犯人の生い立ち
通常の事件記事なら、この章では犯人がどこで生まれ、どのような家庭で育ち、学校生活を送り、どんな仕事に就き、いつ犯罪へ傾いていったのかを書く。
しかし、この事件では書けない。
犯人が誰なのか分からないからである。
名前がない。
出生地がない。
両親が誰か分からない。
兄弟がいるのか分からない。
学校に行ったのか。
兵役経験があったのか。
職人だったのか。
労働者だったのか。
無職だったのか。
長野の人間だったのか。
他県から来たのか。
事件以前に前科があったのか。
家庭を持っていたのか。
何一つ確定しない。
分かるのは、事件の記憶に「レインコートを着た男」という輪郭だけが残ったこと。
犯人が本当にその人物だったと仮定しても、生い立ちは完全な空白である。
それこそ、この事件の恐ろしさの一つでもある。
解決した事件なら、逮捕後に犯人の人生が遡られる。
「子どものころはこうだった」
「学校ではこうだった」
「何歳で家を出た」
「この事件の前にこんな犯罪をしていた」
人は、犯人の人生を読むことで、事件を理解した気持ちになれる。
しかし文野夫妻事件には、その入口がない。
犯人が存在したことだけは確かである。
二人の人間が殺されている以上、何者かが殺した。
だが、その「何者か」が誰なのか分からない。
つまり犯罪だけが残り、犯罪者の人生だけが完全に抜け落ちている。
犯人が事件後、長野を離れたのか。
翌朝には普通の服へ着替え、何食わぬ顔で列車に乗ったのか。
家族のいる家へ帰ったのか。
数日後には別の土地で仕事をしていたのか。
その後、結婚したのか。
子どもを持ったのか。
別の犯罪を起こしたのか。
生涯、十月四日の夜のことを誰にも話さなかったのか。
すべて不明である。
この「生い立ちを書けない」という事実そのものが、未解決事件の本質である。