昭和9年 岩手・二つの放火殺人事件
江刈村の物置小屋と、荒沢村の監置場。炎で消そうとしたもの
昭和9年 1934年
岩手県九戸郡江刈村 岩手県葛巻町江刈
■事件概要
昭和9年 1934年。
その年、岩手県の農村で、五か月の間隔を置いて二つの殺人放火事件が起きた。
二つの事件に直接のつながりはない。
犯人同士に面識があったわけでもない。
被害者同士も無関係である。
犯行の理由も違う。
第一の事件は、女性に性的関係を迫った男が、拒絶されて暴行し、倒れた女性を「死んだ」と思い込み、証拠を隠すために小屋ごと燃やした事件だった。
第二の事件は、精神状態を崩して監置場に閉じ込められていた男から、いずれ復讐されるのではないかと恐れた男が、「閉じ込められている今なら逃げられない」と考え、監置場へ火をつけて焼き殺した事件だった。
一方は、犯罪を隠すための火。
もう一方は、殺人そのものの手段としての火。
だが、二人の犯人には共通した錯覚があった。
火をつければ終わる。
燃やしてしまえば証拠は消える。
燃やしてしまえば相手は消える。
燃やしてしまえば、自分を苦しめる問題も消える。
しかし実際には、火は何も消してくれなかった。
むしろ火災のあとに残った遺体、火元、傷、人間関係、逃亡、アリバイの欠如が、犯人へつながる道を残した。
第一の事件は昭和9年4月1日。
九戸郡江刈村。
物置小屋が炎に包まれた。
焼け跡から見つかったのは、甘利家の妻ナギの遺体だった。
最初は火災事故のように見えた。
ところが遺体の頭には、火災では説明できない傷があった。
解剖の結果、さらに恐ろしい事実が判明した。
ナギは、頭を殴られた時点では死んでいなかった。
意識を失っただけだった可能性が高い。
犯人は、その女性を小屋に置いたまま火をつけた。
煙が小屋の中へ充満する。
意識を失っているナギは逃げられない。
そして煙を吸い込み、一酸化炭素中毒、窒息によって死亡したと考えられた。
つまり、殴打そのものではなく、「証拠を消すためにつけた火」が女性の命を奪ったのである。
犯人は三春福松。
明治15年6月20日生まれ。
事件時51歳。
住所不定、無職と警察資料に記録されている。
彼は被害者の娘をめぐる借金問題に介入し、母親であるナギを追及していた。
そしてナギが言った「あなたの言うことには何でも従う」という趣旨の言葉を、自分との男女関係まで認めたものと勝手に解釈した。
深夜。
福松は眠っていたナギを起こし、物置小屋へ連れ出した。
関係を迫る。
ナギは拒む。
抵抗する。
福松の頭を殴り、腰を蹴り、身体を押して逃れようとした。
福松は激怒した。
小屋にあった薪をつかむ。
前頭部へ振り下ろす。
ナギは倒れた。
動かなくなった。
福松は死んだと思った。
しかし、そこで救急を求めなかった。
「殺してしまった」と警察へ行くこともしなかった。
考えたのは、隠すことだった。
小屋を燃やせば分からない。
その判断が、まだ生きていた女性を本当に殺した。
事件翌日の4月2日、福松は伊保内村の実家に潜伏しているところを発見され、逮捕された。
同年6月30日、盛岡地方裁判所。
懲役15年。
それから五か月後。
9月1日。
今度は二戸郡荒沢村。
午前10時ごろ。
木造の監置場から火が上がった。
中に閉じ込められていたのは、かつて牛馬商をしていた大川原初治である。
初治は昭和9年春ごろから精神状態を崩し、暴力的な言動を示すようになったと警察資料は記している。
そのため家族は、自宅裏に木造の監置場を造り、初治をそこへ入れていた。
現代の感覚から見れば衝撃的だが、当時は「精神病者監護法」により、一定の手続きを経て家族が自宅で監置する私宅監置が制度として存在していた。
初治は監置場の中から、一人の男への憎悪を繰り返し口にしていた。
宮野春松。
56歳。
初治が牛馬商をしていたころ、馬の購入を仲介したことがある男だった。
ところが仲介料をめぐって二人の関係は悪化した。
さらに初治の精神状態が崩れたあと、初治が春松宅へ押しかけ、暴力を振るったとされる。
春松は初治を恐れるようになった。
しかし春松自身も、監置場にいる初治へ木や石を投げ込むなどの嫌がらせをしていた。
つまり一方的に恐れていたのではない。
恐れながら挑発する。
挑発するから、相手の怒りが強くなる。
相手の怒りが強くなれば、さらに恐ろしくなる。
そんな悪循環ができていた。
初治は監置場から、春松を殺す、新町を焼き払うという趣旨の言葉を繰り返していたという。
そして8月中旬。
春松は、初治の妻が「病気が良くなった。近く監置場から出す」と話しているのを耳にした。
春松の中で恐怖が決定的になる。
出てくる。
自分のところへ来る。
今まで石を投げたことも覚えている。
殺されるかもしれない。
その恐怖から、春松は一つの結論に至った。
「出てくる前に殺す」
しかも、初治は今なら閉じ込められている。
逃げられない。
9月1日午前10時ごろ。
春松は自宅から藁と杉葉を持ち出した。
監置場の西側へ回る。
糞便をくみ取るための口から、燃えやすい藁や杉葉を押し込む。
マッチを擦る。
火をつける。
そして立ち去った。
木造の監置場。
中には逃げられない初治。
火は急速に広がった。
妻は、
「父ちゃんが焼け死ぬ」
という趣旨の叫びを上げ、燃える監置場へ向かおうとしたと記録されている。
しかし周囲に止められた。
火勢が強すぎた。
監置場は全焼。
初治は焼死した。
警察が調べると、そもそも火の出る場所ではない。
自然発火を考えにくい。
怨恨関係を追う。
宮野春松へ行き着く。
アリバイも成立しない。
やがて春松は自供した。
昭和10年1月31日、盛岡地方裁判所。
懲役15年。
控訴。
宮城控訴院でも懲役15年。
さらに大審院へ上告。
昭和10年10月11日、上告棄却。
懲役15年が確定した。
奇妙なことに、同じ昭和9年の岩手県で、火を使って人を死なせた二人の男には、どちらも一審で懲役15年が言い渡された。
三春福松。
宮野春松。
似た響きの名前を持つ二人。
だが二人の人生に直接の接点はない。
残ったのは、二つの炎と、二人の死者と、二つの15年刑だった。
いつ・どこで起きたか
【第一事件 江刈村】
昭和9年4月1日。
九戸郡江刈村。
現在の岩手県葛巻町江刈にあたる地域である。
現在の葛巻町は、昭和30年7月15日に旧葛巻町、江刈村、田部村が合併して成立した。
事件当時の江刈村は、現代のように道路網が整備された地域ではない。
警察資料は、現場を「沼宮内方面から約40キロ離れた寒村」として描いている。
火事が起きたからといって、消防車も警察車両も数分で到着する時代ではない。
家も小屋も木造。
生活の中には薪、藁、炭、油がある。
火は生活に不可欠だった。
同時に、一度燃えれば家屋全体を短時間でのみ込む危険もあった。
4月1日。
甘利家が借りていた物置小屋から火が出た。
小屋は燃え落ちた。
鎮火したあと。
焼け跡を調べた人々が、人間の遺体を見つける。
甘利ナギだった。
火事の中で逃げ遅れた。
最初は、そう考えても不自然ではない。
しかし、遺体の頭に残された傷が、事件の意味を変えた。
【第二事件 荒沢村】
昭和9年9月1日。
二戸郡荒沢村。
現在の八幡平市荒屋新町周辺にあたる。
事件現場は、一般の住宅そのものではなく、家の裏手に設けられた木造の「監置場」だった。
被害者の大川原初治は、その中へ入れられていた。
現在の感覚では、自宅裏の小屋へ精神状態を崩した家族を閉じ込めるという状況自体が異様に見える。
だが、当時の日本には精神病者監護法があり、私宅監置という制度が存在した。
もちろん制度が存在したからといって、そこで暮らす本人にとって人道的だったということにはならない。
狭い木造の監置場。
自由に出られない。
外の人間が扉や構造を管理する。
その環境そのものが、9月1日の犯行では殺害に利用された。
犯人は、火をつければ初治が逃げられないことを知っていた。
放火という方法と、被害者の監置状態が直接結びついた事件だった。
■登場人物
【第一事件・江刈村】
■三春福松
明治15年6月20日生まれ。
事件当時51歳。
九戸郡伊保内村方面を本籍地とする。
警察資料では住所不定・無職と記録されている。
事件直前には甘利家付近に滞在していた。
被害者の娘の養女縁組、貸座敷からの離脱、残されたとされる借金問題に介入し、母親へ支払いあるいは代わりの女性を要求していた。
ナギが「何でも言うことを聞く」という趣旨の発言をしたことを、自分との性的関係にも同意したものと解釈し、深夜に関係を迫った。
拒絶されて暴行。
薪で頭部を殴る。
倒れたナギを死亡したと思い込み、犯罪を隠す目的で小屋に放火。
その火災によってナギを死亡させた。
翌日に逮捕。
懲役15年。
■甘利ナギ
第一事件の被害者。
甘利義蔵の妻。
娘アキノをめぐる貸座敷側との金銭問題に巻き込まれ、福松から追及されていた。
福松から性的関係を迫られた際、拒絶し、殴る、蹴る、押し返すなどして抵抗した。
薪で前頭部を殴られ昏倒。
福松は死亡したと思ったが、解剖結果からはその時点で生存していたとみられる。
小屋に放火され、煙を吸い込み死亡。
■甘利義蔵
ナギの夫。
火災が起きた物置小屋を別人から借りていた。
警察資料上、犯行そのものへ関与した人物ではない。
■甘利アキノ
ナギの娘。
一戸町の貸座敷へ養女として入籍した後、無断でそこを離れ、別の家へ嫁いだとされる。
その行動をめぐって「借金が残った」「代わりの女性を出せ」といった要求が母ナギへ向けられた。
事件当夜その場にいた被害者ではないが、事件の背景にある金銭・養女問題の中心人物となった。
■南沢伊兵衛
甘利家が物置小屋を借りていた相手として資料に登場する。
犯行に関与した人物ではない。
■江刈巡査駐在所、葛巻巡査部長派出所などの警察官
焼け跡の検証、遺体の確認、解剖結果の整理、福松の行方捜査を行った。
【第二事件・荒沢村】
■宮野春松
事件当時56歳。
被害者の大川原初治とは、牛馬取引の仲介をめぐって関係を持っていた。
仲介報酬が支払われなかったことから関係が悪化。
精神状態を崩した初治から暴力を受けるなどし、恐怖を抱くようになった。
一方で、自らも監置場へ木や石を投げ込むなどの嫌がらせをしていた。
初治が近く監置場から出るという話を耳にし、報復を恐れ、閉じ込められているうちに殺すことを決意。
藁と杉葉を監置場のくみ取り口から押し込み、マッチで放火。
初治を焼死させた。
懲役15年が確定。
■大川原初治
第二事件の被害者。
もとは牛馬商。
昭和9年春ごろから精神状態に大きな変化が見られ、暴力的言動が増えたと警察資料は記す。
宮野春松の家へ押しかけ、暴力を振るったこともあったとされる。
同年4月末ごろから自宅裏の監置場へ入れられた。
監置後も春松への怒りを口にし、「殺す」「新町を焼く」という趣旨の叫びを繰り返したとされる。
9月1日、監置場へ放火され、逃げられないまま死亡。
■大川原夏江
初治の妻。
「病気が良くなったので、近いうちに監置場から出す」という趣旨の話をしていたとされる。
それを春松が耳にしたことが、犯行決意の大きな引き金となった。
火災発生時には、燃える監置場へ向かおうとし、「父ちゃんが焼け死ぬ」という趣旨の叫びを上げたと警察資料に記録されている。
■荒沢村周辺の警察官
火災後、火の気がない監置場から出火していることを不審に思い、放火の可能性を検討。
初治の人間関係を洗い、宮野春松へ到達した。
■事件発覚
第一事件の発覚は、火そのものだった。
物置小屋が燃える。
人々が消火する。
焼け跡を見る。
人が死んでいる。
ここまでは「火災事故」であり得た。
しかし遺体が、事故では終わらせなかった。
甘利ナギの頭部には、火災だけでは生じない傷が残っていた。
鈍器で強く殴られたような傷。
火の中で倒れたときについた傷なのか。
燃えた建物の一部が落ちて当たったのか。
それとも火事の前に誰かに殴られたのか。
解剖が行われた。
そこで死因が調べられる。
もし薪で殴られた一撃によって即死していたのであれば、その後の放火は死体を焼いただけという見方もできる。
ところが、そうではなかった。
ナギは、火がついた時点で生きていたと判断された。
煙を吸っている。
一酸化炭素を含んだ煙が肺へ入る。
生きて呼吸していたからこそ、煙を吸った。
死因は火災による窒息、一酸化炭素中毒と推定された。
警察にとって、この事実は決定的だった。
誰かが殴った。
そのあと火をつけた。
そして被害者は火によって死んだ。
殺人放火。
では誰がいたのか。
事件前日から甘利家付近に滞在していた男がいた。
三春福松。
火災後、いない。
姿を消した。
それだけで犯人と決めつけることはできない。
だが調べると、福松は被害者と揉めていた。
娘アキノの問題。
貸座敷に残されたとされる借金。
母親への要求。
さらに事件前夜のやり取り。
捜査線が一気に福松へ集中する。
第二事件の発覚は、逆に「火の出る理由がない」という疑問だった。
監置場が燃えた。
中の初治が死亡した。
木造だから火は回る。
だが、そもそも誰が火を使ったのか。
監置されている本人が自由に外へ出て火を扱う場所ではない。
炊事場でもない。
かまどでもない。
警察官は火元を考えた。
自然に燃えたのか。
誰かが外からつけたのか。
そこで浮かんだのが放火だった。
初治には敵がいた。
宮野春松。
仲介料の争い。
暴力。
脅し。
監置場越しの罵声。
石や木を投げ込む嫌がらせ。
二人の関係は地域でも知られていたと考えられる。
火災当日、春松の行動を確認する。
確実なアリバイがない。
警察は事情聴取へ進む。
「火事の時間、どこにいた」
その問いから、春松の説明は崩れていった。
■犯人の生い立ち
ここは、資料に書かれていないことを創作してはいけない部分である。
三春福松について、警察資料が伝えている出生情報は明治15年6月20日生まれということ、九戸郡伊保内村方面を本籍地とし、事件当時は住所不定・無職と記録されていることなどである。
幼少期にどのような家庭で育ったのか。
両親との関係はどうだったのか。
学校生活はどうだったのか。
若いころ何の仕事をしていたのか。
なぜ住所を定めず生活するようになったのか。
今回の資料からは十分に分からない。
したがって、犯罪に都合のよい「悲惨な幼少期」や「幼いころから粗暴だった」といった物語を後から作ることはできない。
分かるのは、事件当時50歳を超えた男が、他人の娘の借金問題へ深く介入し、母親に対して金銭や代わりの女性を求めるほど踏み込んでいたことだ。
そして「何でも言うことを聞く」という相手の言葉を、自分への性的同意にまで拡大解釈した。
拒絶されたとき、その誤解を修正するのではなく怒りへ変えた。
福松の人物像を考えるとき、資料から確実に読み取れるのはこの行動である。
自分の解釈を相手より優先した。
相手が「違う」と示しても、受け入れなかった。
そして抵抗されると暴力を使った。
さらに、自分が引き起こした事態を隠すため、相手の救命より自分の保身を優先した。
それが事件の核心だった。
宮野春松についても、幼少期や青年期の詳細は今回の資料では十分ではない。
事件時56歳。
地域で生活し、牛馬取引の仲介にも関わっていた人物である。
少なくとも、住所不定の福松とは違い、地域社会の中に生活基盤を持っていた人物だったと考えられる。
初治との関係は仕事から始まった。
馬の取引。
仲介。
報酬。
そこから不満が生じた。
仕事上の金銭問題は、本来なら金銭問題として終わる。
しかし二人の場合、初治の精神状態の悪化によって関係が別の段階へ進んだ。
初治が春松宅へ押しかける。
暴力を振るう。
春松は恐れる。
そして初治が監置される。
ここで関係を断てば、少なくとも直接の接触は減らせたはずだった。
だが春松は、監置場へ近づいた。
石や木を投げた。
閉じ込められた相手を挑発した。
初治の怒りは強くなる。
春松はその怒りを見てさらに恐れる。
自分で相手を刺激しながら、その結果として強まった敵意を「自分への危険」として感じる。
そこには、被害者と加害者という単純な二分では捉えきれない悪循環があった。
それでも最後に火をつけたのは春松である。
相手が逃げられない状況を知った上で。
そこに犯罪としての決定的な一線がある。
・事件の前兆
・当日の詳細
・逮捕
・裁判
・判決
・まとめ
