『医学博士の怪治療』――大野禧一事件

大正11年、1922年。
神奈川県横浜市

■事件概要

大正十一年、一九二二年。

横浜で、一人の女学校生が肺の病気を患った。

少女、大倉秋江は、まだ十六、七歳ほどだったと考えられている。

父の大倉春彦は、娘をある医師に託した。

その医師の名は、大野禧一。

単なる町医者ではない。

東京帝国大学医科大学を卒業し、京都帝国大学内科助手を経て、海外の研究機関にも勤務した経歴を持つ。帰国後は日本海員掖済会横浜病院長を務め、肺結核の研究でも知られ、一九一七年には医学博士となっていた。

当時の横浜医師界で、大野は社会的信用を備えた人物だった。

しかも大倉家にとって、大野は「名前だけ有名な医師」ではなかった。

事件より数年前、大倉家の二女・夏子が肋膜炎に苦しんだ際、大野の診察を受けて病状が改善したという実績があった。

春彦は大野を信じた。

妻の冬江も信じた。

娘たちも信じた。

春彦は普段から、子供たちにこう教えていた。

「医者の先生がおっしゃることは信じなさい」

「素人が勝手に判断してはいけない。先生が必要だと言う治療なら、きちんと受けなさい」

この教育は、普通なら子供を病気から守るための言葉だった。

ところが大野禧一事件では、その信頼が逆に利用されたと裁判所は認定することになる。

秋江は肺尖カタルと診断され、大野の治療を受けた。

しかし、症状はなかなか良くならない。

やがて大野は、胸の病気だけを見るのでは足りない、身体の冷えや月経の状態も治療する必要がある、と少女へ説明するようになった。

そして一九二二年十一月下旬から十二月下旬にかけて、「治療」だと信じ込ませたうえで性的な行為を繰り返したと、後の裁判所は認定した。

秋江は、自分が犯罪の被害に遭っているとは理解していなかった。

目の前にいるのは本物の医学博士だった。

父が信頼している医師だった。

姉を治してくれた医師だった。

大野から、

「これは治療です」

と言われれば、少女はそれを治療だと思った。

暴力で押さえつけられたわけではない。

刃物で脅されたわけでもない。

逃げようとして捕まったわけでもない。

それでも、少女が自由な意思で同意したとは言えなかった。

そもそも少女は、自分に何が行われているのかを正しく理解できない状態に置かれていたからである。

やがて少女の月経が止まった。

大野は妊娠を疑わせる状況になっても、家族に真相を伝えず、「ポリープ」などと説明した。

そして一九二三年二月二十一日、少女の妊娠に気づいた大野が、自分の行為の発覚を恐れて妊娠を終わらせようとし、治療を装って折り曲げた針金状の異物を少女の体内へ挿入した――と横浜地方裁判所は認定した。

この行為は、後に堕胎未遂として裁かれる。

少女の身体に異変が現れた。

父親は、ようやく娘へ問いただした。

そして初めて、一家は知った。

娘が長いあいだ「治療」と信じて受けていたものが、通常の医療行為ではなかったことを。

父の春彦にとって、それは二重の衝撃だった。

娘が傷つけられたこと。

そして、その娘に、

「先生を信じなさい」

と教えたのが自分だったことである。

一家は事件を隠すこともできた。

大正時代。

資産家の令嬢。

女学校生。

性的被害。

妊娠。

公になれば、少女自身が好奇の視線にさらされ、結婚や将来にも影響しかねない時代だった。

それでも父親は告訴を選んだ。

一九二三年三月二日、代理人の弁護士・染谷徳平から告訴がなされ、警察と横浜地方裁判所検事局が動き始めた。

こうして「医学博士の怪治療」は、一家の内部だけで抱え込まれていた秘密から、社会を揺るがす刑事事件へ変わったのである。

■いつ・どこで起きたか

事件の中心となった時期は、大正十一年――一九二二年秋から年末にかけてである。

裁判所が問題となる行為を認定した期間は、一九二二年十一月下旬から十二月下旬。

さらに翌一九二三年二月、大野は少女の月経停止と妊娠をめぐり、家族に対して「ポリープ」などと説明し、二月二十一日には少女の身体へ異物を挿入する処置を行ったと認定された。

場所は神奈川県横浜市。

資料では横浜の大野の診療と大倉家との往来を中心に事件が展開する。

また一九二三年二月十七日には、大野から母親へ電話が入り、横浜のグランドホテルへ呼び出されている。

そこで大野は、

「お嬢さんには婚約者のような男性はいませんか」

という趣旨の質問をした。

母親が、

「おりません」

と答えると、大野は妊娠ではなく「ポリープ」だという趣旨の説明をした。

事件は一夜の出来事ではない。

医師と患者の関係の中で、数か月にわたり進行した事件だった。

最初は肺尖カタルの診療だった。

そこから「身体の冷え」という説明が出てくる。

「別の薬が必要だ」と言われる。

「これは治療です」と説明される。

少女は従う。

家族も疑わない。

少女が苦痛を訴える。

月経が止まる。

大野は妊娠を否定する方向の説明をする。

そして異物を用いた処置が行われる。

一つ一つの段階で、「医学博士」という肩書が家族の疑念を押し戻していった。

この事件を理解するうえで重要なのは、その時間の長さである。

突然現れた見知らぬ男が少女を襲った事件ではなかった。

家族が何年も前から知っていた医師。

一度は姉を治してくれた医師。

父親が家族に信頼するよう教えていた医師。

その人物の診察室で、少女は自分が被害者であることにすら気づかないまま、事件の中へ入り込んでいったのである。

■登場人物

【大野禧一】
本事件の被告人。

東京帝国大学医科大学を卒業し、京都帝国大学内科助手などを経た医師。フィリピンの研究機関にも勤務し、帰国後は日本海員掖済会横浜病院長を務めた。肺結核研究でも知られ、一九一七年には医学博士となった。

事件当時は医学博士という肩書だけでなく、実際の学歴、研究歴、病院長経験、医師社会での地位を備えた人物だった。

だからこそ大倉家は信じた。

裁判では、患者から寄せられた信頼を利用し、治療に必要な行為だと誤信させたうえで性的行為に及んだと認定され、最終的に懲役三年となった。

【大倉秋江】
被害少女。

大倉家の六女。

女学校に通う少女で、事件当時の満年齢は十六~十七歳ほどと考えられている。

肺尖カタルを患い、大野禧一の診察を受けた。

父親から「医師の言葉には従うもの」と教えられ、大野が姉を治した実績も知っていたため、医師への警戒心をほとんど持っていなかった。

資料によれば、男女関係についても非常に知識が乏しく、大野の行為を医療処置だと思っていた。

やがて、

「もう、あの治療は嫌です」

と母へ訴える。

しかしその時点で、身体にはすでに重大な変化が生じていた。

【大倉春彦】
被害少女の父。

原資料における実業家・小倉鎮之助にあたる。

大野禧一を家族の主治医として信頼した人物。

以前、大野が二女の病気を改善させたことから、

「あの先生は本物だ」

と確信するようになった。

娘たちへ医師の言葉に従うよう教育しており、事件発覚後、その教育が逆に娘を危険にさらしたのではないかと苦悩した。

事件を隠すこともできる立場にありながら、公に争う決断をした。

【大倉冬江】
被害少女の母。

娘から診察内容を聞いていた。

しかし大野への信頼が強く、当初は新しい医療処置なのだろうと考えた。

娘が、

「もう嫌です」

と訴えるようになった後、処置をやめさせる方向へ動く。

少女の月経停止を心配し、大野に相談。

一九二三年二月十七日にはグランドホテルへ呼び出され、大野から「ポリープ」などの説明を受けた。

【大倉夏子】
被害少女の姉。

大倉家の二女。

事件のおよそ四年前、肋膜炎を患い、大野禧一の治療を受けて病状が改善した。

彼女の治療成功が、大倉家の大野に対する絶大な信用の出発点となった。

【染谷徳平】
弁護士。

大倉家側の代理人として、一九二三年三月二日に告訴を行った。

【南谷検事正】

横浜地方裁判所検事局で、当時の刑法をどう適用するかについて検討した中心人物として資料に登場する。

暴力や脅迫を用いず、医師への信頼と誤信によって少女が抵抗しなかった事件を、刑法上どのように評価するかが大きな問題となった。

【花井卓蔵】
弁護士。

大野側に関わった著名弁護士。

足尾鉱毒事件や大逆事件などにも関わり、国会議員、衆議院副議長の経験もあった。

大野の行為が道徳的に非難されることと、刑法上の強姦罪が成立することは別問題であるという法律論を展開した。

【野方次郎】
医師・県会議員。

大野側と大倉家の示談交渉に関係した人物として資料に登場する。

■事件発覚

事件が家族の中で決定的に発覚したのは、一九二三年二月である。

秋江の月経は止まり、身体にも異変が現れていた。

二月二十一日、大野は大倉家を訪れ、「ポリープの治療」という説明のもとで処置を行った。

その後、少女の状態は悪化した。

二月二十三日ごろ。

父・春彦は娘の様子を見て、ついに問いただした。

「秋江。大野先生から、いったい何をされたんだ」

少女は、これまでの診察室で何があったのかを話した。

「先生は治療だと言っていました」

「本当に、治療だと?」

「はい。必要だと言われたから……」

父親の表情が変わった。

聞けば聞くほど、通常の医療行為とは思えない。

そして父親は気づいた。

少女自身が、その異常さを理解していない。

それまで春彦は、

「娘は大野先生を信用している」

と思っていた。

しかし実際には、信用というより、疑うための知識と理由を与えられていなかった。

春彦自身が、

「先生に逆らうな」

と教えてきたからである。

ここから事件は一気に動き始める。

・犯人の生い立ち

・事件の前兆

・当日の詳細

・逮捕

・裁判

・判決

・まとめ