貰い子二十七人殺し事件
養育費だけを受け取り、乳児を次々と消した川俣初太郎
昭和8年 1933年3月1日。
東京・深川
■事件概要
昭和八年 一九三三年三月一日。
東京・深川。
まだ冬の寒さが残る朝。
一人の男が、ごみ箱の中を漁っていた。
当時「バタ屋」と呼ばれていた廃品回収の男である。
捨てられた紙。
布。
金属片。
古道具。
誰かにとってはごみでも、彼にとっては生活の糧だった。
その日も、いつものように使えそうな物を探していた。
すると一つの風呂敷包みが目に入った。
「何だ、これは」
見たところ、衣類でも包んで捨てたように見える。
男は持ち上げようとした。
少し重い。
「何か入っているな」
結び目へ手をかける。
その瞬間だった。
包みの中から、柔らかなものが転がり出た。
男の手が止まる。
紙でもない。
衣類でもない。
人間だった。
しかも大人ではない。
乳児。
生まれて間もない、小さな子どもの遺体だった。
「赤ん坊だ……」
男は数秒、立ち尽くした。
そして我に返ると、交番へ駆け込んだ。
「お巡りさん!」
警察官が振り返る。
「どうした」
「赤ん坊です!」
「何?」
「死んだ赤ん坊が、ごみのところに捨ててあるんです!」
この一体の遺体。
それが、後に東京犯罪史の中でも特異な大量殺人事件として知られることになる「貰い子殺し」の入口だった。
犯人の名は、
川俣初太郎。
川俣が狙ったのは、金持ちでも、商売人でも、怨恨の相手でもない。
まだ自分で歩くこともできない乳児だった。
逃げられない。
警察へ行けない。
助けを求めて言葉を話すこともできない。
そして何より、
子どもを引き取れば、一緒に養育費が渡される。
川俣にとって重要だったのは、子どもではない。
金だった。
「私が責任を持って育てます」
そう言って乳児を引き取る。
二十円。
三十円。
十五円。
養育費を受け取る。
そして子どもを育てず、殺害する。
また別の産婆へ行く。
別の名前を使う。
新しい乳児を引き取る。
また金を受け取る。
そしてまた一人が消える。
一人。
二人。
五人。
十人。
二十人。
やがてその数は二十人を大きく超えた。
昭和八年三月。
たった一つの風呂敷包みから、その連鎖が崩れ始める。
警察は捨てられた乳児の身元を調べた。
だが乳児は、自分の名前を言えない。
所持品もほとんどない。
現在のようなDNA鑑定もない。
そこで捜査員たちは発想を変えた。
「この子が誰か分からないなら、この子を誰かへ渡した人間を探す」
新聞広告。
産婆。
養育を依頼した母親。
貰い子を引き取った男。
その線をたどった。
やがて、
「小杉儀一」
という男が浮上した。
さらに別の産婆からは、
「田中正次郎」
という名前。
しかし顔立ち、年齢、服装の特徴は同じ。
警察が前科者カードを調べると、一人の男に行き着く。
川俣初太郎。
しかも川俣は以前にも、養育費目当てで乳児を引き取り、殺害した前科を持っていた。
捜査員は川俣を追う。
簡易旅館。
宿帳。
偽名。
そして昭和八年三月十日。
本所区吾妻橋の喜久屋本店。
刑事たちは川俣の帰りを待った。
午後八時すぎ。
川俣が戻る。
大きな風呂敷包みを持っていた。
部屋へ入る。
風呂敷を開く。
中から出てきたもの。
生きた乳児だった。
川俣の手が子どもの首へ近づく。
刑事が飛び込む。
「待て!」
「警察だ!」
川俣はその場で逮捕された。
もし数分遅れていれば。
その乳児も、過去の子どもたちと同じ運命になっていた可能性が高い。
そこから供述が崩れる。
最初は、
「二人です」
と答えた。
だが産婆の証言。
偽名。
受け取った乳児の数。
養育費。
すべてを合わせれば到底二人では済まない。
やがて川俣は口を開く。
「西郷山へ埋めた」
警察は川俣を連れて、西郷山へ向かった。
土を掘る。
一つ。
また一つ。
小さな遺体が出る。
資料では第一回発掘で十六人。
さらに八人。
西郷山だけで二十四人。
そのほか高井戸方面から二人分が発見され、合計二十六人。
川俣自身は二十七人殺害を自供したとされる。
後年の司法整理では二十五人殺害が主要起訴事実とされるため、人数には差が残る。
だが一つだけ変わらない。
数十人規模の乳児が、
「養育費を受け取るため」
という金銭目的で命を奪われた。
川俣は裁判にかけられる。
昭和十年九月二十三日。
東京地方裁判所。
死刑。
控訴せず、確定。
昭和十一年七月十八日。
市ヶ谷刑務所。
死刑執行。
三十五歳。
しかし、殺された乳児たちは三十五歳どころか、一歳にも到達できなかった。
■いつ・どこで起きたか
事件が大きく発覚したのは、昭和八年三月一日。
東京・深川。
ごみ箱付近から、風呂敷に包まれた乳児の遺体が発見された。
しかし川俣初太郎の犯罪は、この日に始まったわけではない。
その前。
昭和三年 一九二八年九月二十三日。
川俣はすでに一度、産婆から乳児を引き取り、養育費を受け取ったうえで、その子を殺害していた。
その事件で、
殺人。
死体遺棄。
詐欺。
の罪に問われ、懲役四年。
恩赦減刑により三年となり、昭和六年ごろ宇都宮刑務所を出所したとされる。
つまり昭和八年の大量殺人は、
「初犯」
ではない。
一度捕まった。
裁判を受けた。
刑務所へ入った。
出所した。
その後、ほぼ同じ構造の犯罪を、今度は桁違いの規模で繰り返した事件だった。
主な遺体遺棄場所として重要なのが西郷山である。
現在の東京都目黒区、西郷山公園周辺。
当時は西郷従道家ゆかりの広大な敷地と雑木林が残り、現在ほど住宅が密集していなかった。
夜になれば人通りは少ない。
林の中へ入れば、人目を避けられる。
川俣はそこへ乳児を運び、遺体を埋めていた。
さらに資料では、杉並区高井戸方面の空き地からも遺体が発見されたとされる。
逮捕場所は本所区吾妻橋三丁目。
簡易旅館「喜久屋本店」。
昭和八年三月十日。
川俣が生きた乳児を風呂敷包みから取り出したところへ刑事たちが踏み込んだ。
裁判は東京地方裁判所。
死刑執行は市ヶ谷刑務所。
つまり事件は、
深川。
本所。
西郷山。
高井戸。
市ヶ谷。
東京の複数地域にまたがる大量殺人事件だった。
■登場人物
【川俣初太郎】
本事件の犯人。
明治三十四年、一九〇一年生まれ。
栃木県安蘇郡佐野町出身。
関連資料によれば、若いころから語学に関心を持ち、大正八年ごろ上京。
外国語学校で英語やスペイン語を学び、海外へ渡った経験もあったとされる。
帰国後、早稲田大学へ進んだものの、学費の問題から中退したと伝えられる。
その後生活が崩れ、やがて「貰い子」を利用した犯罪へ入っていく。
昭和三年に養育費目当てで乳児を引き取り、殺害した事件で服役。
出所後、複数の偽名を使い、多数の乳児を引き取る。
主な偽名として、
「小杉儀一」
「田中正次郎」
など。
産婆へは、
「自分が育てる」
「家庭がある」
「大切にする」
と信用させ、養育費とともに乳児を受け取った。
乳児の一部は別人へ少額の金を添えて預け、差額を得た例もある。
引き取り先がない場合などには、乳児を殺害し、遺体を西郷山などへ埋めた。
昭和八年三月十日逮捕。
昭和十年九月二十三日、東京地方裁判所で死刑判決。
昭和十一年七月十八日、市ヶ谷刑務所で死刑執行。
三十五歳。
【木内刑事】
事件捜査を担当した刑事の一人。
遠藤刑事とともに、新聞広告や産婆を一件ずつ調査。
「小杉儀一」と名乗る男の実在しない勤務先などから偽名を疑い、前科者カードを調べ、川俣初太郎へ到達した。
さらに簡易旅館「喜久屋本店」の宿帳から「田中正次郎」という偽名を発見し、川俣逮捕へつなげた。
【遠藤刑事】
木内刑事とともに捜査を担当。
産婆への聞き込み、偽名の照合、簡易旅館の調査などを行った。
喜久屋本店で川俣が帰ってくるのを待ち、乳児へ手をかけようとした場面で踏み込んだ捜査員の一人。
【伊藤のぶ】
本所区石原町で産院を営んでいた産婆。
前年十二月と昭和八年二月、二人の乳児を「小杉儀一」と名乗る男へ引き渡していた。
最初の子には三十円。
次の子には二十円。
養育費を付けていた。
警察から川俣の写真を見せられ、
「この人です」
と男を特定した。
【深川で発見された乳児「朝倉未来」】
生後約二十日ほどとされた乳児。
事件発覚のきっかけとなった子ども。
風呂敷に包まれ、ごみ箱付近へ遺棄されていた。
頭部には布が巻かれ、身体には強い力を受けた痕跡があったとされる。
この一体が見つかったことで、大量の貰い子殺しが明らかになった。
【喜久屋本店で救われた乳児「生田望」】
川俣が逮捕された夜、風呂敷包みの中から生きた状態で出てきた乳児。
川俣が手を伸ばしたところへ刑事たちが踏み込み、間一髪で救出された。
本事件の中で、川俣の手から生きたまま救われた象徴的な存在となる。
【被害乳児たち】
資料上、個々の実名が判明しない子どもが大半である。
資料では、発見遺体二十六人、自供二十七人。
後年の司法整理では主要起訴事実二十五人殺害。
人数差が残る。
だが、その一人一人は別の乳児であり、別の母親、父親、家庭事情を持っていた。
■事件発覚
事件発覚の場面は、非常に偶然性が高い。
深川。
ごみ箱。
廃品回収。
もしあの日、あの男が風呂敷包みを見つけなかったら。
もし、
「ただのごみだ」
として見過ごしていたら。
もし乳児の遺体が、別のごみと一緒に処理されていたら。
事件はさらに遅れて発覚した可能性がある。
男は包みを持ち上げた。
中から乳児が転がり出た。
警察へ知らせた。
そこから殺人事件として捜査が始まった。
遺体は生後二十日ほど。
自分で名前を言えない。
所持品なし。
身元不明。
警察は最初、
実親による殺害か。
それとも、
「貰い子殺し」
か。
二つの可能性を考えた。
捜査会議。
「生活の苦しい家庭も多い」
「親が育てられなくなった可能性もある」
別の刑事が言う。
「しかし、俺は貰い子じゃないかと思う」
「なぜだ」
「扱いが酷い。養育費目当てかもしれない」
当時、育てられない乳児を一定の金とともに他人へ預ける例があった。
その制度を利用し、
子どもを引き取る。
金を受け取る。
育てない。
殺す。
そうした犯罪も存在した。
警察は乳児本人からではなく、
「乳児を誰かへ渡した側」
から追うことにした。
新聞広告。
「子供さしあげたし」
「養育してくださる方求む」
そうした広告主。
産婆。
出産した女性。
仲介者。
一人ずつたどる。
九日ほどで伊藤のぶの産院へ到達。
そこで、
「小杉儀一」
という男が浮かび上がる。
・犯人の生い立ち
・事件の前兆
・当日の詳細
・逮捕
・裁判
・判決
・まとめ
