警察手帳をめぐる八時間 昭和29年「東北大学学生によるつるし上げ事件」
昭和29年、1954年6月25日
仙台市片平丁 東北大学
■登場人物
佐々木六郎巡査 国家地方警察宮城県本部警備課の巡査。この事件で約500人の学生を前に質問を受けることになった中心人物。
横山守雄巡査 佐々木とともに東北大学付近へ出向いていた警備課員。異変を察知し、警備課へ急報した。
原警備課長 国警宮城県本部警備課長。事件発生後に大学へ出向き、学生側との交渉に立った。
庄子喜三郎次席 警備課次席。原課長とともに大学へ向かった。
末永教授 東北大学教授。事態の拡大を受け、国警県本部へ連絡した。
河井、奥田、浦野、金子、古館 学生側が選出した五人の議長団。講堂で警察側を追及した。
学生部長 大学側の立場から講堂での話し合いに同席した。
■1954年6月25日、片平キャンパス
昭和29年、1954年6月25日。
仙台市片平丁にある東北大学周辺では、朝から二人の私服警察官が動いていた。
国家地方警察宮城県本部警備課の横山守雄巡査と佐々木六郎巡査である。
二人は午前9時ごろ、自転車で東北大学付近へ向かった。
目的は捜査だった。
ただし、最初から東北大学の学生を調べることを目的としていたのか、それとも大学とは関係のない捜査の途中だったのか――。
まさにこの点が、その日の午後、数百人を巻き込む争点になっていく。
この時代の「国警」、すなわち国家地方警察は現在の警察制度とは異なる。
戦後の日本では、1948年から国家地方警察と市町村自治体警察が並立していた。しかし、この制度は昭和29年7月1日に廃止され、現在につながる都道府県警察へ一本化される。
つまりこの事件が起こった6月25日は、旧制度が終わるわずか6日前だった。([警視庁][2])
そんな警察制度の大転換期に、この出来事は起きたのである。
二人には多少時間の余裕があった。
そこで大学構内へ入り、法経学部事務室南方のテニスコート脇の草原で腰を下ろした。
学生たちがテニスや野球の練習をしている。
一見すれば、どこにでもある大学の朝だった。
二人は私服だった。
学生たちから見れば、すぐには警察官とは分からない。
ところが、その平穏は長く続かなかった。
■「あの男は警察官ではないか」
午前10時10分ごろ。
横山巡査は捜査のため、一人で自転車に乗って大学構内から外へ出た。
そして再び大学へ戻ってきた。
すると、先ほどまで休んでいた佐々木巡査の周囲に人が集まっている。
七、八人ほどの学生だった。
学生と佐々木が何かを話している。
しかし、普通の雑談ではない。
横山は近づくにつれて、その場の空気が異様なものになっていることに気づいた。
佐々木が学生たちから質問攻めにされていたのである。
事件史は、この状況を、
「つるし上げられている」
と表現している。
横山巡査はただちに大学近くの片平丁交番へ走った。
そして、
「佐々木巡査が学生に取り囲まれている」
という趣旨の連絡を国警宮城県本部警備課へ入れた。
わずか数分後。
横山が再び大学へ戻ると、学生はすでに約30人に増えていた。
明らかに状況が変わっていた。
横山は警察官であることを悟られないよう、一般人を装って近づいた。
だが、学生側の警戒は想像以上に厳しかった。
たちまち七、八人の学生に囲まれた。
そして聞かれた。
「あなたは今、交番所から出てきたが、警察官でしょう」
横山は否定した。
警察官ではない、と押し通した。
何とかその場から離れることには成功した。
しかし横山が見た大学構内は、すでに通常のキャンパスとは違っていた。
■学生による「防衛態勢」
大学正門と北門。
そこにはカメラを持った学生を含む二、三人ずつの学生が配置されていた。
構内へ出入りする成人男性に対して、
住所。
氏名。
行き先。
用件。
そうしたことを尋ね、さらに写真を撮影していたという。
大学周辺の派出所にも学生らが張り込み、警察側の動きを見ていた。
なぜ学生たちはこれほど神経をとがらせていたのか。
事件史によれば、その二日後、東北大学では「平和大会」が予定されていた。
それに備え、一部の左翼系学生が学内防衛のため「東北大細胞防衛隊」を組織し、大学内を巡回していたという。
「細胞」とは、当時の共産主義運動などで使われた基礎組織を指す言葉である。
つまり警察官二人がたまたま姿を現した日は、学生側が警察や外部勢力の侵入に最も警戒している時期だったことになる。
そこへ私服の警察官が大学構内に入ってきた。
学生側からすれば、
「平和大会を監視するために警察が入り込んだのではないか」
という疑念が生まれても不思議ではなかった。
しかも東北大学には、すでに警察や国家権力と大学自治をめぐる激しい対立の歴史があった。
わずか4年前の1950年、東北大学ではGHQ教育顧問ウォルター・C・イールズの反共的な講演に学生たちが強く抗議し、約800人の学生によって講演が事実上中止に追い込まれている。いわゆる「イールズ事件」である。この出来事は東北大学から全国へ広がる学生運動の一つの起点になった。([法政大学大原社会問題研究所][3])
したがって1954年のキャンパスには、「大学の中に国家権力を簡単に入れてはならない」という空気がすでに形成されていたと考えられる。
そこへ佐々木巡査が現れたのである。
「どこのどなたですか」
やがて佐々木巡査を取り囲む学生は約50人に増えた。
代表格の河井らが質問を始めた。
最初は単純な質問だった。
「どこのどなたですか」
佐々木巡査は、とっさに答えた。
「県庁の者です」
ここが最初の分岐点だった。
佐々木が最初から警察官であることを明かしていれば、その後の展開は違ったかもしれない。
だが、警察官であることを隠した。
学生はさらに聞いた。
「県庁の何課の、どなたですか」
佐々木は答えに詰まった。
話の辻褄が合わない。
しかも学生の中には、佐々木の顔を以前から知っている者がいた。
「あの男は警察官だ」
その認識が学生の間に広がった。
事件史によれば、学生たちは最初から佐々木を警察官とみて追及し、ついに本人も警察官であることを認めざるを得なくなった。
学生側から見れば、
「なぜ警察官が身分を隠したのか」
という疑問が生まれる。
ここから問題は単なる「大学構内で休んでいた警察官」の話ではなくなる。
学生の疑いは、
「警察が大学内で秘密調査をしているのではないか」
という問題へ急速に移っていった。
「何しに来た。誰の命令だ」
警察官だと認めた佐々木に、学生たちが次々と質問を浴びせた。
「何しに来たのか」
「誰の命令で来たのか」
佐々木は、
「上司の命令による仕事でここに来た」
という趣旨で答えた。
ただし、
「この場所へ来るように指示されたわけではない」
とも説明した。
学生側は納得しない。
続いて要求した。
「警察手帳を出せ」
佐々木は抵抗したものの、最終的にはポケットから警察手帳を取り出した。
学生はその手帳を佐々木の手から取り上げ、写真を撮影した。
手帳自体はすぐに返還された。
だが、事態はここでは終わらない。
むしろここから一気に拡大した。
「私服警察官が大学に入っている」
という情報がキャンパス内を駆け巡ったのだろう。
学生が続々と集まってきた。
50人。
100人。
さらに増えていく。
午後0時30分ごろには、その数は約500人に達した。
■500人の学生を前にした佐々木巡査
■学生側が要求した「誓約書」
■東北大学という場所
■一人の巡査を囲んだ500人
