昭和36年 東北大学蔵王遭難事件
地吹雪の丸山沢で消えた二人
昭和36年、1961年12月27日
蔵王連峰で、東北大学山岳部の冬季合宿中に雪崩遭難
■「事件概要」
昭和36年、1961年12月27日。
年末を目前にした蔵王連峰で、東北大学山岳部の冬季合宿中に雪崩遭難が発生した。
場所は、蔵王の最高峰・熊野岳の東側、丸山沢付近。
その朝、山は地吹雪に包まれていた。
事件史が記した視界は、前後およそ五メートル。
五メートルといえば、平地なら数歩から十歩にも満たない距離である。
山の稜線も、沢の形も、進行方向の斜面も、少し離れれば白い雪煙の中へ溶けてしまう。
その悪条件の中を、東北大学山岳部の学生六人が行動していた。
リーダーは斎藤奨。
同行したのは一柳侃、藤田博信、三浦雅恵、そして一年生の引田文博(18歳)と森川洋平(19歳)。
六人は左衛門小屋方面へ向かう予定だったとされる。
しかし視界を失った一行は、知らないうちに丸山沢左俣上部へ入り込んだとみられている。
午前7時15分ごろ。
雪面が動いた。
長さ約100メートル。
幅約20メートル。
事件史にそう記録された雪崩が、斜面を横切っていた学生たちを襲った。
六人のうち三人が巻き込まれた。
一柳侃は雪の中から自力で脱出した。
しかし、引田文博と森川洋平の二人は姿を消した。
わずか数秒前まで同じ斜面を歩いていた二人が、白い雪面の下へ消えたのである。
残された四人は、その場で捜索を始めた。
名前を呼ぶ。
雪面を探る。
最後に見えた位置を思い出す。
掘る。
場所を変える。
また掘る。
だが二人は見つからなかった。
約二時間半の捜索の末、四人は自分たちだけでの発見は困難だと判断する。
事故発生からおよそ九時間後の午後4時ごろ、大河原警察署へ救助要請が入った。
翌12月28日。
警察、消防、山岳関係者、東北大学関係者ら五十人を超える捜索隊が丸山沢へ入った。
午前11時30分ごろ、雪崩発生地点を確認。
ゾンデとスコップによる捜索が始まる。
午前11時40分。
雪面から約一メートル下で、森川洋平が発見された。
死亡していた。
さらに午後1時40分。
丸山沢源頭付近から引田文博が発見された。
引田も死亡していた。
六人で出た山行。
帰還できたのは四人だった。
二人の一年生は、冬の蔵王から帰ってこなかった。
■「いつ・どこで起きたか」
発生は昭和36年12月27日、午前7時15分ごろ。
場所は蔵王連峰、熊野岳東側の丸山沢付近である。
蔵王と聞けば、現在では樹氷、スキー、温泉といった観光地の印象が強い。
しかし冬の高山帯は、観光地の延長ではない。
風が吹けば、新しく積もった雪は一か所に留まらない。
雪粒は風に運ばれ、尾根を越え、風下斜面へ堆積する。
そうして形成された雪の板は、外から見ただけでは安定しているように見えることがある。
だが、その下に弱い層があれば、わずかな刺激をきっかけに面として破断する。
現代の雪崩安全資料でいう「ウインドスラブ」「面発生雪崩」に相当する現象である。
事故当日の丸山沢でも、後年の山岳部関係資料は、風によって形成された板状の雪が関係した雪崩だったと説明している。
そして、この事故を考える上で決定的なのが視界である。
視界、約五メートル。
晴天であれば、尾根と沢の違いは一目で分かる。
しかし地吹雪では、前方の斜面が上っているのか下っているのかさえ錯覚することがある。
雪面と空の境界が消える。
岩や樹木が少ない高山帯では、距離を測る目印すらない。
自分たちがどこにいるのか。
次の尾根がどこなのか。
今いる斜面が予定ルートなのか。
六人は地図とコンパスと経験を頼りに判断するしかなかった。
当時はGPSもない。
スマートフォンもない。
衛星電話もない。
現在のように、携帯端末の画面を見れば緯度・経度が即座に分かる時代ではなかった。
数十メートルのルートのずれが、別の沢へ人間を導く。
そして、その別の沢が雪崩斜面だった。
事故は、そのような冬山特有の条件の中で起きた。
■「登場人物」
【斎藤奨】
六人パーティーのリーダー。
当時、法学部四年、23歳とされる。
悪天候の中で行動判断を求められ、雪崩発生後は生存した仲間とともに二人の捜索に当たった。
【一柳侃】
六人パーティーの一人。
雪崩に巻き込まれた三人のうちの一人。
しかし雪が止まったあと、自力で脱出した。
生還した一柳は、その後、仲間の捜索に加わった。
【藤田博信】
六人パーティーの一人。
雪崩を生き延び、事故直後から二人の捜索に参加した。
【三浦雅恵】
六人パーティーの一人。
同行者として事故現場におり、雪崩後の捜索に参加した。
【引田文博 18歳】
被害者。
東北大学山岳部一年生。
雪崩に巻き込まれ行方不明となり、翌28日午後1時40分ごろ、丸山沢源頭付近で発見された。
【森川洋平 19歳】
被害者。
東北大学山岳部一年生。
引田とともに雪崩に巻き込まれ、翌28日午前11時40分ごろ、雪面から約一メートル下で発見された。
【大久保和馬】
冬季合宿全体について、事件史が十三人のパーティーのリーダーとして記している人物。
事故当日に雪崩へ巻き込まれた六人の直接の行動リーダーは斎藤奨だった。
【大河原警察署員・県警本部員】
事故の通報を受け、救助体制を組織。
翌朝から現場で捜索に当たった。
【川崎町消防団、県山岳連盟関係者、東北大学山岳部関係者、地元の遭難対策関係者】
警察とともに大規模な救助活動を担った。
翌日の捜索隊は五十人を超えたと事件史に記録されている。
■「事件発覚」
遭難は山の中で起きた。
したがって、警察や家族が午前7時15分の事故をその場で知ったわけではない。
まず事故を知ったのは、雪崩を生き延びた四人だった。
雪面が止まる。
巻き込まれた一柳が脱出する。
人数を数える。
二人いない。
そこではじめて、「雪崩に遭った」という事実よりもさらに具体的な現実が見えてくる。
仲間が雪の下にいる。
引田がいない。
森川がいない。
呼びかけても返事がない。
雪面を見ても、手も、足も、ザックも、衣服も見えない。
二人は雪の中へ完全に消えていた。
【再現会話】
「一柳、大丈夫か」
「大丈夫だ……二人は?」
「引田!」
「森川!」
風の中へ名前が飛ぶ。
返事はない。
「最後に見たのはどこだ」
「この辺だ。こっちへ流された」
「掘れ。まだ近くにいるかもしれない」
四人は捜索を始める。
しかし、雪崩の雪は、降ったばかりの柔らかな雪原とは違う。
雪崩が止まれば、雪塊は押し固められる。
掘るにも時間がかかる。
場所を外せば、何十分掘っても人間には届かない。
二人は見つからなかった。
山中から外部へ通報するには移動が必要だった。
携帯電話はない。
事故現場から直接110番できる時代ではない。
午後4時ごろ。
宮城県営蔵王小屋を通じて大河原警察署へ救助要請が入る。
そこで初めて、山の外の組織が事故を知る。
午前7時15分。
午後4時。
事故発生から通報まで、およそ九時間。
現代の感覚なら長く感じる。
しかし、この九時間の大半は、仲間による現場捜索と、山から救助要請を届けるための移動に費やされた時間だった。
「事件の前兆」
「当日の詳細」
「救助」
「まとめ」
